第5話 開演「警官と泥棒」
定刻通り開幕を告げるブザーが鳴り、緞帳が上がっていく。場内に「ピンクパンサーのテーマ」が流れる。サトウケンタの選曲で、もともと宝石泥棒とドジな刑事のドタバタを描いた喜劇映画の音楽だからこの芝居にピタリと合う。舞台上には宝石店の店員に扮したタナカ刑事の姿。人前で緊張しているようだ。しかし、キュビズムの男の姿はまだない。本当にキクチはやってくるのか?場内がざわめきはじめた。すると客席から一人の紳士が立ち上がった。
「サトウだ。」
メジロが小声で言った。サトウがキクチマモルの遺留品を受け取ったと聞き、メジロはサトウが舞台に上がると確信していた。
「案の定ですね。」
モリモトがささやきメジロも頷いた。サトウはゆっくり舞台の方に歩きだした。固唾をのむ場内。そしてサトウは上手にある階段からゆっくり登ると舞台袖にいたメジロに軽く会釈をした。とても穏やかで済んだ目をしている。諦観しきっているとメジロは感じた。サトウは手にしていた封書をメジロに渡し、そのまま舞台中央に歩み出した。メジロは蓋の閉じていない封から紙を取り出し紙面を確認した。書き出しはこうだ。
“上演後自首いたします。今まで盗んでいた宝石もすべてお返しします。”
「最初からそのつもりだったのだな。」
メジロはそう呟いた。
舞台上ではサトウが中央で客席に向かってお辞儀していた。
「あれ、ケン坊じゃないか?」
「あぁ、人気子役だったサトウケンタだ。」
古くからの演劇関係者は直ぐに判ったようだった。
舞台中央のサトウケンタの顔が突然キュビズムになった。まるで中国の京劇における変面のように。場内は“おおっ”とどよめいた。
「サトウケンタがキクチマモルなのか?」
皆の疑問に構わず、キュビズムの男は流麗に舞いだした。すると男の身体も周りのセットも多面的に見えだした。場内はあっけにとられると共に彼のパントマイムに釘づけになった。
メジロは再び紙面に目を落とす。
“ご覧の通り私がキュビズムの男です。キクチマモルは犯罪者ではございません。キクチマモルは二年前にお亡くなりになり、私がたった一人の近親者としてキクチの遺留品だったメイク道具を譲り受けました。私は演劇界から閉めだされたキクチさんの無念を思い、なんとか彼のキュビズム的演技を世に知らしめるべく、彼のメイク道具を使ってキュビズ的メーキャップを施し、このような犯罪に手を染めた次第でございます。それは私自身の演劇へのリベンジでもあり、私の芸を世間に認めさせたいというエゴによるところでもあります。
もともと宝石を盗んで財を蓄えるという事が目的ではございませんので、人生最後のこの公演を持って自首致します。ですので最後までお付き合いください。私の、いやキクチマモルの最後の演技をメジロ様にも楽しんで頂ければ幸いでございます。”
最後まで手紙を読んでメジロは、舞台に目をやった。そこにはスポットライトを浴びて見事なパントマイムを披露するサトウケンタいや、二代目キクチマモルの姿があった。彼のキュビズム的なパフォーマンスは確かに人間の多面性を表現しており、メジロも感服した。
いよいよキクチの芝居も佳境に入ったようだった。キクチが宝石店の店員に扮したタナカに、今まで盗んだ宝石を体の至る所から手品のように出して(時にはタナカの服の中から!)返却し、場内から割れんばかりの笑いと拍手喝采が起きた。それを見てメジロがモリモトに話しかける。
「盗品を返し自首すれば、刑期はぐっと短くなるだろう。その後の二代目キクチマモルの活躍は間違いない。これが最後の公演になるものか。なぁ?」
「しかし、あの遺体のようにキュビズムに心身が取り込まれませんか?」
モリモトにそう言われメジロもあの遺体の写真、特に正面を向いたあの狂気をはらんで見開いていた目を思い出してゾッとした。
その時、パーンという大きい音が舞台上でした。銃声だ!虚を突かれたメジロが舞台に目をやるとタナカが胸をおさえカウンターに突っ伏すところだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます