>>8 The Cat and the Owner
──オーディション当日。
「〜♪ 」
私達はオーディション用の歌を、リハーサルとして最後に1曲、菜々ちゃんの家で歌っていた。
デパートで買ってきた可愛いワンピースと靴。
私と菜々ちゃんの綺麗なハーモニー。
……大丈夫、直すところはない。
完璧だ。
「──それじゃあゆかり先輩、行きましょうか」
「うん」
……ドキドキと胸が高鳴っている。
自分が思っているより、私は緊張しているのだろうか。
ふと菜々ちゃんの表情が気になって、チラッと横顔を見てみた。菜々ちゃんは唇をキュッと結んで、真剣な顔つきで何処かを見ている。
……菜々ちゃんもきっと、これから先に待ち受けているオーディションに対して、いろんな思いを抱いているのだろう。
……でも大丈夫。
だって私たちは、この三ヶ月間必死に練習を積み重ねてきたんだ。この日の為に。
だから絶対に受かるだろう……。
私は期待を胸に、玄関のドアを開ける。そして、菜々ちゃんと共に目的地であるオーディション会場を目指した。
♢
家からオーディション会場までの道のりは、結構長い。いくつかの電車を乗り継ぎ、新幹線で2〜3時間走った先にある。なので、私は少しだけ旅行の様な気分だった。
……しかし。
「暑いなあ……」
──8月の上旬。
夏休みが重なっているという事もあり、何処も彼処も人だらけだった。
ただでさえ暑いのに、この人混み……。
汗がダラダラと零れ落ちて来る。それは、タオルでいくら拭いても追いつかなかった。
……本当に暑い。
「やっぱり都会は、特に暑いですね……。あたし達が住んでいる所は、少しだけ田舎なのでここまで暑くはなかったんですが……」
菜々ちゃんはそう言って、小さなバッグから何やら可愛い物を取り出した。
「何それ? 」
それは、少しだけ扇風機に似ていた。
扇風機を小型化して、手で持てる様なサイズにした物……、みたいに見える。ただし、頭の上にクマの様な耳が付いているが。
「ゆかり先輩、これはハンディファンっていうんですよ」
「……はんでぃふぁん? 」
……初めて聞いたな。
私がキョトンとしていると、菜々ちゃんはそれを見て『ふふ』っと笑ってから言った。
「普通の扇風機は重いし大きいしで、とても持ち運ぶ物では無いんですけど……、これは外出している時でも使える様にコンパクト化した物なんです。勿論、小さいので風量は扇風機程では有りませんが……、それでもかなり涼しくて便利グッズなんですよ」
そして、菜々ちゃんはハンディファンのスイッチを押した。
その後、涼しい風が顔にぶわああっと当たる。
それは、想像していたよりもかなり強い風量だった。
……なるほど。
これは確かに便利だ。
「今、凄く人気のアイテムなんですよ。可愛い種類も沢山有りますしね。因みにこれは、ずっと前ディスティニーランドに行った時に買った物なんです。そこのキャラクターをモチーフにした物なので、クマ型なんですよ」
「なるほど……」
ディスティニーランドとやらのキャラクターが、どんな顔をしているのかという事は全然検討もつかないが……。
きっと、この間菜々ちゃんと一緒に遊園地に行った時に見た『ミキマルちゃん』と同じ様に、凄く可愛い見た目をしているのだろう。
間違いない。
♢
こうして、私たちは暑さをなんとか耐え忍び……、目的地付近までやっと辿り着くことが出来た。
「んー……、まだ時間ありますね」
菜々ちゃんは、腕に付けていた時計の時刻を見てそう言う。
私も携帯を見て時間を確認したが、確かに受付まで後1時間はあった……。時間に遅れる訳にはいかないので、早めの行動は大切だが……、いくらなんでも早すぎたのかもしれない。
「どうします? ゆかり先輩」
菜々ちゃんの問いに、私は『うーん……』と辺りを見渡す。
ここは駅が近いので、色んなお店があった。
ショッピングモールを見て回るのも良いかもしれないが……、これから先の事を考えると、やっぱり体力の温存は大切だし。
「あっ」
その時、ふと目に止まったお店があった。
カフェだ。
飲み物を飲みながら、時間が来るまでゆっくりと過ごす……。きっと、1番最適な時間の潰し方だろう。
「菜々ちゃん、あのステイバーってカフェに行ってみようよ」
私が方向を指で指して教えると、菜々ちゃんは『なるほど』と手を打った。
「良いですね。行ってみましょうか」
……実を言うと、私が暮らしている海桜町は結構な田舎だったので、カフェと呼べるお店が近くに無かった。その為、カフェに行くのは今日が初めてなのである。
だから、ちょっと楽しみだった。
カフェって何て言うか……、『大人』って感じがするし。
お店のドアを開けると、カランコロンと綺麗な音がした。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
オシャレなBGMが流れている。
外の真夏の暑さとは違って、店内はクーラーの涼しい風が、私の身体を包み込んでくれた。
はっきり言って、今凄く気持ちがいい。
例えるなら、ここはオアシスだ。
「ゆかり先輩、あの窓際の席に座りましょうか」
「うん、いいよ。……って、」
菜々ちゃんの歩き方が、いつもとは違って若干カクカクしていた。よく見ると、顔も少しだけこわばっている様に見える。
菜々ちゃんもきっと初めてなんだろうな。海明町も田舎な方だし。
……だけど、それを周りに気づかれないようにする為か、堂々としようとしている様がちょっとだけ違和感を感じて面白い。菜々ちゃんには悪いけど。
私達は席について、メニューを見た。
色んなドリンクがある。サンドウィッチとかパンとか、食べ物も結構美味しそうだ。まあでも、今日はそこまでお腹が空いていないので飲み物だけ頼もうと思うが……。
「ゆかり先輩は何にします? あたしはカプチーノにしようかな……」
……オシャレッ!!
