第3話 姉と友人の彼女
夕飯を食べてから、風呂に入った。姉さんが何をしているのかは良く知らないが、昼から夜遅くまでは大体部屋から微かな声や叫び声が聞こえる。人形とお話でもしているのかもしれないが真実は怖くて確かめられずにいる。闇の垣間見える姉さんはよく私や風花と遊びたがるが、それに付き合っている暇は今日はない。
風呂上がりの牛乳を飲んでから、いつもならリビングでゆったりと過ごしたりする時間を今日はさっさと自室に戻って勉強を始めることにした。数学と英語があまり得意なほうではないのでその二つの復習を重点的に進める。XだのYだの記号がたくさん出てきて複雑になっていく計算を、どうすればより短い時間で効率的に答えが出せるかを考えるのは、数学が苦手な自分でも少し面白く感じられる。
人間の集中力って一時間半くらいしか持たないらしい。その言葉が本当かは分からないがそろそろ休憩したくなってきた。時計をちらりと見ると9時半。勉強をしてから二時間半くらい経っていた。
集中力の話の信憑性が疑われるな、と思いながら飲み物を取りに下へ向かうとダイニングで姉さんが夕飯を食べていた。私とお母さんが夕飯を食べている時には姉さんは珍しくどこかへ出かけていたのだ。
「しぃちゃん、やっほ。」
「やっほ。京ちゃん。」
姉さんは京という名前で呼んで欲しがるので姉さんを呼ぶときは京ちゃんと呼んであげるのが風花と私の暗黙の了解だ。今日は風花のことをよく思い出す日だ。
いないからだろうか。
「しぃちゃん、ぎゅー」
ハグして欲しい時に上目遣いで「ぎゅー」というところなど姉さんは精神年齢が全体的に幼めだ。まあ、そこが姉さんの可愛いところなのだけど。
「はいはい、ぎゅー。」
姉さんさん御所望のハグをすると姉さんはぐりぐりと顔を押し付けてきた。距離が近くて少し恥ずかしかったりするのだが、姉さんがあまりにも嬉しそうにするのでそれは言わないでおいた。
「京ちゃん。」
「ん?」
「そろそろ離して。もう10分は経ったよ。」
「えー。」
上目遣いで見つめてこないでくれ。私は悪くないはずなのに罪悪感が湧くでしょうが。本当に顔は整っているのだから、その顔で上目遣いはタチが悪い。本人が無自覚なら尚更だ。
「ご飯冷めるよ。」
「もうほとんど食べ終わったし。」
「明日私テストなんだけど。」
「ううぅ。」
私が離してくれとお願いを重ねていると何やら唸りながら渋々離してくれた。
「テスト終わったらいっぱいぎゅーするから。」
「ふーちゃんもする?」
「風花は分からないけど。」
それは本当に私に聞かれても困る。私だってまさかこのタイミングでどこかに行くとは思っていなかったわけだし。
「大丈夫。きっと帰って来てくれるよ。」
私の反応を見て、さっきまでとは一転して年相応に大人びた表情になった姉さんに慰められた。普段とのギャップがすごい。だがこんな姉さんも嫌いじゃない。
「…ありがと。」
礼を言うのは気恥ずかしいので、声が小さくなったがそこは聞こえただろうと、姉さんに甘えておいて、冷蔵庫に入っていたリンゴジュースをコップに注いでまた上に戻った。
再び勉強を再開して英語や社会の総復習をする。明日は英語と数学と社会がテストの教科だからだ。うちの学校は一流大学である月崎大学の附属高校なので、内部進学を前提とした六教科だけのテストなのでありがたい。別に月崎大学に進むかどうかは決めていないが。
11時を回ったところで今日はもう寝ようと思った。寝る前にお決まりの電話をかける。電話帳の常に一番上にある名前。絶対に繋がらないコール。その行為は私にとって、ある種儀式のようなものだから。繋がらないことにショックは受けない。いつまでも引き摺っていられない。それに、たとえ繋がらなかったとしても私はちゃんとそこからエールをもらっている。だから落ち込んだ時や行き詰まった時、応援してほしい時なんかはこの番号に電話をかける。私は、ある意味母さんとの会話とも、姉さんとのスキンシップとも違う意味をこの行為にもたせているのだろう。
歯を磨きに下へ行く途中姉さんの部屋の前を通ると叫び声が聞こえた。いつも通りゲームでもしているのだろう。姉さんの部屋だけはキッチリと防音がなされているのだが時折姉さんの声が漏れて聞こえてくる。
姉さんの部屋と私の部屋の間にある風花の部屋はついこの間まで空き部屋だった。そして、その空き部屋には姉さんとも私ともあまり仲が良くなかったが、特に父さんととても仲の良かった私の2つ上の姉、
そんな彼女が死んだのは4月の頭、父さんと光が2人で出かけた時だ。無法者のトラックが信号無視をして突っ込んで来たことによって曲がろうとしていた父さんたちの車に衝突したのだ。病院の話によると相手はよほど大型のトラックだったらしく2人は即死だった。二人の死体と引き合わされた時も姉さんも母さんも信じられないという顔をしていた。
勿論私もショックを受けてはいたが、頭はどこか冷静だったように思う。「ああ、自分がしっかりしなくては。」そう思い、それまではあまりやってこなかった家事なども積極的に分担できるように努力した。
そんな時に、月崎第一高校に入学して、出会ったのが風花だった。世話係に就任してから、彼女のことを知っていくうちに身寄りがないこと、今は母親の友達が大家をしているアパートに住まわせてもらっているが、そのアパートはもう少しで取り壊しになることなどを聞いた。そのうえ、光と友人であったことなども世話係としてともに登校しながら話すなどするうえで分かった。
それは奇妙な偶然だった。光と父さんの死。それによってできた空室。世話係に就任して知った身寄りのいない少女。彼女の住んでいたアパートの取り壊し。
母さんと姉さんに風花の話や世話係の話などをしてから話はとんとん拍子に進んで、光がいなくなって空いた部屋には、五月から新しく風花が住んでいる。父さんと光が死んだことによる悲しさや喪失感がすべて消えたわけではないが、風花がやって来て光の部屋に住み始めたことで、父と光は死んでも、私たちの心の中にいると思えるくらいに一区切りついた。こうして、私たちにとっても、風花にとってもプラスな生活は始まった。
テストの前日という大切な時に風花がいないからなのか、今日は風花のことを考えすぎている気がする。もう寝よう。考え事をしているうちに着いた洗面所で歯磨きをして、ソファに座っているお母さんにおやすみなさいの挨拶をして部屋に戻った。
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