第6話 元型・3(苑)~お見合い~

 1.


 夏休みに入ってすぐに、苑の見合いは行われた。


 初めての顔合わせのあと、苑が「後日、友人を同席させた上で、もう少し砕けた雰囲気で話をしたい」と伝えると、見合い相手はあっさりと承諾した。

 


 2.


 七月の末、紅葉は九伊の屋敷の客室で、苑の見合い相手である六星里海むつせいさとみと向かい合って座っていた。


 里海は、苑よりも五つ年上の二十一歳。

 苑や紅葉が通う学園の大学部の学生で、法学を専攻している。

 中学生の頃から剣道をやっており、大学では弓道部に所属していると言っていた。

 趣味は読書と映画鑑賞。


 整った顔立ちはしているが、ハッと目を引き付けられるほどではない。余裕のある自然な雰囲気が人をくつろがせ心地よくし、いつの間にか好感を抱く。

 癖が強いところも過剰なところもなく、かといって個性がない、面白味がないわけでもない。

 親に交際相手として紹介するには、最適なタイプだ。


(絵に描いたような、というやつね)


 紅葉は里海の顔を見ながら、内心で考える。

 友人の前に引き出されていわば「テストされている」ことがわかっているだろうに、顔には不満げな色も緊張した様子もなく、くつろいだ穏やかな笑みが浮かんでいる。


「苑さんと寮の部屋も一緒なのかあ。お役目のために窮屈な思いを我慢しているのかな、とつい思っちゃうけど、こうやって僕の審査員に選ばれた、ということは、信頼されている友達でもあるんだね」


 里海は嫌味のないおどけた口調で紅葉に話しかけ、労るように微笑む。


「審査員だなんて、そんなつもりはありません」


 紅葉は珍しく、つっけんどんな口調で返した。そうでなければ、里海のペースに呑まれてしまいそうな危うさを感じた。

 里海は人の機微を察することが上手く、紅葉が何を言われると喜ぶかわかっているようだった。


 何だか出来すぎている。


 紅葉は微笑んでいる里海の顔を見る。

 何ひとつ引っかかりも外連味もない、そんな人間がいるはずがない。


 紅葉は隣りに座る苑のほうへ視線を向け、目が合うと微かに頷いた。

 苑は紅葉に頷き返すと、里海に目を向けた。


「里海さん、今日来ていただいたのは、里海さんと率直なお話がしたかったからです」

「率直な話?」


 里海の穏やかな愛想のいい仮面が、わずかにずれた。

 瞳に半ば面白そうな半ば警戒するような光が浮かぶ。


「先日のように、他の方がいる場所では出来ないようなお話をしたかったんです」


 苑は顔から笑みを消して、里海の顔を真っ直ぐに見つめた。


「興味はありますか?」


 里海は何か答えようと愛想笑いを浮かべかけたが、苑の視線を受けて考え直したかのように黙った。

 十代半ばの少女に相対する大人がいかにも示しそうな余裕が消え、相手の真意を探るかのような抜け目ない表情になった。


「興味はありますね」


 里海が言うと、苑は再び口を開いた。


「お話をする前に、ひとつ里海さんに伺いたいことがあります。答えていただけますか?」


 苑の問いに、里海は瞳を光らせた。


「率直に?」

「率直に」


 里海は苑の表情を観察してから、椅子に深くかけ直して頷いた。

 苑が口を開いた。


「里海さんは私と結婚することを、どういう風に考えているんですか?」

「どういう風に?」


 里海は繰り返したが、苑が黙っていると慎重な口調で口を開いた。


「苑さんのように、可愛らしい方と結婚できるなんてありがたい話です。九伊本家のご令嬢という点を差し引いても、幸運だと思っています」 


 答えながら、里海は苑の表情の動きを注意深く観察する。 

 言い終わってから笑った。


「これはどうやら外れのようですね」


 里海はジッと自分を見る苑の顔を、初めて見たかのように眺めた。それから独り言のように呟いた。 


「なるほど、あなたは僕が考えた方と少し違うようだ」


 苑の瞳に浮かぶものを確認してから、里海はゆっくりと言葉を続けた。


「僕は、九伊本家の娘婿という立場に魅力を感じて受けた。苑さん、あなたは、僕が会う前に想像したよりは可愛くて魅力的な女の子だけど、例えあなたがまったく魅力を感じない子だったとしても、僕は君との結婚を受けるつもりだった。その気持ちは今も変わらない」

「九伊家を抜きにした私個人という要素は、里海さんにとって何の意味もない、ということですか?」


 静かな口調で問われて、里海は肩をすくめた。


「そういう言い方は好みじゃないけど、まあそうだね」


 それから表情を引き締め、真面目な顔つきになった。


「苑さんには上手く想像が出来ないかもしれないけれど、僕……僕たちみたいな、九伊の名前も持たない分家のそのまた分家みたいな人間にとって、九伊の本家に婿入り出来るというのは、すべての神に伏して拝みたいくらいの幸運なんだ。

 そこには『個人的な要素』なんてものは、考慮する余地すらない。乾き死にそうになっている人間が、雨が降ってきたら口を開けるようなものだよ」


 苑はゆっくりとした感情が掴みにくい声で言った。


「里海さんは、いま口を開けて待っている、ということですか?」

「あなたは、本当に驚くくらい率直な人だな。僕はそういうのは嫌いじゃないよ」


 里海は何気ない口調で付け加えた。


「他の人がどう思うかは知らないけれど」


 二人の視線がぶつかった。

 二人はお互いの表情を探り合うように、しばらく無言でそうしていた。

 先に表情を緩め緊張を解いたのは、苑のほうだった。


「ありがとうございます、里海さん。答えていただいて」

 

 そう言って、苑は里海に軽く頭を下げた。


「気に入ってもらえたかな?」


 里海の言葉に苑は頷いた。


「ええ。これで色々とお話が出来ます」


 苑は表情を引き締め、真っ直ぐに里海の顔を見つめる。


「里海さん、私はこの家を……九伊家から出たいんです。そのために協力してくれませんか?」

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