第293話 二度目の神界

 今日は仕事が一日休みの日。

 いつもならこんな日はお店を覗いてみたり鍛練をしたり、さらにはマリーと遊んだりと楽しく過ごしているんだけど、今日は予定があるので朝からそわそわと自分の部屋で待機している。

 そう、今日は神界に呼んでもらってシェリフィー様が持ってきてくれた本を読む日なのだ! ミシュリーヌ様との約束は午前九時なのであと三十分ぐらいだけど、さっきから今か今かと待っている。やっぱり日本の本を読めるのは嬉しいよね。


 まあ神界に行ったら下界の時間は止まるから、下界に帰ってきてからいつも通りの休日が過ごせるんだけど。なんかそう考えると、時間が止まってるって本当に凄いし変な感じだ。

 こっちに帰ってきたらヨアンのところに行って新しいレシピの伝授かな。考えるだけで楽しくなってきた!


「レオン様、まだ約束の時間は先ですので落ち着かれてください」

「でもロジェ、今日は凄く楽しみなんだ」


 さっきからこの会話は何度もしている。ロジェは少し呆れた様子だ。ロジェって俺が使徒になっても態度は今まで通りだし、さらにミシュリーヌ様に会いに行くと言ってもほとんど表情を変えないし、本当にありがたい。

 でももう少し驚いたりしても良いと思うけどね?


「ロジェは最初の頃から俺が使徒ってことにもあまり驚いてなかったけど、ミシュリーヌ様と会う予定にも普通に頷いてくれて……何というか凄いね? 普通はもう少し驚いたりしない?」

「レオン様にお仕えしていると驚くことが多すぎて慣れると言いますか……。逆に使徒様だと分かったことで全てが納得できましたので」

「そうなんだ」


 確かにそんなものなのかな……アレクシス様も最初は驚いてたけど、今では当たり前みたいになってるし。

 皆慣れていくのか。まあそれならそれで良いことだろう。俺も周りを気にしなくて良いならやりやすいし。



 そうしてロジェと話しながらお茶を飲んでいると、遂に時間が午前九時となった。


「ミシュリーヌ様、時間ですよ」


 俺は時間ぴったりに本を取り出してしっかりと抱え、ミシュリーヌ様に呼びかけた。


『ふわぁ〜、分かったわ、ちょっと待ちなさい〜』


 ミシュリーヌ様なんか眠そう? でも神様って睡眠必要なのかな? そんなことを考えながら不思議に思っていると、前回と同じように真っ白な光に包まれた。

 そして目を開けると……ソファーで寝ているミシュリーヌ様がいた。


「ミシュリーヌ様どうされたんですか? 神様も眠くなるんですか?」

「違うのよ。魔人を観察してたんだけど、さっきからあくびを連発するから私にも移ったのよね。ふわぁ〜」

「そうなんですね。魔人の様子って俺も見ることはできますか?」

「別に良いわよ。はい」


 ミシュリーヌ様はそう言うと、空中に巨大なスクリーンを出現させてくれた。あっ、あいつだ……


「これってリアルタイムですか?」

「そうよ。今は夜で見張りをしてるのよ。多分あと数時間で交代が来てこの魔人も寝るわ」


 スクリーンに映るのは月明かりしかない薄暗い森にある、物見櫓? みたいなやつで見張りをしているのはあの魔人だ。ほとんど周りが映ってないからわからないけど、一応定住する生活なのかな?


「この魔人の名前って分かりますか?」

「ええ、クドゥフェーニって名前らしいわよ」

「く、くどぅふに?」

「クドゥフェーニよ。」

「くドゥフぁーニ?」

「違うわ。クドゥフェーニ。クドゥフェーニよ」


 発音しづらい! 何だよその名前。もうちょっと覚えやすくしてよ。えっと……クドゥフェーニだな。うん、流石に覚えた。


「クドゥフェーニ、ですね」

「そうよ。そんな名前らしいわ」

「発音しづらいですね……」

「そうかしら? 別に普通だと思うけど?」


 神様には発音のしづらさとかないのかもしれないな。それよりもこうしてみてると、普通の人だよね。


「この人って家族とかもいるんですよね……?」

「いるわよ。この集団は全部で十の家族が纏まってるみたいね」

「そうなんですね」


 こうして普通に暮らしているところを見ちゃうと、このまま何事もなく時空の歪みを塞ぐことができて、お互いにもう干渉せず平和に生きていけたら良いのになと思ってしまう。お互いに大切な人もいるんだし。

 相手は殺しに来てるんだから、甘い考えだってことは分かってるんだけどね……


「ミシュリーヌ様ありがとうございます。もう見るのはやめておきます。戦いの時に躊躇いたくないので」


 俺がそう言うと、ミシュリーヌ様は何かを察してくれたのかすぐにスクリーンを小さくして、自分だけが見えるように変えてくれた。ミシュリーヌ様も良いところあるんですね……!

 そんな失礼なことを考えつつ、少し沈んだ気持ちを持ち上げるようにわざと明るい声を出した。


「ではミシュリーヌ様、本を読んでも良いでしょうか!」


 するとミシュリーヌ様の瞳も輝く。本の内容はレシピ集だからね。


「もちろんよ! 私は読んでもよく分からなかったけど、レオンなら分かるのよね? そこに載ってる絵が美味しそうで美味しそうで美味しそうで……もう見るだけで涎が垂れてくるのよ」


 ミシュリーヌ様は俺に本を手渡してくれた。うわぁ……日本語だ。久しぶりすぎる。なんか日本語を見るだけで泣きそうなぐらい懐かしい。

 それに本のカバーの手触りも、カラーでの印刷も、綺麗に撮られたおしゃれな写真も、全てが懐かしい。懐かしすぎて、少し切なくなる。


「日本、ですね」

「……懐かしい?」

「はい。……でもそれだけです。もう俺はレオンですから」


 少し切なくはなるけれど、それだけだ。涙が浮かんでくることもない。日本人が田舎の原風景を見て、自分の故郷じゃないのに懐かしく感じるのと同じだ。


「それなら良かったわ。じゃあレオン、私のスイーツを頼むわよ!」

「ミシュリーヌ様のものではないですけどね」

「私の世界なんだから私のもので良いのよ!」

「ふふっ、確かにそうですね。じゃあ頑張ります」


 俺はいつも通りのミシュリーヌ様に釣られて笑顔になり、本の表紙を開いた。

 おおっ、この本は洋菓子編と和菓子編に分かれてるみたいだ。それにそれぞれのレシピ数もかなり多い。シェリフィー様がたくさんレシピが載ってるのを選んでくれたんだろうな。


 シェリフィー様、本当にありがとうございます!


「ミシュリーヌ様、紙とペンをもらっても良いですか?」

「下界には持って帰れないわよ?」

「それでも大丈夫です。そのメモをミシュリーヌ様に読んでもらうので」


 レシピ本をそのまま読んでもらうのでも良いんだけど、それだと要点が掴めなそうなので、事前に要点をまとめたメモを作り、それをミシュリーヌ様に渡しておく方が良いかなと思ったのだ。


「確かに私もその方が楽で良いわ。じゃあ頑張ってね」


 ミシュリーヌ様はそう言って、机の上に紙とペンを出現させてくれた。よしっ、頑張るかな。

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