第31話 大鬼

 大鬼オーガの発生頻度はとても少ない。記録に残る討伐数は過去10年でおよそ100体、そのほとんどが7年前の大発生時のもの。大発生を除けばザルペナ山脈の奥地で数体発見された程度だ。小鬼や豚鬼と違ってギルドのランク指定基準もない。とにかく体躯が大きく、その体中に濃密な魔力が満ちている。生態は全く解明されていないが、魔力核を持つことから小鬼ゴブリン豚鬼オークと同様に生命維持を魔力で行っているものと推測される。


 その大鬼オーガが、全裸の二人の目前に現れた。全身は青黒い体毛に覆われ、発散される魔力が薄らと銀色に輝く。何しろ威圧感が凄い。ファラフの2倍はあろうかという背丈、それも丸太を束ねたような力強さ。それでも全身装備の銀級パーティーであれば討伐し得るのかもしれないが、ここにいるのは全裸の二人。

 幸いかどうか豚鬼オークのような性欲は持ち合わせていないらしく、その股間に凶器は見当たらない。


「おーい、どうしよっか。逃げようにもこれじゃ、ねえ」

「倒すのは……難しいか。どうにか逃げるしかない」


 大鬼オーガの登場で彼らの進軍は完全に止まっていた。数百体の小鬼ゴブリンが二人を円形に取り囲み、豚鬼オークは荒い息を上げながら押し倒す隙を狙う。かの大鬼はそれらを押しのけつつ、ゆっくりと円の内側へ進む。未だ間合いまでは遠いはずだが、逃げようと背を向けた瞬間に命を落とす確信がある。こいつを倒すなら複数方向から遠距離での牽制が必須、接近を許すなどもっての外。どこから見ても絶体絶命。これは詰んだ。


「しゃーないね、恨みっこなしだ。あたしが大鬼オーガやるから退路作れ」

「逆だろ」

「いーや、これは譲れない。たまには先輩立てようや」

「クソが。女置いて逃げろってのか?」

「そうだね。悪童サマは裸の女を生贄に捧げておめおめと逃げ帰るんだ。くくく」

「できるか」

「やるんだよっ!」

「っ!!」


 ファラフの足元に高密度の魔力が集中した瞬間、彼女はアンドルの視界から消える。一拍後に響く硬質な打撃音。ファラフの右足が大鬼オーガの顎を綺麗に打ち抜いた。予備動作の無い、間合いの外からの見事な一撃。……感心している場合ではない。もう彼女は止まれない。100に1つの可能性を作るために、アンドルは自らの役割を果たさなければならない。


 並みの魔物であれば昏倒するはずの一撃。予め陣構成しておいた複数の術式を一気に発動させる、ファラフの隠し玉。足だけでなく、彼女の身体にはそのための術式がいくつも刻まれている。先ほど豚鬼オークを屠った際には腕の陣を使った。しかしこの大鬼オーガ相手には決定打たり得ない。分かっていたことだが、これは厳しい。陣のストックはあと3回分。倒しきるのは不可能、ならば時間を稼ぐしかない。アンドルさえ逃げてくれればどうとでもなる。彼の意気込みは立派だが、現実的には足手まといに他ならない。

 絶望的な状況?まだまだ。

 絶望ってのはこんなもんじゃない。


 アンドルは苛立っている。自分が逃げていること、力が及ばないこと、女を囮にしたこと、彼にとってそれらは些細なものだ。生き残らなければ手段に意味はない。苛立ちの対象は別にある。

 一つはさっきから無尽蔵に湧いてくる小鬼ゴブリン。こいつらには生命としての本能が感じられない。アンドルの行く手を何の工夫もなく塞ぎ、潰され、また塞ぐ。豚鬼オークにしてもそうだ。一見すると本能のままに襲い掛かってきているように思えるが、そうではない。今まさに脳髄を叩き割られようという瞬間にまで性欲を優先しているような存在を生命と呼べるだろうか。明らかに異常だ。先ほどまでは連携してこちらにあたる知能を感じた、だがあの大鬼オーガが出てきてからはまるで人形でも殴っているような手ごたえの無さ。雑魚ですらない。これでは単なる障害物だ。今のこいつらには恐怖という感覚すら無いのか。

 そんなものを相手に自分はあの時ほんの一瞬、恐怖を感じてしまった。ファラフが飛び出した瞬間、確かに安堵してしまった。それが何より苛立たしい。



****



 サーシャは困惑している。何なのだ、これは。私の知る小鬼ゴブリンではない。

 数体拉致し手足を縛って麻袋に詰めて持ち帰る、それだけのはずだった。標的としては難しくない。しかし、不可能だ。何故か?

