繋がる風

ひかもく

繋がる風

 ふと、考える。

目を閉じても聞こえなくなった、君の声。いつからだろう。少し腕を伸ばせば、そこには温もりと、微笑みが確かにあった。そして、透き通るような、優しい声が。


 何度思い返しても、あの日の出来事に音声はない。浮かんでくるのは、互いに譲れないことを言い合い、認めず、気持ちが伝わらない苛立ちを、ただぶつけているだけの映像。

 君があんなにも大きな声で話す姿を見たのは、付き合っていた四年間で、初めてだった。

 君が大声を出した時、足元がふらつく程の風が吹く。叫んでいる顔を見たくなかったこともあるが、その風を都合よく使い、君から視線を逸らしていた。

 いつも君が背を向け、走り去る後ろ姿を見ながら、映像は途切れる。

 間違ったことを言っているつもりもなかったから、追いかけようとはしなかった。そして、君は視界から消えた。


 しかし、全てを奪うようなその時の風は、記憶から消えない――


 あれから就職活動が本格的になり、卒業論文や卒業旅行やら、まるで当時に背を向けるように、前へ前へと慌ただしく残りの学生生活を過ごした。そして気付けば社会人となり、もう一年半が経っていた。


 あの時正しいと思って言ったことに、今もこうやって後悔に似た感情を抱いているのだから、間違っていたことを頭では理解しているのだと思う。

今ならきっと、あんな顔はさせないのに。


 そんなことを久しぶり考えていたある日の休日、溜まっていた郵便物の中に、見慣れた字を見つけた。


 君から届いていた、一通の手紙。


「逢えないかな」


 どこで、いつ。そんなことは手紙に書いてはいない。それでも、動かずにはいられず、その手紙を握りしめ、激しく車に乗り込んだ。差出人の住所は、昔と変わっていなかったことに、少しほっとする。

 こんな日に限って、道は渋滞だ。いつもは気にしない信号待ち、誰かが道を譲る行為でさえも、過剰に気になって仕方がない。一丁前に、社会の波に飲まれすぎたかな。こんなことを考えると、少し笑えた。


 運転中、色々なことが頭をよぎった。そして、心の不安を絵にするように、よぎっては、音を立てて崩れていく。

 決して手の届かないものを、必死に追い求めているかのようだった。


 全てを求めることは、悪いことなのだろうか。幸せになる。それは全てを求めていることになるのだろうか。


 幸せなりたいと言えば応援され、より詳細に話すと批判される。求めすぎだと。


 人は全てにおいて、持てる量が限られており、それを越えると、何かを失うようになっているのかもしれない。

 幸せも例外ではない。世の中、バランスだ。

 どこに重点を置くかで、人の色は変わり、彩る。そして、色の近い人を求め合う。


 君にとっての大事な存在になる――


 それ以外はもう、何も求めない。


 渋滞も抜け、見慣れた海岸通りを進む。カーブの度に海が見え、潮風の香りが、一気に当時のことを思い出させる。香りは記憶も運んでくるようだ。

 急な夕立にあい、笑いながら、二人で車に走ったこと。この香りのせいか、記憶が昨日のことのように蘇る。


 十分も走り、海岸を過ぎると、君の家が見えてくる。

 あれから君は何を思い、過ごしていたのか。そして、これからどんな未来を描いているのか。あの日から散々考え、沢山想像していた。それなのに、今は不思議と「今の君」のことしか考えられずにいた。笑顔で会えればそれで良いと。


 見慣れた、懐かしい道を通り、大通りから路地を一本入ると、君の家に到着した。


 車から降り、ゆっくりとインターフォンを鳴らす。

 聞き慣れた声がし、少し時間が空いた後、ゆっくりとドアが開く――


 その時、何かを思い出したように、突然、風は吹いた。

 全てを奪うその風は、どこへ向かうのだろうか。


 突然とは偶然であり、運命であり、神秘的である。


 心を強く、結びたい。


 二人の間に、風が吹かないように――

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繋がる風 ひかもく @Hikamoku

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