第25話 斥候
――リゼ川南岸 樺の森付近 昼
「おい……」
「うん?ああ、気づいた?」
「え、何の話だ?何か出ました?」
アンドルが立ち止まる。アラン以外は異常に気づいた。
この数日、例の依頼――エミル捜索は完全に行き詰っていた。新たな手がかりはほとんど無い。ルクシア近辺に滞在した記録が発見されたが、それは何年も前の話だった。依頼自体が怪しいものだと皆が気付き始めたが、金貨を貰った手前誰も言い出せない。もっとも、アンドルにとってはどちらでもいい話だ。今なら依頼を口実にいくらでも動ける。昨日今日と「樺の森に人間が争った跡がある」という情報の確認という名目で出てきているが、彼の目的は実地訓練だ。ちょうどいい教官もいる。
その教官――ファラフは、悔しいことにアンドルより遥かに優れた索敵能力を持つ。お目付け役としてパーティーに介入された当初は鬱陶しいことこの上なかったが、いざ一緒に動いてみると学ぶものがとても多い。いや、索敵だけでなく剣技や術式、状況判断能力に反応速度、すべてにおいて彼女が上だ。今のアンドルが勝っているのは体格と筋力くらいのものだろう。同じ鋼鉄級とは言え、それ程に差がある。
「アラン、静かに5歩下がれ」
「は、はい!」
樺の森の「争った跡」とやらは確認した。遺留物は無し。だが、人間同士の戦いとは思えない。少なくとも一方は丸太のような腕をしているはず。でなければあのような破壊痕は残らない。恐らくは魔物。仮に倒したとすれば相当な大物だが……少なくともギルドには報告されていない。冒険者以外の何者かが、この森にはいたのだろう。
「見えるか?」
「ええ。うじゃうじゃいるわねー」
「なあ、何がいるんだ?」
死体は残されていなかったが、生き残ったのはどちらか片方のはずだ。十中八九、人間の方だ。怪我を負って移動している――僅かに残された痕跡がそう伝えている。これについてはファラフも同意見だった。そして、その痕跡を追った先には。
「
「100や200じゃきかんな。大発生か」
「え、ちょ、マジか?」
樺の森の西端付近、森の中から川沿いの湿地帯を眺める。500mほど先、まばらな樹木の間でモゾモゾと動く集団。ひとかたまりで20頭前後だろうか、それが数十。もう少し近づきたいが、遮蔽物がないため敵に発見されてしまうだろう。
「どうする?」
「任せて」
ファラフは皮鎧や脛当を外し、さらに着衣も脱いだ。下着だけになり、ぬかるんだ地面の泥を体中に塗る。……帰りはどうするつもりだ?
「下手打つ予定はないけど、あたしが合図したら逃げな。アランを頼むよ」
「ああ。武器は持たないのか?」
「短剣はあるよ。ま、自決用だね」
見える範囲に短剣など無いが、恐らく下着の中だろう。自決用……万が
「じ、自決って……ファラフ先輩、やめといた方がいいんじゃ……」
「シッ!……伏せて。向こうにも斥候がいる。やっぱ君たち先に逃げてて。あたし一人ならどうとでも逃げられる」
「駄目だ。まだ情報が少ない。ああ、お前は逃げててもいいぞ」
アンドルも相手が
「じゃ、行ってくる」
「しくじるなよ、教官サマ」
「もちろん。あんたはまだ
ファラフもそれは承知している。二人の撤退基準はそこだ。
「おいアラン、お前魔術は使えるか?」
「お、はい、
「よし。万一のときは最小規模の<
「わかt……りました!」
ファラフの気配が薄くなる。<
「さて、こちらも動くぞ。もう少し南に寄る。ファラフの帰還援護の準備だ」
「はい!」
****
アンドルにパーティー加入を要請され、アランは困惑した。無理もない。相手は「あの」アンドルだ。ギルド加入から2年で鋼鉄級まで昇格した実力派ながら、ギルド内の評判は悪い。既にいくつものパーティーを崩壊させた実績を持ち、伝え聞くのは悪評ばかり。金に汚い、決め事を守らない、仲間を囮にする、成果を独占する。スラムの出身で、
曖昧な返事でやり過ごそうとしたら、いつの間にかパーティー申請が提出されていた。……逃げられない。見かねたファラフ教官のお節介はアランにとって天の恵みだった。
ところが、実際に行動を共にしてみるとこれが案外悪くない。
アンドルは確かに強欲で自己中心的だ。報酬配分は9:1だし(さすがにファラフが是正した)、事前に決めた予定が履行されることはほぼ無いし、危険が迫ればアランなど躊躇なく見捨てられるだろう。