 

 この小鬼ゴブリンは自壊する。


 アンドルたちと分かれてすぐに川を渡り、陽動を待った。鬼たちの進軍から20mと離れていない川岸に潜み、対象を観察する。……違和感だらけだ。

 小鬼ゴブリンが隊列を組み整然と歩いている。時たま見える豚鬼オークも、腕をだらりと下げて覇気がない。眠ったまま歩いているかのような光景。これなら陽動などしなくても良かったかもしれない。魔力を隠蔽しているとは言え、こちらに注意すら払わない。

 数分後、下流が騒がしくなった。二人が仕事を始めたのだろう。しかし小鬼の進軍は何も変わらない。……いよいよ気味が悪い。意を決し、行列へと静かに近づく。等間隔に並んだ小鬼。松明も持たずに月明りの中をただ歩いている。隙だらけで逆に困る。擬装した麻袋の下に隠れる私がバカみたいではないか。

 気を取り直し、目の前を通る1体を茂みに引き倒した。音を立てず、即座に布で口を塞ぎ、相手が混乱している間に手足を縛りあげる。そのまま麻袋をかぶせ、一目散に川を渡った。


 対岸に上がり、追手が無いことを確認して袋を開ける。攫われた小鬼ゴブリンは移動中も全く暴れなかったが、開けてみてその理由が分かった。袋の中にあったのは小鬼の死体。破損の形跡もなく魔力核が停止している。運搬中の事故を想定してもう一度やってみたが結果は同じ。それならばと、連中の反応がないのをいいことに大胆に攻める。麻袋を使わず、行列から無造作に1体を拉致。手足すら縛らずに様子を見ると、川へ入った時点で小鬼の魔力循環に異常を感じた。見れば既に魔力核が停止している。依頼達成が不可能であるとサーシャは確信した。


 既に数十分の時間を消費している。ほとんど無意味なことをさせてしまった陽動役の2人は無事だろうか。これで死なれたら寝覚めが悪い。下流に眼を向けるがここからでは見えない。急ぎ3体分の遺骸を麻袋に詰め、術式により身体強化。<火球>を一発上空に放ち、予定した合流場所へと走る。



****



 ファラフが飛び出した直後、上空に放たれる火の玉――合図だ。有難い。時間を稼ぐ必要はなくなった。あとはどう撤収するか。

 一撃で戦闘不能に陥るであろう大鬼オーガの拳を搔い潜り、背後から迫る豚鬼オークを躱し、眼前の小鬼ゴブリンの首を手刀で落とし、横薙ぎに振るわれた大鬼の追撃をしゃがんで避ける。丸太のような大鬼の腕は豚鬼の頭部を無残に破壊し、その反動で再度振るわれる。ここだ。今度は軽く飛んで腕に合わせ、足裏の術式を発動。発動した<発破>がファラフを吹き飛ばす。全力で振るったであろう大鬼の腕は爆発の衝撃でひしゃげ、本来の可動域とは逆方向に折れ曲がった。チャンス。

 着地と同時に全力で逃走する。もう川岸までは50mもない。アンドルは無事に仕事をしてくれた。進行形で積み上がる数十体の遺骸が鬼たちの進路を妨害し、追いつかれることはない。果ての無い鬼ごっこは間もなく終わりを迎える。


「ファラフ伏せろ!!」


 アンドルの叫び。咄嗟に地面へと倒れこむ。

 頭上を何かが通過し、一拍遅れて熱風の余波。

 <火球>か?誰が?敵に術士がいる?


 即座に起き上がり振り返る。もちろん人間の姿は無い。あるのは無表情の小鬼たちと、折れた腕をだらりと下げ、もう一方の腕をこちらに突き出した大鬼の姿だけだ。……そう来るか。そして奴の両足に収束する魔力。まずい。


「飛び込め!」


 アンドルに指示し、自分も足裏の……チッ。さっき使ったんだったな。背後では大鬼が矢のように飛び出した。これは間に合わない。万事休すか。運に任せて耐衝撃――


「くっ」


 予想より遥かに弱い衝撃は予想外の方向からやってきた。横?

 は?まさか……


「がはっ……貸し1つな。身体で払え」

「ふーん、言うじゃん。ま、助かった。生き残ったら考えてやるよ」


 アンドルめ。指示に逆らいやがって。しかしあの距離をどう詰めた?方法か?……まあ、今はいい。さてどうするか。逃走経路は大鬼オーガが塞ぎ、背後には山ほどの小鬼ゴブリン豚鬼オーク。足元は死んだ小鬼だらけで走れない。


 こりゃ出し惜しみしてる場合じゃないか。仕方ない。


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(1年ぶりにこっそり更新)

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