第235話 宿の食事と温泉

 部屋でロニーと話していたらあっという間に夕食の時間になり、俺たちは夕食の会場に向かった。

 夕食は部屋で食べることもできるのだけど、食堂で食べることも可能だ。俺たちは十人ほどが入れる食堂を貸し切っての夕食となった。


「ついに夕食ね。楽しみだわ」

「ここは名物の温泉蒸しがありますからね。私も楽しみです」

「そうよね! 夕食で食べられるかしら」


 温泉の蒸気を使って蒸す調理法のことは、温泉蒸しと言うらしい。さっき宿の従業員の方が教えてくれたのだ。

 ついでに夕食のメニューも聞いたところ、温泉蒸しを使った料理が出されるみたいでかなり楽しみだ。


「先ほど聞いたところ、夕食でも温泉蒸しを使った料理が出されるようです」

「そうなのね! それは楽しみだわ」

「夕食でも出されるのか? 先ほど宿の従業員に聞いたのだが、この宿には宿の食事とは別で温泉蒸しが食べられる場所があるらしいぞ」


 そう言ったのはリュシアンだ。


「そうなのですか?」

「ああ、自分で好きな食材を選び出来立てを食べられるらしい。……夕食が終わって少し休んだら皆で行ってみませんか?」


 リュシアンは全員の顔を見回しながらそう問いかけた。それは行きたい。自分で材料を選べるなんて最高だし絶対に楽しい!


「行きたいです!」

「私も行ってみたいですわ」

「確かに気になるな」

「僕もです」

「では決まりですね。夕食後に向かいましょう」


 そうして皆で温泉蒸しに行くことを決めていると、宿の夕食が運ばれてきた。まず運ばれてきたのは前菜のようだ。温泉蒸しの野菜をソテーしてソースをかけたものらしい。

 一口食べてみると口の中に野菜の甘みが広がり、さらにソースがその甘みを引き立てているのが分かる。これ、めちゃくちゃ美味しい。

 

「とても美味しいですね……」

「ええ、驚いたわ。温泉蒸しのお野菜はいつも食べているものより甘いのね。特に人参が美味しいわ」

「私はカボチャが好きです。甘みが引き立っています」


 本当に美味しい。でも素材が美味しいからこそ、ソースはなしで蒸したままのものも食べてみたくなる。それはこの後のお楽しみだな。


「この後に蒸し立てを食べるのも楽しみになりますね」

「そうだな。これは期待できる」


 前菜が終わると次はスープとパンが運ばれてきた。その二つはいつも通りだろうなと思っていたけれど、そんなことは全くなかった。なんと、パンがいつもの焼いたパンじゃなかったのだ!

 説明によると、温泉蒸しで作った蒸しパンらしい。食感は結構ふわふわとしていて、日本で食べた肉まんの皮部分だけという感じだった。この世界にも蒸しパンがあったなんて驚きだ。これがあれば肉まんとか色々作れるよね。

  

 でもこのふわふわした蒸しパンはこの高級な宿ならではだそうで、この街で普通の人が一般的に食べている蒸しパンはもっともっちりとしていて重い食べ物だそうだ。

 多分膨らます技術があまり浸透してないのだろう。普通に焼くパンも、貴族の間や一部のお店だけでしかふわふわのパンはないからね。


「このパン、とても美味しいですね」

「ああ、いつも食べているものとまた違って良いな」

「私これ好きですわ」


 皆の反応からして、王都でも蒸し料理を広めたら人気出そうだよね。今後ジャパーニス商会のお店で蒸し料理を出すことも考えてみようかな。


 そうしてこの街特有の食事もいただきつつ夕食は終わった。凄く美味しくて満足だ。でも満足だからこそ、温泉蒸しに行くのがより楽しみになったな。蒸し立ては絶対に美味しいと思う!


