第5話 貴方の笑顔で。

 風花先輩は、留年しているけどとても頭がいいので、靴を履き替えてから彼女用に先生方が力を惜しまず出し切って作った特製のテストを受けに、普段は誰も使っていない空き教室に向かった。ただ、先生たちがどんなに頑張って作成したテストだとしても彼女はスラスラ解いてしまうのだろう。


 その頭脳を分けてほしい。

 

 一年一組の教室は一号棟2階にある。階段上って一番端の教室だ。教室に着くと、数人の生徒が勉強をしていた。中には普段ならこの時間には見ないような顔もいる。そして、その数人の中には雅と弓弦もいた。弓弦はいつも通り少し、いやかなり眠そうな顔をしながら、社会の教科書を開いて一問一答をしているようだ。いつもならこの時間は突っ伏している彼女としてはかなりの頑張りである。そして弓弦の扱いに慣れている雅は、今日も穏やかに笑って相手をしている。

 一生懸命勉強しているみんなの邪魔をしては悪いから静かに教室に入った。自分の席に向かう途中、雅と弓弦に


 「おはよう。」


と小声で挨拶をすると、


 「何かいいことあった?今日嬉しそうだね。」


と聞かれたので、


 「あったよ。」

 

 応えた。二人とも口を揃えて、


 「帰ってきた?」

 

 と聞いてくるのがおかしくてついつい笑ってしまったが、そんな私を見て二人とも察したらしく、嬉しそうな顔を見せた。風花先輩は風来坊で適当な性格で少しミステリアスだけど、そういう雰囲気が、というか彼女の性格がなのか人々を惹きつけているようで、一年一組の人は大体彼女と仲が良い。二人も例外ではなかった。

 あんまり二人に勉強を中断させるのも申し訳なかったから早々に立ち去って自分の席に座った。私の席は窓側に近く五列あるうちの一番左の前から四番目だった。横に六列並ぶ教室において前から四番目というのはぎりぎり後ろといえる位置であることが、この席になって嬉しかったことである。もう一ついいことがあったとするのならば、風花先輩と志貴の席も割と近いということだろうか。風花先輩は私の二つ前、志貴は私の斜め後ろの席だ。雅と弓弦は残念なことに少し遠めではあるが、同じクラスであるだけでコミュニケーションは取りやすいものだ。


 私は前後の人に軽く朝の挨拶をして、席について少し荷物の整理をしてから、テスト前に大体作っているまとめノートを開いて要点について復習をし始めることにした。

ページをぱらぱらとめくりながら要点を一応抑える。この高校における中間試験というものが一体どれくらいのレベルのものなのかは不明だが、全国で五本の指には入るくらいの有名大学である月崎大学に内部進学で進めるということは、それなりに難しいのだろうと思う。月崎大学には毎年約三千人が入学する。月崎大学附属高校の一学年の人数は約500人だから実に月崎大学の入学生の六分の一が月崎大学付属高校の内部進学生ということになるわけだ。もちろん、外部から入る人たちで言う入試にあたるようなテストを私たちも受けて、落ちた人はそのまま大学に進むことはできないが。テスト前だというのに気もそぞろに、取り敢えずしばらく復習をしたところで眠たくなって来た。私はいつも教室に朝早く来て少し勉強をしてから、ちょうど今頃7時45分くらいから8時10分くらいまでは大体寝ている。寝てしまおうか、いや今日はテストの当日だしさすがにそれは良くないのではないか。第一誰かが寝ているところなんて見たらモチベーションが下がらないだろうか。


 いろいろ考えているうちにいつのまにか寝ていた。よくあることだ。いろいろな場面で今寝てもいいものか、と考えているうちにいつのまにか寝入っている。時計をちらりと見ると既に8時5分だった。椅子の下にしまってある鞄をとるために後ろを向くと志貴が来ていることに気づいた。テストに向けてラストスパートをかけているようで集中して何かの問題集を解いている。話しかけようか話しかけまいか迷っているうちに志貴の方が気づいて顔を上げた。


 「あぁ…。起きたか、おはよう時雨。」


「おはよ〜。」


 小学校前からの馴染みである志貴は私が寝るのが好きなことをよく知っているから慣れた反応をする。だから私も彼女が慣れていることを知った上での反応を返す。


 「何してるの?」


「社会だよ。」


「ふぅん。」


 小声でひそひそと会話をする。志貴は社会が苦手だから、社会ばかり勉強している。でも点数は社会のとこだけいつもめちゃくちゃ悪い。その度に彼女は、「何故だ…」と呻きながら意気消沈している。なんだか餌をもらえなくてシュンとしている大型犬みたいで少し可愛らしい。


 「そういえば結局風花先輩は来たのか?」


不意に志貴が聞いてきた。その質問は2回目である。


 「どっちだと思う?」


私の顔がよほど緩んでいたのか、直ぐに理解した様子で、


 「良かったな。」


というと、志貴はまた問題集に目を落とした。


  8時も過ぎたので大体の席が埋まっているが、相変わらず、私の二つ前だけはぽっかりと空白である。彼女はおそらく既にテストを受け始めていることだろう。随分と難度が高く、しかもいろいろな教科のテストを受けているから、受け始めもとても早いらしい。2年も留年していれば高一の問題はさすがに簡単に解くことができるはずだけど、今の彼女は本来の彼女の学年である高三の先輩方が解く問題よりも難しいものを解いているはずだ。そう思ったら不意に、自分も頑張ろう、という気持ちが湧いた。

 

 「ねぇ、志貴。」


 「ん?」


 志貴は問題集から顔を上げて不思議そうに私を見た。


 「テスト、がんばろー。」


 私がそういうと、志貴は急にやる気を出した私に不思議そうな顔をしながらも、微笑んで


 「そうだな。」


と言った。


 

 その笑顔でまた頑張れそうな気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る