第29話 作戦

 忙しすぎます!何だこれ……。

 鬼の群れの発生、異端審問官の訪問(襲撃)、もう忘れかけてるけど例の依頼関連。トットさん不在の中でニコさんが支店長代理として行った各種決済を追認してもらうための書類作成、こんなにきついと思わなかった。

 この数日ずっと睡眠不足なのに今日もまともに眠れていません。これはまずい。ニコさんなんて二徹?三徹?睡眠不足で現場指揮なんてできるんでしょうか。ボクもきついですが、先輩方も皆顔色がヤバい。土の色。


 冒険者ギルドは国や領主の管理下からある程度独立した権限を保障されていますが、それを維持するためには明瞭で簡潔な報告を常に行い続ける必要がある。話には聞いていましたが……これ全く簡潔じゃないです。「王国法と各領地の制度に照らし、問題の無い決済行為であることを証明するための書面」って何ですか!クソ複雑でクソ面倒じゃないですか!もう!しかも過去の書面ほとんど教会に持ってかれてるし!前例見ないで作るのなんて無理ですよ!


『これだけ頑張って作っても行政側はろくに目も通さないよね絶対。くくく』


 ほんとそれ!絶対読まないよこんな書類!はぁ……必要なのは理解できますけど、もう少し融通効いても良いと思うのはボクだけでしょうか。今日こそは眠れると思ったのに。字を書き続けた手が痛い。気付けば夜明けだ……サーシャさんたちが戻ってくるまでは休憩だと思って安心してた過去の自分を殴りたい……。30分寝ます。誰が何と言おうと寝ます。



****



「総員、被害状況を報告せよ!各班長は状況を取りまとめ本部に報告!」


「陣地構築3班、全員無事です!」

「構築1班、重傷者4名……任務遂行困難。離脱する」

「射撃1班、軽傷2名。任務は続行可能」

……



 鬼からの予期せぬ魔術反撃に遭い、防御陣地の士気はだだ下がり。14名が任務続行困難となり、4パーティーが離脱した。今日中には領軍の先行応援部隊が到着する手はずだが、果たして意味はあるのだろうか。明確な作戦目標が無いことも良くない。下手に手を出して反撃されるより、攻撃してくる意思が無いのであれば傍観しても良いのでは。いっそ家に帰って眠りたい。そんな雰囲気が漂っている。


 対岸では鬼たちの行列がまだ続いている。暇つぶしに数を数える冒険者によれば、見える範囲の鬼だけでも既に万を超えたらしい。先頭はどこまで進んだのか。リゼ川の下流、イグニスとの合流地点まではおよそ60キロ。一時間に5キロ進むと仮定すれば明朝までには到達するはずだ。いったいそこで何が起きるのだろうか。


 ムルガルや教会の不穏な動きを前提とするなら、この鬼たちも間違いなく王国に敵対する勢力となるはずだ。このまま素通りしてムルガルへ消える、などというはずはない。イグニス沿岸の砦群を後方から撃破する、そのような部隊であっても不思議は無い。いや、「鬼の部隊」など不可思議極まりないのだが、この状況下ではそう考える方が自然と言うもの。だとすれば王国にとっても看過できるはずはない。しかしリゼの防衛線はあくまで町を守るためのもの。不用意に刺激して矛先がこちらに向けば本末転倒だ。彼らが取れる行動は今のところ「見守る」こと以外にない。



****



「はぁ?今何て?正気か?」

「怖気づいたか?お前の腕なら容易いだろう」

「マジで言ってんのか……帰着早々ふざけたことを」

「大マジだ。何ならあたしがやってもいいが」

「……わかったよ。あんたがいないとニコが死ぬ。行けばいいんだろ」


 トットさんてんちょうが帰ってきました!やった!これで勝つる!


 ……とか思ってたんですが、帰着早々にサーシャさんと怒鳴り合ってます。ってか、さすがに無茶振りですよ。「小鬼ゴブリンを何匹か攫ってこい」なんて。どういう流れでそうなったんでしょう。30分のつもりが昼過ぎまで爆睡してたボクは話についていけません。トットさんが帰ってこなければたぶん夜まで寝てました。ほんとすみません。


『みんなわりと寝てたから大丈夫でしょ。防衛部隊は大変そうだけど』 


 そのようですね。今もカウンターではナーシア先輩が爆睡中。化粧が残念なことになってますが、これは見て見ぬふりをするべきでしょう。冒険者の皆さんもチラ見して目を逸らしています。



 飛び交う会話から判断すると、どうやら領府の方針が決まったようで、サーシャさんへの無謀な指示もそれに基づいたものだそうです。トットさんの帰着が遅いと思っていましたが、そのまま会議してたんですね。今回の大発生がこれまでと異なることを重視した侯爵さまは、ルクシアの冒険者ギルドに徹底調査を命じられたそう。その一環として、前線であるリゼのギルドは鬼の捕縛調査を担当するとか。これは命がけの任務になりそうです。銀級のサーシャさんは良いとして、他に任せられる人がいるのでしょうか。さすがに単独任務は不可能です。