意外だったのは彼のリーダーとしての能力だ。いざ作戦行動となると普段の強引さは影を潜め、メンバーの意見をよく聞き、判断に一切の情を挟まない。予定の変更は状況の変化に合わせたものであり、仲間を囮にするのもリスクとリターンを考えた結果。冒険者であれば自分の身を自分で守るのは当然で、そして報酬配分は責任の配分でもある。問題があるとすれば、そういった説明が無いこと。アランもファラフに解説されるまでは「聞いてる通りの嫌な奴だな」という認識だった。
パーティーを組んで数日、リゼ北岸の農村で数人の農民に絡まれた。前日に別のパーティーがこの村で揉め事を起こし、農民を暴行して逃走した、その損害を賠償しろ。ギルドが対応しないのなら領主に訴えるとまで言っている。この農村は南岸への「渡し」を行っているため、通過する冒険者も多い。もしも通行拒否などされれば大損害だ。
アランは面倒なことになったと思ったが、アンドルは即座にその日の予定を切り上げ、農民たちに話を聞いて回った。その結果、問題を起こしたパーティーが以前アンドルと組んでいたメンバーだったことが判明。驚くことにアンドルは頭を下げて謝罪し、迷惑料として負傷した農民と村長にそれぞれ大銀貨を数枚手渡した。現金収入の乏しい農民にとってこれは非常にありがたい。農村出身のアランにはそれがよく分かる。
もちろんこの行動は善意などではなく計算の上だ。ギルドに戻ったアンドルは問題を起こしたパーティーを呼び出し、ギルドの査問をチラつかせて恫喝。金貨数枚を絞り上げる。さらに、好意的になった農民たちから樺の森の異変についての情報を得、それを追ってきた結果がこの
****
「すげえ、ここから見てても居場所が全く分からねえ」
「……悔しいが奴の技術は俺より数枚上手だ。斥候職としてはリゼで一番だろう、今はな。そのうち追い越してやるが」
「さすがですね……。でもアンドル先輩は前衛だよな、ですよね?斥候もやるのk……ですか?」
「どんな技術も学んでおいて損はない。斥候の動きを知らなければ適切な指示は出せないしな。それとその妙な敬語は今すぐ辞めろ。意思疎通にラグが出る」
「ああ……すまん。慣れなくて」
「ふん、どう繕ったって俺もお前もチンピラみたいなもんだ。気にすんな」
「はは、そう言ってもらえると助かるぜ」
ファラフは湿地帯の泥の中を腹ばいで進む。全身泥まみれの上に隠蔽術式で魔力を隠しているため、視覚・嗅覚・魔力感知による発見は困難だろう。おまけにこちらは風下だ。これで見つかるようなら救出は諦め、一目散に逃げるしかない。
相応の時間をかけ、彼女は敵から50mほどの地点まで接近する。接近はここが限界。鬼は魔力感知能力が非常に鋭く、魔力波長で個体認識まで可能だと言われる。この能力に限ればかなり上位の術者相当だ。
一方で戦闘能力は拍子抜けするほどに弱い……1体ならば。鬼、とくに
(いた……そりゃいるよね。小鬼だけでこれほどの群れにはならない。大きな群れには必ず支配者が存在する。動物でも人間でも、鬼でも同じ)
点在する木々の合間に
鬼が、待機している?
そんな話は聞いたことがない。
一般に、鬼は人間を極めて強く敵視する。理由は分からないが、人間の気配を感じれば昼夜を問わず突撃する。ここはリゼ川南岸だ。1kmほど離れた対岸には農村集落が見える。奴らの感知能力なら既に人間の魔力を認識しているはず。なぜ向かわない?
そして奴らの目線。なぜ川に背を向けている?森の深部……南へ向かう気だろうか。湿地帯を突破して南へ向かえば樺の森の深部、そして遺跡群がある。もちろん集落などは無い。分からない。
進行方向が南向きだとすれば、現在地は群れの後端。それだけでこの数だ。群れ全体など考えるのも恐ろしい。一体これほどの鬼がどこで生まれた?川から湧いて出たとでも言うのか?分からない。
分からないことだらけだが、そろそろ潮時だろう。幸い、こちらには全く注意が向けられていない。帰還は容易だ。
ファラフは腹ばいのままゆっくりと後退し、報告内容を頭の中で整理した。
その時。
――グオゴォォォォォォォォォォォ!!!!!!!
身の毛もよだつ雄叫びと共に、鬼の群れが一斉に向きを変えた。
東――つまり、ファラフたちの方へ。
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