第387話 怒りと決着

 それから数分後。フェリシアーノ殿下が結論を急がせると、チェスプリオ公爵は何も考えが纏まっていない様子ながらも口を開く。

 

「あの、金銭の賠償や……輸出品の優遇措置などはいかがでしょうか?」


 やっぱり公爵はチェスプリオ公国を維持させたいみたいだ。まあそうだよね……自分の国を捨てる決断はそんなにすぐできるものではないだろう。


「そ、それから反対勢力は全員極刑にいたします。どうか……それで手を打ってはいただけないでしょうか」

「無理です」


 しかしチェスプリオ公爵の必死の訴えは、フェリシアーノ殿下の冷たい声で拒否される。


「貴殿は他国の王族への毒殺未遂ということがどういう事態なのか、全く理解していらっしゃらないみたいだ。これは宣戦布告です。いや、事前の連絡なしに突然殺しにくるのだから宣戦布告よりも酷い。我々は全面戦争を始めても良いのです。それを金銭の賠償と優遇措置で手を打つなど、あり得ません」


 フェリシアーノ殿下の怒りに火をつけちゃった気がする……公爵は素直に頷けば良かったのに。併合されたって家が存続するなら良いじゃないか。

 殿下の雰囲気を察すれば、そんな提案に頷くことはないってすぐ分かるのに。


「要するに現在貴国は敗戦国のような立場なのです。歴史を遡っても敗戦国は戦勝国に併合されることが多いです。併合はされなかったとしても、国土の大半は持っていかれます。……さて、いかがいたしますか?」


 チェスプリオ公爵がここでも首を横に振ったら、多分二国間で戦争になるんだろう。そしてほぼ確実にヴァロワ王国が勝利する。二つの国は国力にかなりの差があるから、どう頑張ってもチェスプリオ公国は勝てないと思う。ただそれを公爵が正しく理解しているか……それが問題だ。

 俺は戦争になるかならないかの瀬戸際に、緊張から唾をごくりと飲み込んだ。


 もしここで公爵が首を横に振ったとしたら、俺達がこの国から安全に出るのは難しくなるな……今ここにいる戦力だけなら、チェスプリオ公国の方が断然多いから。

 フェリシアーノ殿下もそれを分かってるのだろうし、最悪の事態も覚悟してるのだろう。


 ただここには戦力が未知数な俺とファブリスがいるし、チェスプリオ公国はそんな強硬手段を選ばないで欲しい。もし公国がフェリシアーノ殿下を始めとしたヴァロワ王国陣営を襲ったとしたら、俺は殿下を助ける。

 それにそもそも、今ここでフェリシアーノ殿下を襲って殿下を亡き者にしたとして、最終的な結果が変わる可能性は低いのだ。


 次に発する公爵の言葉が今後の展開を決める、そのことに緊張してじりじりと待っていると、数分経ってやっと公爵は口を開いた。


「分かりました……併合に、同意いたします」


 おお、良かった、本当に良かった。チェスプリオ公爵もそこまで馬鹿な人じゃなかったみたいだ。

 今考えればフェリシアーノ殿下のこの強気の姿勢は、チェスプリオ公爵への信頼とも取れるのか。ここで自分を襲うような馬鹿な行いを犯すほど、無能な者ではないっていう。


「ありがとうございます。ではすぐに署名をお願いいたします」


 殿下のその言葉に従って、従者が素早く紙とペンを公爵の下に持っていった。殿下にとっては命を失うかもしれなかった重大事件だけど、ヴァロワ王国としては無条件でチェスプリオ公国を手に入れられたのだから、最高の結果だよね。転んでもただでは起きないのがさすがだ。


「これからチェスプリオ公爵家は、ヴァロワ王国の一領主となります。王国の発展に寄与してくださることを祈っております」

「……かしこまりました。精一杯、尽力いたします」


 これでラースラシア王国として、チェスプリオ公国と関係を深める必要は無くなったな。せっかく持ってきた贈り物も必要なかった……ヴァロワ王国への贈り物として使い回すのは避けるべきだろうし。