「アンドル、ファラフと組んでんだろ?お前も行ってこい」

「ふん、報酬は?」

「未定だ。最低限でパーティーに金貨2枚は出す」

「チッ。……依頼内容の詳細をくれ」

「群れから小鬼ゴブリンを捕縛して来い。生きてるものを最低1匹。死体はいくらでも。期限は明朝」

「……クソふざけた依頼だ。だが受けてやる」

「当然だ。サーシャ、他は適当に集めろ」

「有象無象はいらんな。3人でいい」

「失敗は許されない。いいな?」

「舐めるな」


 めっちゃピリピリしてますね……当たり前だけど。

 アンドルたちは防衛線に参加せず仮眠を取ったらしい。よかった、さすがに実働部隊が睡眠不足は洒落にならない。ニコさんにもそろそろ寝てもらわないと。


「あたしはニコと代わる。おい、情報部との連絡は切らすなよ」

「合点承知!うふふふふふ、ワクワクするぜぇ?なぁ?」


 ガラムさん……半裸で目がギラついてる……どこから見ても不審者です。なんか下半身……見ちゃいけない感じになってるし。こう、一箇所から集中線が出てそうな。これで「情報管理と折衝のスペシャリスト」らしいのですが、意味が分かりません。


 さて、ボクらはボクらで仕事がたくさん。書類作成はひと段落しましたが、今度は各所から集まる情報を集約・精査する業務です。書類と違って即時性が重要になります。この責任者がガラムさん。つまり今日は寝るまでガラムさんと一緒。きつい。何て言うか色々きつい。……ボクの隣ではめっちゃ筋肉質の大男が小声で延々独り言をつぶやいています。ハァハァ言いながら。もちろん下半身の集中線は維持されています。何なんでしょうこの人。



****



「で、作戦は?」

「水中から接近して引き込む。他に手が?」

「うーん、最後尾から接近するとか?」

「最後尾が分かればいいがな」

「とりあえず川岸まで向かうしかないだろ」

「そうだな」


 たった3名の臨時パーティーに任された指名依頼、「小鬼ゴブリンの捕縛」。

 通常発生時であれば苦も無く達成できる依頼だが、今は違う。目標の周囲には数千の鬼たちがひしめき、それらに気づかれず接近し気づかれず捕縛しなければならない。常人であれば到底達成可能とは思えない。


「ま、これでもウチは一応専門家だ。上手くやるよ」

「斥候と人攫いは違うだろう?」

「似たようなもんよ。山賊討伐なんかだと攫って吐かせるなんてザラだしね。さすがにここまで敵が多いと厄介だけど」

「じゃ、あたしたちは援護でいいのかな?」

「ああ。さすがに陽動は必要だ。囮になれって言ってるわけだけど、行けるか?」

「当然」


 反撃時の町への被害を防ぐため、3キロほど上流まで遡った一行。銀級冒険者シルバータグサーシャは支店長トットの現役時代にパーティーを組んでいたこともある大ベテランの斥候職。年齢的には中年だが外見は比較的若い。捉えどころのない平凡な顔立ちで、知らなければ冒険者には見えないだろう。変装や潜入による諜報・工作を得意とし、過去にはルクシア北方に居着いた200人規模の山賊団をほぼ一人で壊滅させたという噂もある。ファラフも技術だけならサーシャと同等、あるいはそれ以上のレベルにあると言われるが、経験だけは及ばない。


「うーん、まだ増えるのか……」

「信じ難いね。何だいこれは」

「……右奥」

大鬼オーガ、だな」

「いるとは思ってたけど……」


 傾いた陽光に照らされる、銀色がかった体毛。青緑の体色が特徴的な小鬼ゴブリンや、見るからに鈍重な豚鬼オークとは明らかに異なる威圧感。「腕の一振りで人間の頭を吹き飛ばす」などという表現が決して誇張ではないことを示す体つき。身長は3メートルを超え、立ち上がった灰色熊とほぼ同等。

 もちろん大鬼オーガだけでなく、巨体を揺さぶり歩く豚鬼オークも数体確認できる。比率としては小鬼ゴブリン100頭に対して豚鬼オーク5頭、大鬼オーガ1頭といったところか。


「怖気づいたかい?」

「まさか」

「よし。じゃ、行くよ。手筈通りにね」

「了解」


 日暮れを待ち、ゆっくりと川面に近づくサーシャ。ファラフ同様、見事な<隠蔽>術式。いったん川に入ればアンドルにもどこにいるのか分からない。残った二人は200メートルほど下流に移動し、川岸で火を焚いた。自分たちの姿を鬼に見せつける意図だが、やはり群れは無反応。ここまでは予定通り。


「行くよ?」

「ああ」


 鬼たちの統制は相当な強さだ。1匹くらい攫っても無反応なのでは?という希望的観測に賭けることもできる。しかし「そうでなかった」場合、サーシャを救出することはまず不可能。彼女は徹底的に嬲られ、死ぬことになるだろう。パーティーの信頼関係を構築するためにも、リスクは分散しなければならない。サーシャが命がけで小鬼ゴブリンを攫うなら、アンドルとファラフは命がけで陽動する。また万一サーシャが依頼遂行できない状況に陥った場合、残った二人は即座に小鬼の確保に動く必要がある。


 この場合の最適な陽動は「混乱した状況」の創出だろう。何が起きたか把握される前に終わらせる、それがベストだ。しかし群れの統制は強く、これを混乱させるにはこちらもを用意しなければならない。そのためにアンドルとファラフはゆっくりと川に入る。衣服は全て置いてきた。川岸の火明かりが、泳ぐ二人の身体を照らす。


 如何に強力な統制下であっても、本能に抗うことは難しい。鬼たちに「本能」があるのかどうかは謎だが、これまでに確認された生態からはっきりしていることがある。


 ……豚鬼オークの性欲はヤバい。

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