カプチーノって、初めて聞いたし何だかよく分からないけど、響きが何だか物凄くオシャレだ。
『The.都会っ子がよく飲む飲み物』というイメージッ!
「じゃ、じゃあ私もそれにしようかな……」
コーヒーは苦くて飲めないけれど、写真を見る限り、どうやらカプチーノという物は見た目が甘そうだ。
これなら、苦い物が苦手な私でも飲めるかもしれない。
店員さんを呼んでカプチーノを2つ注文する。
届くのが楽しみだ。
「オーディション、緊張しますね」
「そうだね……。私も初めてだから、どんな感じか全然想像出来ないや」
「…………」
沈黙の時間が流れた。
店内のオシャレなBGMも聞こえないほど、私達は緊張していたのだ。
もしかしたら、カプチーノを飲んでも味が分からないかもしれない……。それぐらいには、胸がドキドキと高鳴っていた。
「……菜々ちゃん。私ちょっとトイレに行ってくるね」
「あ、分かりました」
この時間が耐えられなくて、私は逃げるようにトイレに移動する。
クーラーの風は涼しくて気持ちいいが……、何処と無く暑く感じるのは、きっと緊張しているからだろう。
用を済ませて手を洗っていると、女の子が2人トイレに入って来た。
いつもなら、トイレに誰が入ってきた所で気にもならないのだが、今回は少し違った。
背が小さい水色の髪をした女の子と、逆に背が凄く高い金髪の女の子。とても珍しかったので、思わずジーッと見てしまった。
「……何見てんのよっ! そんなにおかしいっ!? 」
金髪の女の子に睨まれて、私は思わず狼狽える。
よく見たら、腕には刺青まで彫ってあるじゃないか。ヤンキーか何かなのだろうか。
こ、怖い……。
とはいえ、見ず知らずの人をジッと見てしまった事は失礼極まりないか……。
「す、すみません……」
謝るのは当然だけれど、物凄い目力で睨んでくるので、萎縮してしまう……。
「……そんな見た目をしてるのだから、ジッと見られても仕方ないのですよ」
「はあっ!? 何よアンタ、私に楯突く気!? 」
「……はあ。本当に面倒くさいのです」
「ほんっと何なのアンタ!! マジでいい加減にしなさいよっ!? 」
ひええっ!!
途端に金髪の女の子は、物凄い勢いで水色の髪の女の子の胸ぐらを掴み出した。
も、もしかして喧嘩!?
店員さんを呼んでこないと……。そう思って、アタフタとトイレから出ようとしたが、水色の髪の女の子が『大丈夫なのです』と私に合図を送る。
「……ほら」
水色の髪の女の子は慌てることも無く、胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
そして、それを金髪の女の子に見せると、金髪の女の子は急に表情を変えてその写真にしがみつき出した。
「にゃ〜んっ!! 」
……え!?
急にどうしたの!?
金髪の女の子は目をハートにさせながら、写真を抱きしめていた。
隙間から覗いてみると、それは可愛い猫の写真だった。
「……ご迷惑をおかけしました。この人は猫に目が無いのです。困った時は猫を見せれば良いのです。にゃー」
そう言って、水色の髪の女の子は猫のポーズをとってから、トイレのドアを開けて入って行った。
金髪の女の子はまだ写真に夢中である。
──……一体何だったんだ……。
頭の中は本当にハテナでいっぱいだったが、まあいいや。
私はトイレを出て、菜々ちゃんの居る席へ戻った。
「あっ。ゆかり先輩! 遅かったですね。もうカプチーノ届いてますよ」
「あ、うん……。何かトイレに変な人がいてね」
「? 」
菜々ちゃんはキョトンと首を傾げている。
……うん。大丈夫、私もハテナ状態だ。
説明するのも面倒なので、私は菜々ちゃんとカプチーノを早速飲むことにした。
「美味しそう〜! いっただっきま〜す!! 」
……うっ。
苦いものが苦手な私。
その後の事は言うまでも無い……。
──オーディションまで、後30分。
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