第60話 試験の準備

 公爵領に行ってから六十日ほどが経過し、遂に明日は試験日となった。

 この期間はゆっくりと過ごした。勉強をしようかとも思ったが、もうやることがないので早々にやめた。歴史も試験範囲は本当に表面的なことだけなので、覚えることは少ないのだ。もっと深い歴史を知りたいと思うが、そこは授業で教えてもらえるのだろう。

 それから毒消しの魔法の練習も上手くいかなかった。冬にはちょうど良い毒がなかったのだ。一番お手軽に手に入るのがじゃがいもの芽なので、春になったらやろうと思う。


 今日はロジェが家まで迎えにきてくれる予定だ。確か来てくれるのは午後だったから、俺は午前中に準備をして、馬車が来るのを待っている。


「レオン、明日の試験頑張りなさい。あなたなら大丈夫よ」

「レオンなら、落ち着いてやれば大丈夫だよ」

「母さん、父さん、ありがとう。頑張ってくるね!」


 今日は、母さんと父さんの方が落ち着かないみたいだ。俺に落ち着いてと言っているが、二人の方がそわそわしている。俺は思わず笑ってしまった。


「ははっ……二人の方が落ち着いてよ。俺なら大丈夫だから」

「そうね、レオンなら大丈夫よね。もちろん母さんは信じてるのよ」

「父さんもだよ。でも急にお腹が痛くなったらとか、貴族に絡まれたらとか、色々心配が……」

「父さん、そんなこと言われたら逆に緊張してくるから」

「ごっ、ごめん!」


 父さんはさらに慌てている。俺の周りを歩き回っている。父さんそろそろ落ち着こうか……

 でも俺は、そんな二人の様子を見て逆に冷静になれてる気がする。慌ててる人を見てると逆に冷静になれるって本当なんだな。


 そんな感じで食堂の椅子に座って待っていると、ドアをコンコンと叩く音がして「ロジェと申します」と声が聞こえた。

 俺は椅子から立ち上がって、すぐにドアを開けた。


「レオン様、お迎えに参りました」

「ありがとう。もう準備も済んでるからすぐ行くよ」


 俺はそう言って準備した荷物を持ち、母さんと父さんの方に振り返った。


「母さん、父さん、頑張ってくるね」

「ええ、頑張りなさい」

「レオンなら大丈夫だよ」


 二人は、なんとか不安を表に出さないようにしているのか、少しぎこちない笑顔を浮かべている。

 俺はそんな顔を見てまた笑ってしまった。


「ははっ……二人とも変な顔だよ」

「ちょっと、公爵家の使用人の方の前でそんなこと言わないの! えっと、ロジェさんでしたよね? レオンをよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 母さんと父さんはロジェに向かって、深く頭を下げている。ロジェは頭を下げられることがあまりないからか、少しだけ慌てているように見えたが、すぐにいつもの表情に戻った。さすがロジェだな。


「はい。レオン様にしっかりとお仕えさせて頂きます」


 そう言ってロジェも頭を下げた。

 お互い頭を下げ合う異様な光景になってるよ。俺は間に割って入った。


「母さん、父さん、じゃあ行ってくるね。試験終わったら帰ってくるから」

「ええ、頑張りなさい。ご馳走作って待ってるわ」

「レオン、頑張るんだよ。いってらっしゃい」

「行ってきます!」


 そうして俺は、ロジェとともに馬車に乗り込んで公爵邸に向かった。



 公爵邸に着くと、すぐにいつもの客室に通された。この部屋は、これから俺がこの屋敷に住む時にも使っていいようで、俺の部屋となったらしい。エリザベート様から頂いたお礼の品も置いてある。改めて見ても豪華すぎるな。


「レオン様、明日のご予定ですが、公爵家の馬車でリュシアン様とともに王立学校までお送りします。馬車は途中までしか入れませんので、そこからは試験会場に歩いて向かって頂きます。身分で試験会場が違いますので、受付をお間違えのないよう、お気をつけください。こちらが受験票ですので、受付にお渡しください」


 そう言ってロジェが渡してくれたのは、小さな紙だった。俺の名前と受験番号、所属が書かれている。所属のところにはタウンゼント公爵家と書かれてるけど、これって所属がない人はどうするんだ?


