第3話 帰宅
――ギルド調査官。
正式には、ジュネラシア採集事業者互助組合・依頼災害等調査担当官。冒険者ギルドに詳しくなければその存在も知らないだろう。
依頼の履行に不備があった場合や、依頼そのものに瑕疵があった場合の調査が主な業務。そして危険な依頼の事前調査や、依頼遂行の結果危険な状況が判明した際にも調査報告を行う。
立場はギルド所属職員だが、その重要性から王国内の通行保証や各種ギルドでの優先面会権を持ち、場合によっては王宮内への立ち入りまでも許可される。過去の有事の際には非公式ながら王国軍の少佐相当官という破格待遇が与えられることもあった。
現在ルクシア支部には5人の調査官がいて、全員が元銀級以上の冒険者だ。
単独行動が多いため、現場への移動から危険対応に調査、報告までの自己完結能力が求められる厳しい仕事。
『ちょーっとハードル高いわね』
……はい、とてもボクに務まるものではないですね。
はぁ……かっこいいなぁ。
****
激動の初日勤務を終え、帰途に就く。
自宅といっても、ボクの住まいはなかなかにアレです。リゼの町でも貧困層が集まる中心街の裏通り、いわゆるスラム。ギルドからは路地2本分しか離れていないけど、その景色は全く違う。木造のあばら家が立ち並び、饐えた臭いが充満する。……たまに路上で人が死んでいたり。もう何度も見た。
「あーれー、ユーキじゃん。どしたのー?久しぶりー」
『あら、ベティじゃない。……酔ってるね』
おっと、面倒くさい人がいた。仕方ありません。
「ベティ、お久しぶりです。これから仕事ですか?」
「そうよー、うふふふー」
「仕事前のお酒は程々にしましょうね」
「はあ?いいのよーどうせ突っ込まれるだけなんだから。あいつら穴さえあれば何でもいいのよー?ユーキも最近かまってくれないしさー!もういいんだー」
『またそんなこと言って……。ユーキ』
ああ、だいぶやさぐれていらっしゃる。
「そうですか?……ベティの技術は一級品だと聞きましたが。王都の技術でしたっけ」
「およ?……ふっふっふー。まあね」
「この辺りでは一番のテクニックだと評判です」
「そりゃあそうよ!あたしに敵う女なんてこの街にはいないわね。ユーキなんてひぃひぃ言っちゃうわよ?」
「それはそれは。一度体験してみたいものですね」
「うふふふ。もう成人だもんね?待ってるわよ?来て頂戴ね」
「でしたら、ご自分を大切に。寂しいからって飲みすぎはダメですよ。今度遊びにいきますから」
「はいはーい。もう、ユーキのくせにぃ。ま、ありがとね。元気でた!」
『……ちょろい』
ほっ。今日はそれ程酔っていないみたい。足取りもしっかりしている。大丈夫そうだな。
ベティは近所に住む年齢不詳のお姉さん。見ての通りの花売り娘。昔は王都にいたらしく、色々な知識を教えてくれます。
酔ってるときの絡み方がひどくて……何度介抱したことか。彼女の酒乱は知れ渡っているから、誰も目を合わせない。何故か皆がボクを呼びに来る。お世話係じゃないんだけどね。この間なんて吐瀉物を口移しされた。うげぇ、思い出しちゃった。
それでも、ボクはベティに返しきれない恩を感じているのです。
****
「ただいま」
『おかえり』
……もちろん返事はない。この部屋にはボクしかいない。
スラム街の奥、潰れた娼館をそのまま使ったボロいアパート。家賃はすごく安い。具体的には月に銀貨1枚。中心街表通りの宿なら1泊で銀貨10枚程度だから、ね、ものすごく安い。
ただし、元が娼館だからか窓がない。水場はあるけど水は出ない。共同のトイレはあるけど垂れ流し。隣室のいろんな音も丸聞こえ。
四角い部屋の真ん中にいろんな染みのついたベッドがどーん!それだけ。当然、管理者もいない。家賃はスラムの顔役、アーロン一家の下っ端が取り立てに来る。最初は怖かったけど、もう、慣れた。
――ここに住んで2年が経つ。