「これはこの後が楽しみだな」


 そう呟いたのはステファンだ。やっぱりそう思うよね。温泉蒸し早く行きたいけど、流石に少し休まないとお腹に入らないかな。


「この後はどのような予定にいたしますか? 流石にすぐ温泉蒸しは食べられないかと思いますが……」

「そうだな。各自部屋で休んだ後温泉を堪能し、その後で温泉蒸しに向かうのはどうだ?」

「私はそれで構いません」

「私も問題ありませんわ」


 その提案に皆が頷いたので、この後の予定は温泉に入ってから温泉蒸しに行くことになった。


「この宿の温泉はどのような仕組みなのでしょうか?」

「確か、大浴場と貸切風呂があるのだったな」

「そうなのですね。ステファン様はどちらに入られるのですか?」

「私は貸切風呂だ。王族は不特定多数の前で無防備に裸を晒すわけにはいかないからな。危険を回避するためにも仕方がないことだ」

「そうなのですね……」


 確かに裸になるって結構危ないよね。もし誰かに狙われてたりしたら隙を作るようなものだ。それに、裸を他人に晒すという行為自体が避けるべきことなのだろう。


「ではリュシアン様も貸切風呂ですか?」

「ああ、そうなるな」


 どうしようか。俺も貸切風呂にしたほうがいいのかな? でも大浴場も捨て難いんだよなぁ〜。諦めきれない。

 俺は小声でロジェを呼び、まずはロジェにお風呂の作りを尋ねることにした。


「ロジェ、貸切風呂は露天風呂ってあるの?」

「いえ、露天風呂は大浴場のみだと聞いております。貸切風呂は五人ほどが入れる大きさのお風呂だそうです」

「大浴場は?」

「大浴場は数十人が入れるほどの広さだと聞いております」


 うぅ〜、やっぱり大浴場が良い! 俺は平民だから裸を晒すこと自体に問題はない。後は危険かどうかだけど……まあ、襲ってくる人がいたら自分でなんとかできるよね。

 だからいいかな……?


「そういえば、お風呂に入るときはロジェの手伝い付きなの? 大浴場でも?」

「いえ、貸切風呂の場合は従者が入れますが、大浴場の場合は禁止されております」

「……この宿って高級宿なんだよね? 貴族が基本泊まるのなら、それだと大浴場を使う人なんていないんじゃない?」

「いえ、この宿は基本的に商人が使うのです。もちろん貴族様方が泊まられることもあるのですが、その場合は貸切風呂をお使いになられることがほとんどのようです」


 商人なのか……確かに貴族って意外と忙しいし領地から離れられないことも多いし、温泉地に旅行に来るのは商人の方が多いのかも。


「そうなんだ。あのさ、俺は大浴場でも問題ない?」

「……そうですね。できれば貸切風呂か部屋のお風呂を使用していただきたいですが、どうしてもと仰られるのであれば大浴場でも問題はありません」

「じゃあ、俺は大浴場でいいかな!」


 俺は大浴場に行く許可が出たことがかなり嬉しくて、それまで小声で話していたのに思わず大きな声を出してしまった。


「なんだ、レオンは大浴場に行くのか?」


 リュシアンにそう聞かれた。皆にも聞こえちゃったみたいだ。


「はい。皆様が貸切風呂を使用される中で申し訳ないとは思うのですが……」

「いや、別に構わないぞ。レオンは風呂をかなり楽しみにしていたみたいだからな。私はそこまで風呂にこだわりはない」

「私もだな」

「そこまでして大浴場に入りたいとは思えないわ」


 そーなの!? 皆は温泉の良さを分かってないよ。大浴場って最高なのに。露天風呂なんて至福だよ!