「この所属がない人ってどうするの?」

「所属がない方はあまり受験されません。貴族の子であれば自分の家が所属となりますし、平民でも受験するような子供は商家の子が多いので、商会が所属となります。そのどちらにも属さない場合は、住んでいる地区の教会を所属とすることが多いそうです。所属は受験結果が届けられる場所になるので、わかりやすいところにするのでしょう」


 そういうことなんだ。俺は平民なのに、タウンゼント公爵家所属ってめちゃくちゃ目立ちそう。他にも平民で貴族の所属って人いるのかな?


「平民なのに、貴族家が所属になってる人って他にもいるの?」

「ほとんどいないそうです。ただ、騎士として騎士爵を持っている方が、剣の才能のある平民を騎士にするため、王立学校に通わせるというのは稀にあるようです」


 ということは、公爵家所属の平民は常識ではあり得ないってことか……

 普通に友達ができるといいな……怖がられるか、嫉みでいじめられるかの未来しか見えて来ないよ。


「明日の予定の続きですが、試験が終わりましたら、朝に馬車を降りた場所までお戻りください。公爵家の馬車が待機していますので、リュシアン様とともにお帰りいただければと思います」

「わかったよ、ありがとう。今日この後って予定ある?」

「本日のご予定は特にありません。夕食は公爵家の皆さんと、食堂で食べて頂くことになっています」


 じゃあ、あと一時間くらいしか時間ないな。中途半端な時間だし、ここでのんびりしてるか。

 そうして俺は、ロジェが淹れてくれたお茶を飲みながら、ゆっくりとした時間を過ごした。

 明日の試験は大丈夫だと思うけど、やっぱり少し緊張するな。まあ、不合格ってことは流石にないと思う。


 でも、ハプニングはあるからな。日本で試験を受けたときは、何かあったっけ? こういう時は経験を生かさないと。

 そういえば、シャーペンの芯を入れ忘れてて、試験中に芯が終わりかけて焦ったことがあった。あの時はめちゃくちゃ焦ったんだよな。辛うじて最後まで書き切れたんだよ。でも確かあの試験落ちたんだよな〜、やっぱり焦ってるとダメなんだ。明日は平常心で行こう。

 あれ…………? 俺はそこまで考えて、重大なミスに気づいた。やばい、もしかしてかなりやばいかも……


 俺、自分のペン持ってないじゃん!!


 この世界の試験って、自分でペンを用意するのかな? 俺持ってないよ!? この世界はペンって高級品だよね。借りたりできるのかな?

 平常心とか以前の問題じゃないか! なんで気づかなかったんだろう。


「ロジェ! 試験って自分のペンを持っていくの? それなら俺、自分のペン持ってないよ」


 俺が慌ててそう言っても、ロジェは全く動揺していない。え? ペンって借りられたりするの? 大丈夫なの?


「レオン様、ペンがない者や忘れてしまった者には、学校で貸し出しをしています。そこまで慌てる必要はありません。それから、レオン様のペンやインクは、大旦那様が用意してくださいました」


 借りられるのにも驚きだけど、リシャール様が用意してくれたの!?

 ありがたいけど、めちゃくちゃありがたいけど、恩ばかりが積み上がっていくよ。本当に申し訳ない。

 あとでお金を払いたい。でも、受け取ってくれないんだろうな。とにかく夕食の時にお礼を言わないと。


 でも、今回は本当に助けられたな。もっとしっかりしないとダメだ。試験が終わったら、王立学校で必要なものをちゃんと聞いて、入学前に買い揃えに行こう。


「こちらが、レオン様のペンとインクです」


 そう言ってロジェが持ってきてくれたペンは、シンプルで使いやすそうな物だった。銀行で借りたペンもこんな感じだったから、一般的なものなんだろう。金属で作られてていて、インクをつけて書くタイプだ。


「ありがとう。他に明日必要なものってある?」

「他にはないかと思われます」


 じゃあ、とりあえずゆっくりできるな。ペンのこと忘れてたのはちょっと焦ったけど、とりあえず大事にならなくてよかった。

 俺は問題にならなかったことに安心して、少し力が抜けたので、そのまま力を抜いてソファーに身を沈めた。ちょっとお行儀悪いけど、ロジェしかいないからいいか。

 そう思って夕食までゆっくりと休んだ。

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