他の子と同じように、12歳で孤児院を出た。しばらくは町はずれの教会に寝泊まりした。孤児院を出た子はそうする決まりになっている。
そこで、神官に襲われた。
自分がそういう対象に見られるとは思っていなかったから、恐怖よりも困惑した。翌朝は痛みと屈辱感と怒りでどうにかなりそうだったけど、そのうちに慣れた。皆が通った道、通過儀礼のようなものだと自分を納得させた。
ある夜、その神官が殺された。
殺したのは同じ孤児院出身の少女。ボクより2歳年上、孤児院出身者のまとめ役で、綺麗な青い髪の優しい子。彼女は神官のお気に入りだった。数日後には教会を出る予定で、行き先も決まっていた。
調理用のナイフで神官を滅多刺しにした上で性器を切り落とし、神官の悲鳴で駆け付けたボクらに微笑んだ後、自分の首を掻き切って死んだ。そうした理由は知らないけど、察するに余りある。ボクらは何もできなかった。何かをしようという考えすら無かった。あの血だまりの光景は、たぶん一生忘れない。
教会の対応は異常に素早く、翌日中にはルクシアの町から司教さまが着いた。ボクらに大銀貨を1枚づつ手渡し、「ここを去り、ここで起きたことは心の中に留めておいて欲しい」と告げた。口封じに殺されるかもしれないと思っていたから、お金まで渡されたのは意外だった。今にして思えば殺すまでもないという判断だったんだろう。独力で生きられる子供なんてほんの僅かだ。教会は神官と少女の遺骸ごと、燃やされた。
教会という居場所がなくなったボクらは、色んな場所で右往左往しつつ、最後はスラムに辿り着いた。というか、ここしか無かった。
所持金は無い、学も力もない。お金を得る方法も知らない。そんな子供たちがぬくぬくと生きていけるほど、世の中は甘くない。教会を出たときは5人だったが、1年も経たないうちにみんな先にいってしまった。
屋台の残飯を漁り、転がっている酔っ払いを漁り、たまに死体も漁り、どうにか生きてきた。ここにはそういう子供が何人もいる。新しい仲間もできた。カミラは意地の悪い少女、他人を金づるとしか思っていない。アンドルは嘘吐きの乱暴者。マティスは犯罪奴隷上がりで手先が器用だが、次に捕まれば死罪だろう。ろくでもないが、この場所で長く生き残れるのはそういう人間だけだ。……自分も含めて。
ベティはそんなボクたちに唯一優しくしてくれた大人。週に一回は暖かい食事を届けてくれたし、病人の処置もしてくれた。やりすぎたマティスがアーロン一家に粛清されかけたときにも必死で仲裁してくれた。
そして何より、ボクたちに住処をつくってくれた。
2年前、潰れた娼館を買い取り、アパートとしてスラムの住人に貸し出したのだ。娼館に出資していたアーロン一家とは相当揉めたらしい。というか彼らは物件をそのままヤミ娼館にするつもりだったけれど、稼ぎ頭のベティが強硬に反対、勢いで買い取ったのだとか。10年間は家賃をすべて一家が回収する代わりに、金額設定はベティが決めるという取り決めになっている。就職前の子供はみんな銀貨1枚、就職後は収入によって家賃が違う。娼婦になったカミラは大銀貨2枚、
そんな経緯もあり、集金に来る下っ端は嫌だけど、それも含めて必要経費だと納得してる。
それにしても……ベティはそんなお金を持ちながら、どうしてスラムなんかに住んでいたんでしょう。
『ベティは謎だらけね。年齢もよく分からないし』
アパートは4階建てで、建物自体はそれなりに立派。潰れた娼館の負債も乗ってるから、金貨100枚程度では精算できないはず。それだけのお金があれば余裕で郊外の高級住宅地に家を持てたのでは。
『なのに未だに娼婦やってるし。若くないはずなのに客は減らないし』
何度聞いても教えてくれない。いくら酔っていてもそれについては口が堅くて。
『家にもほとんどいないしね。仕事以外、何してるんだろ』
とにかく、ベティはボクらの恩人です。
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