夜行【幻想/無職/屍】
誰かを笑わせようと思ってこの職業についたはずだった俺が、まさか笑えるようになるためのクスリをもらっているなんて、冗談にしてもタチが悪かった。
目の前の精神科医の話を聞きながら、どうにか憂鬱な気持ちを飲み込もうとした。
しかし、頭の中は夜勤の工事現場のことでいっぱいで、またあの背の低い現場監督にいびられるのかと思うと逃げ出したい気持ちしかなかった。
無職同然でバイトで食い繋ぐなんて、まさに生ける屍だ。俺は自嘲気味に笑った。
お笑いでスターになる夢を持って上京したはずだった。気がつくと10年が過ぎていた。俺もいい年齢になっていた。
俺と幼馴染のマサハルで組んだお笑いコンビ『K-9』はまったく芽が出ることもなく先日解散した。
泣かず飛ばずだった。解散直前などお互い連絡すらとらなくなり「やめようか」「あっそ」という短い文章のみで終わった。
出会ってから15年経つ関係性の終着点がこれかと思うと、寂しさだけが残った。
芸人仲間の連中はもったいない! としきりに言っていたが、俺にはそれが人生の道連れにする仲間が減ることを憂えているだけにしか見えなかった。つまりは代替可能な人材。
こんなことだけが妙に笑えて仕方がなかった。
***
夜勤が終わって家に帰ると、部屋の前に警察がいた。なんだ? と訝しみながら近づくと「冬島 公康さんですか?」と声をかけられた。「ええ、そうですが……」そういうと、警察は「春海 将栄さんが亡くなった件でお話を聞かせてくれませんか?」と言った。
マサハルが……死んだ?
警察の話によると、マサハルは昨晩に鈍器で頭を殴られて死んだらしく、その話をオレに聞きたいとのことだった。
マサハルが殺された? ショックで茫然自失となった俺は、咄嗟の判断で逃げ出してしまった。
「あっ、待て!!」
警察が追いかけてくる。なぜだ。俺はその場にとどまって無実を証明すればいい。
俺の身は潔白だし、警察が原因を究明してマサハル殺しの犯人を捕まえてくれる。
ただそれだけのはずだ。
その時、声が聞こえた。
「そうだ、それでいい。逃げるのが正解だ」
「誰だ、お前は?」
声はたしかに聞こえた。しかし、それがどこからかが分からない。
「オレはお前だ。お前の中のオレだ。警察はハナからマサハル殺しをお前だと疑ってかかっている。このまま捕まれば逮捕されて、投獄されることは目に見えている」
「なぜだ、なぜそんなことが分かる?」
俺の問いにもう1人のオレは答えない。
裏路地を縫うようにして逃げた。
まさか、道路工事のバイトがこんな形で役に立つとは思っても見なかった。
***
最近の俺は幻覚を見るようになっていた。幻覚が幻想を形作る。
廃屋の中でうずくまりながら、俺は目の前のオレを見ている。わかっている、これは幻覚だ。しかし、俺はこのオレに突き動かされて逃げてきた。
なぜなんだ。
「マサハルは殺された。それは政府が隠したあるものを見てしまったからだ」
オレが俺に説明する。
「それは一体なんだ?」
「そこまでは……わから……」
ああ、クソ! 霞行く幻覚をもっと見るため、処方された薬をガリガリと多めに噛んだが幻覚は消えてしまった。
答えは分からなかった。だが、幻覚の言葉を信じるならば、犯人は国家権力に絡んだ何者かだ。
かわいそうなことにマサハルは口封じに殺されてしまい、俺に嫌疑がかけられた。
俺はマサハルを殺したやつを捕まえて自分の無実を証明する必要がありそうだった。
***
マサハルはいい奴だった。それは死んだ感傷からそう言っているわけではなくて、高校で出会った時からずっと思っていたことだ。
結果、ボタンの掛け違いのようにズレていった俺たちだっだが、あいつのボケは天下一品で、それに綺麗にツッコミができた瞬間は劇場は爆笑の渦に巻き込まれた。
そう、劇場だ。
もしかしたら劇場に行けば何かあるかとしれない。
***
幕切れは呆気なかった。
劇場に行くと、警察が待っていた。
そして項垂れる劇場の支配人がまさに連行されていくところだった。
後輩芸人が俺を見つけて近寄ってくる。
「あ、冬島さん。この度は……なんと言っていいか……」
「どういうことだ?」
「マサハルさんが殺された件、なんか支配人がやったらしいっすよ。金返してくれなかった、とかで」
「……え?」
「マサハルさん、結構色んな人から金借りて滞納してたらしいじゃないっすか、それ絡みでヤられちゃったみたいで……なにもねえ、支配人も殺さなくったって……」
俺は途中から後輩の言っていることが聞こえなくなっていた。
なんだそれは、なんなんだよ。それは。
国家権力は? 俺の敵討ちは?
高校からの馴染みの元相方が殺されて幻覚に唆されて来てみれば、別に俺は警察から疑われていたわけでもなんでもなくて、結局、相方は金を返さないから殺されただけだった。
言わば自業自得だ。国家的な陰謀や壮大な伏線なんて何もなくて、あるのはただただしみったれた現実だった。
相方の死の真相を究明して仇を取ってやるなんて息巻いてみたものの俺は物語の主役になれないただの脇役で、スポットライトを浴びることなくまたいつもの日常に戻っていくだけだ。
結局、主役になんてなれなかった。
茫然となって立ち尽くす俺を幻覚が笑った。
「いい幻想(ユメ)見れてよかったじゃん、芸人さん。今のお前、めちゃくちゃ笑えるぜ」
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