第214話 緊急の知らせ

 ヨアンに呼ばれてお店を訪れてからさらに数週間。

 その間に俺は頻繁にお店に顔を出した。まずやったことは、ヨアン達料理人の意見を聞きながら色々な道具を作り直すことだ。絞り袋は革製じゃなくて布製の方が良いことがわかり、コットンのような素材を最終的には選んだ。金具部分は鉄じゃなくて錆びにくい金属に変更した。

 さらに道具作成だけではなく、給仕担当の練習でお客様役をやったり、護衛担当の練習で襲撃者役をやったり、結構忙しい毎日を過ごしていた。


 しかし学生の本分も忘れてはいない。しっかりと王立学校にも毎日通い授業を受けている。

 今はちょうど歴史の授業を受けているところだ。先生の言葉が子守唄に聞こえながらも、必死に目を擦って頑張っている。

 ……歴史の授業って、なんでこんなにも眠くなるんだろう。かなりのおじいちゃん先生が、小さな声で一定のトーンで喋り続けてるのがダメなのかな。しっかりと聞き取ろうと耳を澄ましていると、気づいたら目が閉じてるんだ。

 ダメだ、寝るなんてダメだ。頑張れ俺。


 そう自分に言い聞かせて何とか歴史の授業を聞いていたそのとき、教室に誰かが入ってくるのが見えた。

 俺はその人物が使用人の服を着ているのを見て、またいつものやつか、そう思った。この学校では何か急用があった場合、生徒の従者やメイドが連絡を伝えにくることが結構あるのだ。急用と言っても来客があるから帰ってこいとか、食事に出かけるから帰って来いとか、結構どうでも良い内容だったりする。

 この世界は学校第一じゃなくて家のことが優先されるからな……、そんな感じで早退したり遅刻してきたりする人は結構いるのだ。

 だから今日も誰かが帰るんだろう。そんな風に呑気に考えつつその使用人の顔を見てみると……、まさかの、ロジェだった。


 ……え? 何かあったのかな? ロジェが来ることなんて今まで一度もなかったのに。


 俺はタウンゼント公爵家に来客があっても呼ばれることはない。俺が必要な場面と言ったら……誰かが大怪我をしたとか?

 そう考えたら、心臓がどきりと嫌な音を立てて鳴った。手足が冷たくなり冷や汗が滲んでくる。


 いや、まだそうと決まったわけじゃない。何でもないことかもしれない。大丈夫だ。

 そう自分に言い聞かせていると、ロジェが先生に一言断りを入れ俺の席までやってきた。皆は珍しい俺の従者をジロジロと見ている。


「ロジェ、どうしたの?」


 俺はかろうじてロジェに聞こえるかどうかという声の大きさでそう聞いた。


「レオン様に至急お伝えしなければならないことがございます。ここでは詳細は述べられませんので、まずは馬車まで参りましょう」

「わかった」


 そうして俺は慌ただしく鞄に荷物を片付けて、心配そうにこちらを見ているロニーを安心させるように少しだけ頷いて、教室を出た。

 そして急いで馬車に向かい、すぐに乗り込む。


「ロジェ、何があったの?」

「レオン様、落ち着いて聞いてください」


 ロジェがいつになく真剣な表情でそう言ってきた。


「……うん。わかった」

「先程、レオン様のご家族に付いていた影の一人から連絡が入りました。レオン様のご実家が、何者かに襲われたようです」


 ……俺の実家が、襲われた?

 

 俺は一瞬何を言われたのか理解できずに思考が停止してしまったが、じわじわと言葉の意味を理解し始める。そしてそれと同時に、体全体が冷たくなっていくのを感じた。


「み、皆は!? 母さんと父さん、マリーは!?」

「落ち着かれてください。皆様ご無事です」


 無事。無事なのか……


「よ、良かったぁ〜」


 俺は一気に体の力が抜けて、椅子からずるずると滑り落ちてしまった。


「レオン様、大丈夫ですか?」

「……うん。俺は大丈夫。ちょっと力が抜けちゃって」


 俺はロジェにそう答えつつ、また椅子に座り直した。


「皆は怪我してないんだよね?」

「はい。皆様は傷一つないとのことです。しかし、ご実家は争った影響でかなり酷い有様のようでして……。それから、イアンが怪我をしています」


 イアンって……、イアン君!?


「イアン君怪我してるの!? すぐに行って治してあげないと!」


 俺は慌てて立ち上がり、その場ですぐに転移を使おうとした。しかし、寸前でロジェに止められる。


「レオン様お待ちください! 急にレオン様が現れるのは不自然ですので、このまま馬車で向かうことになっています。イアンは命に別状はありませんので大丈夫です。そこまで酷い怪我ではないようですので、普通の治癒師にも治癒できるでしょう」

「……そっか、確かにそうだね。止めてくれてありがとう」


 最近よく転移を使ってたから思わず使いそうになっちゃったよ。気をつけないとだな。


「イアン君が酷い怪我じゃないのなら良かった。でも、治癒院に行くとお金かかるし俺が治してあげたいな。イアン君は巻き込まれただけなんだし……」


 俺がそう言うと、ロジェは少しだけ悩む仕草をした後に口を開いた。


「いえ、イアンは公爵家で治療を受けると思われますので大丈夫です。実はレオン様にお伝えしなければならないことがあります。……イアンは、タウンゼント公爵家の影なのです。皆様を一番近くでお守りするために、従業員として平民になりきり働いておりました」