「マルティーヌ王女殿下、ジャパーニス大公様、この度は巻き込んでしまい、本当に申し訳ございませんでした」

「殿下は被害者ですから、謝罪は要りませんわ。これからも良好な関係を継続していけたらと思っております」


 マルティーヌはそんな言葉を口にしてにっこりと微笑んだ。チェスプリオ公爵に対しての皮肉も若干含まれてるよね……気持ちは分かるけど。

 反対勢力がいることが分かってたなら、絶対にこんな事態が起きないように国内をコントロールしないとダメなんだ。それをできなかった責任はやっぱり大きい。


「私にも謝罪はいりません。殿下の体が大事に至らなくて良かったです」

「それは大公様のおかげです。心からの謝意を申し上げます」


 そうして話し合いは早々に終わりとなった。チェスプリオ公国側は誰もが呆然としていて、事態をうまく飲み込めていないようだ。これからこの地域は荒れるのかな……公爵やヴァロワ王国が上手くやってくれたら良いけど。


「近いうちにこちらへ王宮の文官を派遣しますので、文官から詳細を聞いていただければと思います。それから数年間は監視と治安維持のために騎士を派遣することになりますが、ご了承ください。……では我々は先を急がなければなりませんので、失礼いたします。色々と忙しいでしょうから、見送りなどは結構ですよ」


 フェリシアーノ殿下はにっこりと微笑みながらそう告げると席を立った。そして俺達に丁寧に挨拶をして部屋を出ていく。あれはやっぱり相当怒ってる。


「レオン、私達もお暇しましょう。先を急がなければ、予定通りにヴァロワ王国へ着くことができなくなるわ。予想外に時間を取られてしまいましたから」


 マルティーヌはそう言って公爵に綺麗な笑みを向けた。マルティーヌもかなり怒ってるよ……

 他国の王族を毒殺しかけるなんて、普通あり得ないからね。昨日みたいな晩餐では個別に毒味をしないのが礼儀だという代わりに、絶対に毒などが混入しないように細心の注意を払うものなのだ。口に入るものを準備する時には必ず三人以上の目がある場所でやったり、厨房や会場に入る時には身体検査を受けないといけなかったり、さらに料理人や給仕も精鋭を選ぶ。


 どう間違っても今回のような話に安易に乗る人など選ばれないし、怪しい粉が身体検査を通ってしまうなんてことも起こらない。杜撰な体制だったのか、管理者が反対勢力の人間だったのか分からないけど、そんな国で食事をしていたのだから怒りが湧くのも当然だろう。もし俺達が標的だったら毒を盛られていたのだから。


 チェスプリオ公爵はよく言えば、素直で他人を信用する人なんだろう。しかし国のトップとしてそれは致命的な欠陥だ。使用人の管理もできていないと烙印を押されても仕方がない。


「そうだね。では公爵様、失礼いたします」



 部屋に戻るとすぐにフェリシアーノ殿下が訪ねてきて、もう一度巻き込んでしまったことへの謝罪と、命を救ってくれたことへの感謝を伝えられた。


「顔を上げてください。そんなに大層なことはしていませんし、殿下も被害者ですから」

「そう言っていただけるとありがたいです。私がラースラシア王国の皆様に助力を頼み、ヴァロワ王国へ来ていただいているのに……。謝罪の気持ちと治癒へのお礼は、国で必ずお渡しいたします。受け取っていただければ幸いです」


 お礼は治癒魔法を広めないでいてくれたらそれで良いんだけど……多分何かしら受け取った方が殿下的にも気が楽になるんだろう。


「分かりました。受け取らせていただきます」

「ありがとうございます」

「殿下、本日の出立はいかがいたしますか? 元々の予定では本日の朝早くでしたが、不測の事態で既に昼前となってしまっています」

「……私としては早くにこの屋敷を辞去したいのですが、皆様の準備もあると思いますのでお任せいたします」


 殺されそうになった屋敷に、そしてこの国にこれ以上いたくないよね……また狙われる可能性も完全にないとは言えないし。


「かしこまりました。ではマルティーヌと話し合って時間を決めようと思います。殿下にも知らせを送りますので少しお待ちください」


 殿下と別れた俺はすぐにマルティーヌの部屋を訪れて、一時間後に出立という形に決めた。

 そして一時間で全ての荷物を馬車に積み込み、チェスプリオ公国を、いやチェスプリオ公爵領を発った。見送りには顔色の悪い公爵家の皆さんと怒りに震えている一部の重鎮達が来ていたけれど、公爵が止めてくれたのか、俺達が襲われるということはなかった。

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