第4話 朝起きる。居ないはずの彼女がいる

 朝起きたら、いないと思っていた人がいた。比喩表現ではない。昨日、

 「いってきまーす」

という手紙を残して何処かに旅でもしにいった筈の風花がいた。スースーと静かな寝息を立てて寝ている。思わず自分の部屋ではなくて風花の部屋であるという可能性を疑ってしまったが、机の配置やら何やら全部自分の部屋のものだった。

 

 アラームの鳴る時間の前に目が覚めたので、セットしておいたアラームを取り消して、私の部屋に入り込んでいた風花の寝顔を眺めさせてもらった。アイスブルーのショートヘアに色白の肌。今は閉じられているけどダークグレーの両眼。茶髪に薄い茶色の目である私たちと血縁でないということくらいは周りの人が見たら、一目でわかってしまうだろう。

 ぼんやりしていたら、本来目覚ましが鳴る時間ぴったりに風花が目を覚ました。


「おはよ。」


少し低くて落ち着く声。私を困らせることも、喜ばせることも上手なその声の持ち主が笑っている。帰ってきてくれて本当によかった。良かったのだが、テストの前日にふらっと外出をしたらどれだけ心配されるかをもう少し考えてくれてもいいのではないだろうか。


 「あのねぇ、『おはよ』じゃ…。」


 「はは、ごめんて。」


 軽い調子で謝った後風花は一転してまじめな表情になった。


 「でも、どうしても昨日行きたかったんだよ。」


 

 その真剣な顔に雰囲気に私の言おうとしていた言葉は呑み込まれてしまったようだった。そもそも、彼女がしょっちゅう旅をしている理由を私は知らない。


 

 いつもこうやってはぐらかされているな、と思う。みんな、いつも本当に大切なことは言わない。言ってくれない。風花も母さんも、多分姉さんも。みんな何かしらの秘密を持っている。きっと風花の秘密はその風来坊気質に影響しているのだと思う。でも、それを言わない。


  初めから違和感はあった。風花がしょっちゅう旅に出ても姉さんも母さんも大して怒ったり驚いたりしなかったこと、そもそも見知らぬ人が急に家に住むことになったことに対して何の戸惑いも見せないこと、風花も何か馴染んでるし。お母さんも姉さんも、そして風花も、何を隠しているのだろう。何を抱えているのだろう。

 

 聞いても、教えてはくれないだろうとは思うけれど。仲間外れみたいで少し寂しい。


 ベットから抜け出して、風花には部屋に帰ってもらって、制服を着る。その後は下に降りて、仏壇に手を合わせて、顔を洗って、母さんが用意してくれた朝食を食べる。姉さんは寝ていたが、母さんは既に起きていた。母さんは、風花がいるのを見てもさして驚かずに、少し嬉しげに笑った。オレンジジャムを塗ったトーストを齧って、サラダを食べて、牛乳を飲んで。朝ご飯を食べている間、私と風花先輩はあまり話さない。目の前のご飯にお互い集中したいのかは分からないが、ただひたすら食べている。風花先輩は大人だから、飲み物がコーヒーだったりして、そういうところには少し憧れている。

 というか、彼女が帰ってきてホッとしたから忘れていたけど、風花先輩が自分のベットにいたわけは何だったんだろうか。いつも奇行が多い彼女のことだから、大した理由はないのだろうと思いつつも、少し気になっている。


 「行ってきます。」


支度を終えて、自分の自転車に乗って風花先輩を待つ。私よりも少し遅れて家を出た風花先輩は、のんきに自分のカギを黒い自転車のカギ穴に差し込んだ。風花先輩は高校生活を三年過ごしているわけだから、そんなに出席していないとはいえ彼女の制服にはくたびれが見える。ゆるく締められたネクタイにボタンが二つとも外れたブレザー、入学時の長さから変わっていないであろうスカート。

 ああ、帰ってきてくれて良かった。いつもと変わらない様子で彼女が立っている。

 もし、進級を決める年に四回のテストのうち2回欠席してしまえば、彼女の進級はない。つまり、三回は絶対に受けなくてはならないのだ。それなのに先輩は昨日休んでハラハラさせて…と続く思考からはしばらく抜け出せそうにない。

 ひとまず思考を切り替えて、白いフレームの自転車に跨った。特にこだわりはなかったので、母のお下がりをもらったため辛うじてバッテリーが無事な電動自転車だ。少し大きめのカゴに余裕を持って収まるサイズの通学カバンを放り込んでハンドルを握り、風花先輩の方を見ると、風花先輩も出発の準備が整っていたのでさっさと出発することにした。

 一緒に登校するときは、私が前で風花先輩はそのすぐ後ろ。先輩の自転車は電動ではないけど、先輩は体力があるから、私があまり気にせず自転車を漕いでもさして困る様子はない。

 自分が自転車を漕いでいるから止まっているはずの風景が流れていくように見えるだけなのに、こうして自転車を漕いでいると、自分は止まっていて、風景が後ろに流れていくというような錯覚をしてしまう。それが錯覚であるということを自分が認識してしまえば、そんなに意識することでもないけど。

 

 自転車を漕ぎながら私は今日のテスト範囲の英単語を思い出していた。スペルもきちんと綴れる。発音もわかる。恐らく今日のテストでそんなに困ることはないだろう。日頃勉強しているし。

 不思議だと思う。授業中は眠たさしか感じないことが多い日もあるけど、授業外でする勉強なら興味を持って取り組める。強制されたら逆にやりたくなくなってしまう、というのは本当はいいことではないんだろう。強制されてもされなくても、やらなくてはいけないことを当たり前にできるようにしましょう、と小学校の時に先生が言っていたことを思い出す。

 懐かしいな、とは思うけど、この癖は直せそうになかった。


 自転車は高校の自転車置き場の辛うじて空いていたスペースに滑り込ませた。いつもなら、まだ大して人が来ていない時間、テスト当日だとこんなに多くの人がこの時間からいるのだな、と思うと何だか少し面白かった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る