レトロな生活【蝙蝠/髭/火鉢】

 有村 芳雄は会社帰りに火鉢を買った。

 最近は仕事の商品開発がうまくいっておらず、趣味のレトロな生活にのめり込むようになっていた。

 火鉢はよく行くアンティークショップにあったものだった。

 寒さが厳しいこの季節に火鉢の暖かさで足りるのか不安はあったが、実際に使ってみるとそんな事はなく、刺すような熱さのない穏やかな暖かさがとても心地よかった。

 なるほど、昔の生活も案外良いものなのかもしれない。

 と、同時に火鉢が廃れた理由も理解できた。

 準備と片付けが面倒だったのだ。炭を起こしたり灰を片付けたりとやらなきゃいけないことが多すぎた。

 最近は髭もしっかりとした剃刀で剃るようにしているが、それも髭を綺麗に切り揃えるため髭が伸びにくくなることと、そもそも手入れが面倒で剃るのに技量がいるデメリットがあった。

 こういうひとつひとつに、合理的に切り替わっていった理由があることを知るのがレトロな生活を感じる醍醐味だ。

 レトロな生活はお金はかからないが時間が要る。思うに、忙しない現代社会で考えるととても贅沢な生活なのだろう。

 なるほど、と思い付いたアイデアをスケッチしておく。

 有村からするとこういったところから新商品の着想を得るのが大切だった……目下のところ、絶賛スランプ中ではあったのだが。


 そんなある日、街で着物を着た女性が歩いているのが見えた。

 冬晴れの日差しが差す中、蝙蝠傘をさした、雅な様子の女性である。

 それを見て有村はピンときた。この女性はきっと自分と同種のレトロな生活にハマった人間だろう。もしかしたらこの人からも商品開発のヒントが貰えるかもしれない。

 そう思い、声をかけると女性は有村をキッと睨んだ。

 なんだ、ナンパか何かと間違われたか? と思い、怪しいものではない。話を聞きにきただけだ。と伝えると、よかった、じいやが私を迎えにきたのかと思った、と言った。

 じいや? と聞く有村にそうですよ、と答える女性。なんだか周囲もレトロな街並みに見えてきた気がしたが、最近寝てないから見た幻覚だろうか。

「……もし、大丈夫ですか?」

 ぼんやりする有村に声をかける女性。はっとなって見ると周囲は元の街並みに戻っていた。どうやら疲れからか幻覚が見えたらしい。

「あ、ああ大丈夫ですよ」

 女性と別れて、有村は家路を急いだ。

 さっきの会話の雰囲気を察するにどうやら女性はそこまでレトロな生活にのめり込んでいたらしい。

 たしかに、生活のディテールをもっと深掘りしていかないと分かるものも分からないよなぁ。最近はずっと商品開発に煮詰まっていた有村だったから、あの女性の振る舞いにとても元気づけられた。

 そうだ、まずは洗濯の手洗いからだな。

 そこから何か新しい商品開発のヒントが得られるかもしれない。そう気持ちを新たにして、有村は元旦に湧く街を急いだ。

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