第5話 元型・2(苑)~紅葉へのお願い~

 1.


 紅葉は苑に付き合ってもらい、購買で目的のパンを買う。その足で裏庭へ行くと、いつも一緒に昼ご飯を食べるメンバーが集まっていた。


「おっ、紅葉は今日はパンか。ハムカツサンドゲット出来たのかあ、いいなあ」


 紅葉の肩に顎をのせて、手の中のパンを覗き込むようにしてそう言ったのは、入瀬七海いりせななみだ。

 両親が共同で投資会社を経営しており、良家の子女が多いこの学園では「成金の娘」とやっかみ半分に言われることが多い。本人は明るく人なつこい性格で、大して気にしていないようだ。


「七海さん、お行儀の悪い」


 そんな七海のことを、佐方四央さかたしおが形のいい眉をしかめてたしなめる。

 東京に本社がある企業の一族の出で、いかにも品がいい華やかな容貌をしている。

 紅葉が苑に出会う前に想像していた「九伊の本家のお嬢さま」が、頭から抜け出たかのような存在だ。


 四央は中等部のころから苑を何かと目の仇にして、嫌味を言ったり不必要に絡んできた。

 何を言われても困惑したような顔するだけの苑に代わって紅葉が言い返しているうちに、いつの間にか一緒にいることが当たり前になっていた。


 今から振り返ると「不必要に絡まれるうちに仲良くなったのか」「仲良くなるために不必要に絡んでいたのか」よくわからない。四央自身にもよくわからないに違いない。


「ノイは、今日も弁当か。早起きするのが大変じゃないか?」


 優しい口調で苑に話しかけたのは、十谷縁とおやゆかりだ。


 十谷については、素性がよくわからない。

 元は東京の出身で、議員だが官僚だかの娘だと聞いているが、十谷自身からその話を聞いたことがない。


 髪の毛は短く切りそろえられており、中性的で端整な容貌をしていて、存在に不思議と生々しさがない。性格も女性らしさがなく「僕」と自称するせいか、男子よりも女子に絶大な人気がある。


 苑のことを常に気にかけているように見えたので、「知り合いなのか」と聞いたことがある。

 十谷はうっすらと微笑んで答えた。


「この地に住む人間にとって、彼女は『神さま』だろう?」


 最初は「『九伊本家の跡継ぎである苑』を利用しようとして近づいてきたのか」と警戒していた紅葉だが、十谷の様子や苑の話を聞くとそういうわけでもないらしい。



 2.


 話題は、あと半月ほどで始まる夏休みの話になった。


 この学園の大半の生徒は、寮に入っている。苑と紅葉も普段は寮で生活していて、長期休みに九伊の本家に帰る。


「いいなあ、ノイちゃんと紅葉は休みのあいだも一緒にいられて」


 七海は東京に帰ると、学校の友達に会えずに寂しいとしきりに文句を言っている。

 苑は弁当に箸をつけながら、七海の言葉に微笑んだ。


「今はお父さんの具合が悪いけれど、良くなったらうちに泊まりに来て」


 苑の父親は、苑と紅葉が高校に入学したころから体調を頻繁に崩すようになった。      

 かかりつけの医師からは、大病院で精密検査をするように勧められているが、頑として聞き入れない。


 苑は、中等部のころは育てている花や野菜の世話のために寮に残ることが多かったが、今年は寮長や寮に残る生徒に頼んで、夏休みいっぱい父親の下にいることにしている。

 紅葉も夏休みの間、九伊家で住み込みで働いている母親の側で過ごせる。


 そしてもうひとつ。

 紅葉は夏休みの間にあることをして欲しいと、苑に頼まれていた。



 3.


「お見合い?!」


 苑と一緒に生活している寮の部屋の中で、紅葉は大きな声を上げた。


「苑さま、お見合いをするんですか?」


 紅葉の言葉に、苑は紅茶の入ったカップで手を温めながら小さく頷く。


(すごい、さすが名家だわ。高校生でお見合いをするなんて)


 漫画の世界みたい、と思ったが、口には出さなかった。


「相手は誰なんですか?」


 紅葉の質問に、苑は淡々とした口調で答える。


「遠い親戚の人。お父さんの具合が悪いから、周りの人たちは内々に婚約だけでもさせておきたいみたいなの」


 呆気にとられた顔をしている紅葉に、苑は笑いかけた。


「どちらにしろ、私は九伊につながる誰かと結婚しなくちゃいけないのはわかっていたから」


 苑は特に悲壮感もなく当たり前のことのようにそう言ったが、紅葉には「家のために会ったこともない人間と結婚しなければならない」という発想自体がピンと来ない。

 苑が微笑みながら言った。


「今だって婚活とかあるでしょう? 『気の合いそうな悪くない相手と結婚する』っていう発想自体は、よくあると思うけど」


 そう言われると、身元がしっかりしているし悪くない選択肢なのかもしれない、と思えてくる。


「でも、苑さまはまだ十六歳、高校生じゃないですか。いくら何でも早すぎませんか」


 紅葉の言葉に苑は答えた。


「すぐに結婚するわけじゃないの。とりあえず会ってみて、お互いに気に入ったら内々に婚約、私が二十歳を過ぎたら正式に結納するっていう流れじゃないかしら」


 苑の言葉に、紅葉は頭を軽く振った。

「今の時代も恋愛して結婚という形ばかりでもないし」と一瞬思ったが、やはり別世界の話のように聞こえる。

 苑は表情を改めて、紅葉のほうへ視線を向けた。


「それでね、紅葉にお願いがあるんだけれど」


 紅葉が先を促すと、苑は言葉を続けた。


「お見合い相手に、紅葉も会ってくれないかしら」

「いいですよ」


 結婚相手として適格かどうか見定めて欲しい、ということだろうと思い、紅葉は大きく頷いた。

 苑に頼まれなくとも、苑の夫になるのにふさわしい人間かどうか見極めたいくらいだ。

 少しでも問題がありそうだったら、苑のことを任すわけにはいかない。


 紅葉は胸を張って言った。


「任せてください、ちゃんと苑さまの結婚相手になってもいい人か見ますから」


 苑は、元気が良く姉思いの妹を見るような眼差しをして微笑む。

 微笑みを浮かべたまま、柔らかい仕草で首を振った。


「ありがとう、紅葉。でもね、見定めて欲しいのは、結婚相手としてどうかじゃないの」


 怪訝そうな顔をした紅葉の顔を見つめて、苑はきっぱりとした口調で言った。


「私、お見合い相手と取引がしたいの」


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