 …………え、そうだったの!? 全く気付かなかったよ。


「全く気付かなかった……。影の人たちって、隠れて護衛するだけじゃないんだね」

「はい。時には何者かになりきって、表から護衛をすることもございます」

「そうなんだ。というか、イアン君が影だって伝えて良かったの?」

「今まではイアンが護衛であることを周りに気づかれないように、また護衛対象者であるレオン様のご家族が怖がらないようにと秘密にしておりました。しかし、今回のことでレオン様のご家族には正体を明かすことになりますので、レオン様にもお伝えすることに問題はありません」

「そうなんだ。というか、ロジェは影について詳しいんだね。それにイアン君のことを呼び捨てにしてたし……、友達なの?」


 俺はロジェにも友達がいたんだということに感動して軽い気持ちでそう聞いたんだけど、ロジェは俺のその言葉に顔を暗くした。


「いえ……、その……」


 そしてそう言ったきり、口を閉じて俯いてしまった。凄く珍しいことだ。……何かあるのだろうか?


「言いづらいことでもあるの? それなら無理には聞かないけど」

「……いえ、いずれお伝えしなければならないことですので。大旦那様にもレオン様にお伝えして良いと許可をいただいておりますし……」


 ロジェはそう言うと、顔を上げて俺の方をしっかりと見た。そして口を開く。


「レオン様、実は私も……、影に所属しているのです。今までお伝えせずにいて申し訳ございませんでした」


 ロジェは暗い表情でそう言った後、静かに頭を下げた。


「えっと……じゃあ、ロジェもイアン君と同じように、俺の従者として俺の護衛をしてたってこと?」

「おっしゃる通りです」


 ……そうだったのか。確かにロジェって、身のこなしとか軽くて凄いって思ってたんだよね。

 でもそれ、そんなに言いづらいことかな? 俺がそう思って少し首を傾げていると、ロジェが恐る恐る聞いてきた。


「レオン様、これからもレオン様の従者として、お仕えさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「え? 逆にロジェやめちゃうの!?」

「いえ、レオン様は隠し事をするような従者はお嫌かと思いまして……」

「そんなことないよ! いや、できれば隠し事してほしくないけど、人には言いたくないことは誰にでもあるし。それに、ロジェの場合はリシャール様に口止めされてたとかじゃないの?」

「はい。レオン様が緊張されないように、生活に慣れるまでは秘密にしておくようにと」

「それならロジェが秘密にしたわけじゃないよ」

「ですが……本当ならばもっと早い段階でお伝えすべきだったのです。しかしレオン様にお伝えしたら怖がられるのではと思い、言えずにここまできてしまいました……」


 怖がる? 何で俺が怖がることになるんだ?


「俺がロジェを怖がることなんてないよ?」

「ですが、近くに暗器を使える者がいるのは、嫌ではないかと思いまして……」


 暗器、ロジェが使えるのか!


「暗器使えるの!? カッコいい!」

「カッコいい……ですか?」

「うん! え、今も持ってるの!?」

「レオン様の護衛も兼ねていますので、常日頃持ち歩いておりますが……、怖くは、ないのでしょうか?」

「心強いと思うことはあるけど、怖いって思うことはないよ?」


 俺も鍛えてるし魔法はかなり得意だけど、不意打ちとかには弱い。やっぱりその辺は経験値の差がものを言うんだ。だからロジェが強いってわかったらかなり心強い!

 強いのは誇ることで隠すことじゃないと思うんだけど、何でそんなに怖がられるって思うんだろう。


「怖がられたことがあるの?」

「……仕事上のことで詳しい話は言えないのですが、私がまだ幼かった頃、今回のイアンのように護衛対象を守りました。しかしその時に、護衛対象に怖いと言われてしまって……、私の力は怖いものなんだと思いました」


 守った人に怖いって言われたのか……それはトラウマになるのかも。しかも子供の頃のそういう経験ってずっと覚えてるものだよね。


「その人はロジェのことを怖いって言ったんじゃなくて、襲ってきた人のことも含めての言葉だったんじゃないのかな?」

「そうでしょうか……?」

「その可能性もあると思うよ。それにその人がロジェのことを怖いって言ったとしても、俺はロジェのことを怖くないからね。逆に心強いよ」

「心強い、ですか?」

「うん! だってロジェが守ってくれるんでしょ?」

「もちろん、お守りいたします」

「ありがとう。頼りにしてるよ!」


 俺がそう言うと、ロジェは一瞬だけ泣きそうな表情を見せた。しかし、直ぐに深く頭を下げて顔を隠してしまう。もうちょっと珍しい表情を見てたかったのにな……

 まあ、流石にここで顔を覗き込むなんてことはしないけどね。俺は空気の読める大人ですから! 


 ……自分で言うと軽い感じになるな。


 そんな馬鹿なことを考えていると、ロジェが顔を上げた。


「レオン様、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。従者としても護衛としても、レオン様のお役に立てるように頑張ります」

「うん! 頼りにしてるよ。これからもよろしくね」

「はい」


 そうして少しだけ微笑んだロジェの表情は、今までで一番晴れやかなものだった。

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