回れや回れ、巡り巡るよ【家族/イラスト/回転】
今考えるとバカバカしい話なのかもしれないが、1970年台中頃は回転ベッドの時代だった。
全国の男女が営むためのホテルには必ずと言っていいほど回転ベッドが着いていたのだ。回転ベッドがないと人が呼べないから、みんなこぞって新しいベッドを作った。
当時の日本人は変な方に思い切りが良かったから、円形の回転ベッドを全面鏡張りの部屋に入れたりとか、天井まで上昇して回転するベッドを作ったりとかしていた。
親父もそんな回転ベッドに魅せられた人間だった。ただし親父は回転ベッドを使う側ではなかった。作る方だった。
親父は町工場を切り盛りしていた。回転ベッドはうちの主力製品で、高度経済成長の波に乗って売れに売れた。親父は家族を顧みず、とにかく新規性のある回転ベッドを試作して、色々なホテルへ卸していった。
「なあ、シゲ、人間死ぬときゃ畳って言うだろ? 俺ァな、回転ベッドだと思ってる。ふざけた話じゃないよ、大真面目さ」
親父は小さなコップになみなみと注がれたビールを飲み干しながら言った。
こんな早い時間に親父が帰ってくること自体が珍しかったから、俺はこの日のことをよく覚えていた。
回転ベッドのおかげでうちの町工場は大いに潤っていた。我が家も回転ベッド御殿が建つに至り、毎日ご馳走が食べられるようになった。弟が大好きなエビフライを頬張っている姿をニコニコと眺める親父は、俺にとって自慢の親父だった。
親父の先の発言も、回転ベッドに食わせてもらっている身なればこそ出たものだろう。
家族団欒の短いひとときが、とても幸せに感じられた。
***
だが、禍福は糾える縄の如く、自体は時代に飲まれ急転直下を迎える。
親父が飽和した回転ベッドのその先を見据えて開発した、縦回転の回転ベッドが大コケしてしまったのだ。
よく考えたら当たり前だ。男女がいちゃつくベッドを縦回転させても、そこには情緒も恥じらいもへったくれもあったものではない。手段と目的が倒錯した例だった。
親父は大量に生産してしまった縦回転ベッドを前に途方に暮れていた。御殿は長屋に代わった。俺は工場を手伝い、弟が新聞配達をした。どうにかしのいでいる有様だった。
さらに悪いことは重なって、1985年に風営法が改正されて新規の回転ベッドが置けなくなってしまった。事実上の廃業である。
親父はショックから立ち直れず、失意のうちに酒浸りになってそのまま亡くなってしまった。バブル崩壊の惨劇を目の当たりにすることなく亡くなったのは、ある意味では幸せだったのかもしれない。
***
親父が亡くなって長い年月が経った。
町工場はギリギリの採算だが今も俺が続けている。
俺も家族を持つにいたり、あの頃の親父が目指したものが何だったのかようやっと分かりかけてきた。
娘が「家族」と題したイラストを学校で描いたんだよと見せてくれた。
そこにはもう亡くなった親父とお袋も描かれていて、みんな一緒が良かったから、という娘の言葉を聞いて不覚にも泣いた。
同時に、エビフライをお腹いっぱいに食べていた弟を眺めていた、優しい目つきの親父の影がチラついた。
親父はただみんなで幸せになりたかっただけなのだ。
家族を顧みていなかった訳ではなかった。俺たちだけではなく、従業員もみんな引っくるめて幸せになりたかった、それだけだったのだ。
だから、常に挑戦を続けて、それがたまたまうまくいかなかっただけなのだ。
そこまで考えて、俺はまだ親父の望みを叶えていなかったことに気づく。
そうだ。まだやり残したことがある。
今度の週末、弟と久しぶりに連絡をとって回転ベッドの残っているホテルへ行こう。
そして、親父がかつて望んだ通り、回転ベッドの上に遺影代わりの親父も描かれた家族のイラストを乗せて、ぐるぐる回してやるんだ。
ぐるぐるぐるぐる回したら、きっと親父は天国から俺たちのことを見てくれる。
畳の上で死ぬよりもこっちの方が洒落てらぁ、なんて、あの日と同じようにニコニコと優しい笑みを浮かべるのだろう。
きっとそうに違いない。
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