 そう言って皆に温泉の良さを説こうかと思ったけど、結局皆は入れないんだと思い反論する寸前で踏みとどまった。やっぱり貴族や王族は大変だよね……


「ロニーはどうする?」

「僕? 僕はもちろん大浴場に行くよ」

「じゃあ一緒に行こうか」

「うん!」



 それから部屋で一時間ほど食休みをして、各々風呂に向かった。今俺は、ロニーとともに露天風呂に入ったところだ。


「うぅ〜、温泉が体に染み渡る……最高すぎる」


 俺は肩まで温泉に浸かりだらっと体の力を抜いた。横にいるロニーはそんな俺を呆れた目で見てくる。


「レオン、さっきからおじいちゃんみたいだよ?」

「だって、温泉が気持ち良すぎるんだ……」

「確かに気持ちいいけど、そんなにかな?」

「そんなにだよ……」


 本当にすっごく気持ちいい。やっぱり温泉ってお風呂とはまた違うよね。体がほぐれる気がする……


「僕は従業員寮に住み始めてからお風呂に入るようになったけど、まだお風呂に浸かる気持ちよさは理解できないんだよね……逆に苦手かも」

「……そうなの?」

「うん。だって綺麗に体を洗ったら、お湯に入る意味なくない?」

「うーん、なんて言うんだろう。こう、体がぽかぽかになって疲れが取れる感じがしない?」

「……そう? 逆に疲れない?」


 疲れる? お風呂に浸かると疲れることなんてあるかな。俺はもう慣れてるからわからないだけとか?


「俺は疲れないけど……。どんな感じになるの?」

「……風邪を引いた時みたいな感じかな?」

「それって浸かる時間が長すぎるんじゃない? 暑くなってきたら止めるとか、半身浴にするとかしてみたらいいかも。後は水分補給をしっかりすれば大丈夫じゃないかな」

「そうなの? じゃあこれからは工夫してみるよ」


 そこまで話したところで二人の間に少しの沈黙が流れたので、俺は露天風呂をぐるっと見回してみた。するとちょうどさっきまでいたおじさんとお兄さんがいなくなり、露天風呂には俺とロニーだけだ。

 誰もいなくなったってことは……あれをやっても良いかな。


 何かというと、温泉で泳ぎたい!


 俺は日本人だった頃から、広い温泉で泳ぐのが憧れだったのだ。泳ぐと言ってもクロールとかじゃなくて、顔を付けない静かな平泳ぎぐらいだけど。

 日本だと温泉プールみたいなところでしかできなかったから、この世界で夢を叶えたい。この温泉はかなり深めだし、ちょっとぐらい良いよね。

 

 水面に顔を出したままでさりげなく平泳ぎで泳ぎ始めると、ロニーに不審者を見るような目で見られた。


「レオン、何してるの?」

「ちょっとだけ泳ごうかなと思って」

「……何でここで?」

「うーん、気持ちいいから?」

「そうなんだ。……というか、なんで泳げるの?」


 そうだ、この世界の人ってほとんどの人が泳げないんだった。泳ぐには川に行くしかないけど、わざわざ川まで行って泳ぐ人はあんまりいないから。


「森の中に川があって、そこで練習したんだ」

「へぇ〜凄いね。僕からみたら変な動きだけど」

「これだと顔を出したまま泳げるし、結構便利なんだよ。水飛沫も立たないし。ロニーもやってみる?」


 俺のその言葉に、ロニーは興味があるのか悩んでいる様子だ。


「そんなに難しく考えないで一度やってみたら? 足はこんな感じで、手はこんな動き」

「えっと……こう?」


 バシャバシャバシャ……ブクブクブッ……


「ロ、ロニー!? 大丈夫!?」


 ロニーは泳ぎ始めたと思ったら、溺れかけの人のようにもがいて沈んでいった。

 助けるために急いでロニーのところに向かうと、俺が手を貸す前にロニーが自力で起き上がった。そうだよね、温泉はそんなに深くないから足を付けば顔は出るもんね。

 でも、かなり焦った。


「ロニー大丈夫?」

「うぅ、レオン。まずい……」

「温泉飲んじゃった? 大丈夫?」

「うん、多分大丈夫……。それよりも難しいね。レオン軽くやってるけど」

「慣れればできるんだよ。ロニーも練習すればできるよ」

「そっか、じゃもう一回やってみる!」


 それからはなぜかロニーの負けず嫌いが発揮され、適度に温泉から出て体を冷やしつつ泳ぎの練習を続けることになった。

 

 途中で思ったよ、俺たち温泉で何やってるんだろうって。でもロニーが意外と真剣で、止めるに止められなかったのだ。

 途中で誰も露天風呂にこなかったことも幸い、いや、災いした。


 その結果、すっかり二人とものぼせて部屋でダウンすることになった。本当、馬鹿なことやったなぁ。でもそれが楽しかったりするんだよね。

 そうして俺達はお風呂を出た後、皆との約束の時間までとにかく体を冷やしながら寝て過ごした。

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