第8話 温い風に、流される。

 若干、いやかなり動揺はしていたけれどひとまず残りの牛乳を飲み切った。一連の会話をしていた間飲まなかったからひどく喉が渇いていたが、舌に感じるのは少し温くなって口に残る味で私の期待したような味はしなかった。どうにもスッキリしない気分だ。ああ見えて用心深い姉さんが、彼女の秘密ごとを片鱗だけでも見せることがひどく珍しかったからだろう。

 

 「どうしたんだい?」


私が動揺している間に風花が二階から降りてきていた。私が言ってもいいのか、言ってはいけないのかと逡巡しているうちに、元からたいして興味はなかったのか触れない方がいいと判断したのか、風花は冷蔵庫からオレンジジュースをコップに注いで飲んだ。それから私の方をチラリと見て、


「京ちゃんを探しにきたのだけど、ここにいないということは風呂かな?」


と問うてきた。それは最早問いかけというには独り言に近いくらい相手を意識していないものだったけど、確かに私に対しての質問だと分かった。このタイミングで姉さんの名前が出てくるというのは、色々と姉さんのことで動揺していた私にとってはかなりドキリとするものがあったが、それと同時にスッと頭が冷静さを取り戻した。ショック療法というやつかもしれない。


 「京ちゃんなら、今風呂だよ。」


 努めて冷静に、取り敢えずそれだけ答えた。風花は答えた私の目をジッと見つめてから、


 「そっか。ありがとう。」


 と答えた。その宝石のようなダークグレイの瞳に色々とそう、今ここであったことも見透かされているんではないかと冷や冷やしたが、幸いにも彼女は私に何も聞かず、


 「じゃあ、ここで待っていようかな。」


と呟いて、テレビの前に据えられたソファに座り流れていたテレビのチャンネルを回した。次々と画面が切り替わり、一分とかからずに画面には淡々と原稿を読み上げるアナウンサーが映された。風花はそれを見るとも無しに眺めながら、ボンヤリと何かを考えている。

 呑気な風花を見て、すっかり私は我に帰ってしまった。そうだった。明日もテストはあるんだった。勉強をしておこうと、台所を出て、自室に行くことにした。


 

 いまいちやる気が出ない。自室に戻ってから30分はたっている。勉強をしようと思って取り敢えず取り出したシャープペンシルは机の上に転がっている。やる気が出ないのはいつものことだ。そもそも何かに対して本気になるという経験が私には乏しい。テストの前日にこれでは色々とダメだと思う。万が一のために備えられるだけのテスト対策をするべきだ。終わったらご褒美がある訳だし。

 

 



 ーそう。それは昨日のことだった。

みんなで帰る途中、

 

「テスト疲れたなぁ〜。」


と七緒が呟いた。それに対して雅が


「そうねぇ。緊張してしまうからかしら。」


と相槌をうった。その雅に対して、弓弦が


「テスト頑張る。から、ご褒美が欲しい。」


と言った。弓弦が何かを要求するのが珍しいということもあってか真剣な表情でしばし考え込んだ雅が、


 「そうね…。みんなで遊園地でも行こうか?ありきたりだけど。」


 と言った。志貴が、


「いいね。」


と賛同し、


 「お化け屋敷以外ならどんとこいだよー。」


と七緒が言って、弓弦はほんの少しだけ残念そうな、けど嬉しそうな顔をして、


「そういうのじゃない。けど楽しそう。」


と言った。何がどうそういうのじゃないのかはよく分からなかったが、私も遊園地はあまり行かないからたまにはいいと思う。


「どこの遊園地にする?」


私が聞くと、みんな数秒と間をおかずに


「そりゃスタジオパークでしょ。」


と声を揃えた。


スタジオパークというのは有名な映画などをモチーフにしたアトラクションが沢山ある遊園地で、子供から大人まで幅広い年代に人気がある観光地だ。


 まぁ、遊園地といえばそこになるだろうとは思っていた。近いし、大規模なので目一杯楽しめる。私も久しく行っていないので一も二もなく賛同し、いつもの1組メンバープラス七緒でテスト終わりに遊びにいくことを決めたのだった。


 そう、だから取り敢えず明日を乗り切らなくてはならない。明日テストが終わったら何処かファミレスかカフェかどこかに寄って、出掛ける予定を話し合うことまで昨日のうちに決めている。要するに後十二時間程度頑張れば自由なのだ。


 机の上に置いてあったスマホがピコンと音をたてて、RAINの一年一組メンツプラス七緒のグループに通知が来たことを知らせた。開くと、雅が明日の集合についてリマインドしていた。雅は落ち着いた性格だが、はしゃぐ時ははしゃぐから今もかなり楽しみにしているんだろうな、と思っていたら、ピコンピコンと次々に音がなってメッセージを受信したことを知らせる。騒がしいグループトークを眺めていたら風花との個人チャットに連絡が来ていた。見ると、


風花『明日の集まりって何のこと?』


ときていた。そうか、彼女はあの場にいなかったからよく分からないだろう。


時雨『試験終わったら遊園地に行くことになったから、その相談。』


と返したが、そういえばまだ彼女がくるかどうかも聞いていない。


時雨『来る…よね?』


自信がなくなってきたが、彼女はこういうイベントには適度に乗り気な方だと思う。


風花『もちろんだよ。ありがとう(^ ^)』


と返ってきた。同じ家なのにわざわざメッセージを交わすというのはあまりないことだから少し新鮮だ。


時雨『了解。おやすみ。』


会話を終わらせて私はまた、明日の科目の勉強に取り掛かった。頭をよぎる姉さんとの一連の会話も、明日の楽しいお出かけもひとまず忘れて英単語の確認をもう一度する。数学の問題も公式を見直して、準備は万全だ。

 洗面所で歯ブラシを取って鏡に映る自分を見つめた。みんなが秘密を持っているように私にも。それを他人に言うつもりはなかった。その必要もない。けど今日、姉さんのおそらく秘密だったであろうことの片鱗を見て私のもいつかバレてしまうのかもしれない、と思った。もしそういうことがあったとしても、私にはどうしようもないことだけど。


 洗面所の開いた窓からふわりと風が吹き込む。どうしようもなく温い風だった。

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