第50話 セーブポイント

 デュケの森の中の街道を東へ向かう。途中でディル家の兵が道を封鎖して検問のようなことをしていたがそのまま突破した。追いかけてくる騎馬はスピードで振り切る。車は完全に元の速さを取り戻していた。

 森を抜けて東部地区に入る。オイフェ村を越えてしばらく行ったところにワゴンブルグが見えて来た。晴天の空に環形の鎖の旗がはためいていた。


 正面ゲートからワゴンブルグに入る。

 ワゴンブルグの中はまるで難民キャンプのように大勢の人と車でごったがえしていた。人々のほとんどは客ではなく、ワゴンブルグの中に天幕を張って住んでいるようだ。ディル家の占領地域から逃げて来た人たちだろう。

 移動販売やギルドに関係なさそうな普通の人の姿も多かった。どれもこれも知らない顔ばかりだ。もはや俺の王国ではなくなっているのかも知れない。


 俺は適当な場所に自分の車を停めて車から降りた。人々はこの車が珍しいのか一斉に俺に目を向けた。

 そのタイミングで突然、けたたましく響く鐘の音が上から降って来た。


「王の帰還だ!」


 二階建て魔動車の屋上から誰かが激しく鐘を打ち鳴らしながら叫んだ。人々が俺に向かって手を振り上げて大歓声をあげた。何が起こったのかさっぱり理解できずに俺は呆然と立ち尽くした。


「どうなってるんだ……」


 俺は誰に言うともなくつぶやいた。誰かに後ろから二の腕を掴まれる。ぎょっとして振り返るとアニュモネだった。


「こっちに来なさいよ」


 腕を引かれるまま近くの大型魔動車に入った。カジノに使っている車だ。今は営業してないようだった。車の中にはカジノ店長のコロイボスもいた。アニュモネとコロイボスはこの間の戦闘には参加していない。


「ご無事で何よりでした」


 コロイボスは俺の手を両手で強く握って言った。


「お前たちも無事でよかった」


 俺がそう言うとコロイボスはこみあげてきたのか嗚咽おえつしはじめた。その体をアニュモネがそっと抱く。


「他の皆は?」


 アニュモネに尋ねた。


「こっちに残った人は全員無事だけど、戦いに行った人たちの五人に一人は帰ってこなかったわ」


「……そうか」


「メガメーデは残念だったわね。みんな、あの娘のこと大好きだったのに」


 彼女のことは、俺が猫人の里にいた時にすでに伝えてあった。

 

「本当にな……」


「帰って来た時、驚いてたでしょ?」


「うん」


「あんたがいない間のワゴンブルグでは、あんたさえ戻ってくれば今度こそ絶対にディル家に勝てるはずだって噂されてるのよ」


「ついこの間、俺がいたのに負けたばかりじゃないか」


「それはエウメデスたちがゴネてワゴンブルグを移動させたからだって言われてるわ」


「そういうわけでもないんだけどな」


 あの時、ワゴンブルグを移動させていなくても、結果は変わらなかっただろうと思う。


「そんな感じだから、今、ギルドとそれ以外の人たちの関係がちょっと複雑なのよ」


 わかりやすい戦犯を皆が求めているってことだろうか。


「バルカンは?」


「バルカンは捕まってたけど、抜け出して昨日一人で戻ってきたわ。今は宿屋の一室で療養中よ」


「そうか。それは良かった」


「昨日バルカンが戻ってきた上に、今日はあんたも戻ってきたことだし、皆の意気は上がったでしょうね。でも……、これでディル家との再戦の流れは止められなくなったかも知れないわね」


 アニュモネはため息をついた。


「アニュモネは再戦に反対なのか?」


「うん。本音を言うとね。

私たちはどこにでも移動出来るんだから、何もレクリオンにこだわる必要もないと思うの。

ディル家は私たちが敵対するには強大すぎたし、今回のことで前よりももっと大きくなった。現実的に考えて今の私たちがどうこうできる相手だと思えないわ」


 負けず嫌いなアニュモネがこんなことを言うのは意外だった。


「でもディル家との戦いで家族を亡くしたり、故郷を追われたりした人が大勢いるわけだし、このままだと彼らは絶対に納得しないわね。そのことに戦いに参加しなかった私たちが何か言える立場でもないしね」


「お前たち自身が参加してなくても、家族みたいな俺たちが参加したんだから何も遠慮する必要はないんだぞ」


「家族……。そう言ってもらえて嬉しいわ。私は今まで家族には恵まれなかったから」


「トモくんっ!」


 その時、テオフィリアが扉を開けて勢いよく車に入って来て、俺の背中をきつく抱きしめた。振りかえるとカサンドラや宿屋の店長のエウロペもいて照れくさそうな顔で俺に挨拶をした。


「トモくん?」


「何だ、テオフィリア」


「くさい……」


 テオフィリアは俺から離れて鼻をつまんだ。半月ほどの間、まったく風呂に入らずに猫人の里にいたから仕方がなかった。



 久し振りに風呂に湯を沸かした。大型風呂と小型風呂同時にだ。大型風呂のほうは皆に開放し、避難民から先に入ってもらうことにした。

 それはサービスというより疫病の予防のためだった。大人数で一か所に集まって生活する場合は疫病が一番恐ろしいのである。

 

 風呂の開放と同時にホットドッグやハンバーガーを量産して皆にふるまうことにした。避難民たちは何も持たずに逃げて来た人も大勢いるので食料が不足しているからだ。俺は着いたばかりなので、作業自体はコロイボスに代わりにやってもらった。


 風呂を出ると後ろの扉から自分の車に入り、寝床を敷いた荷室の扉を開けた。

 テオフィリアが俺の身体をクンクン嗅いでから頷いた。入ってよし、という許可を得たようだ。

 俺が風呂に入っている間に車の中の空気はすっかり入れかえられていて、テオフィリアが振り撒いた香油の香りが漂っていた。俺は彼女の隣りに腰をおろす。


 テオフィリアと二人で布団の上に横になって、ここしばらくの間の出来事を語り合った。メガメーデのことを話すと彼女は布団に顔をうずめて泣いた。

 ざわめいていた外が静かになるころには、彼女は話し疲れたのか寝息を立て始めた。


 テオフィリアが寝た後、俺はもう避けられない状況にあるというディル家との再戦のことを思った。

 正直、俺は心の底から怯えていた。ディル家が、重装騎士団が怖くて仕方なかったのだ。

 殿しんがりで一人戦場に残ったあの時の、地面を揺るがす地響きのような馬蹄ばていの音。突撃の時に騎士たちがあげる咆哮ほうこうは今思い出しても震えがくる。

 騎士の戦いなど、もっと牧歌的でのどかなものだと思っていた。しかし、全然違っていた。まるで野獣の群れにひとりだけ取り残されたような原始的な恐怖と絶望がそこにあった。

 あれともう一度戦うのか……。

 布団に潜って頭を抱える。冷たい汗が背中を伝った。

 頼りになるメガメーデはもういない。困ったときに相談できる車の精も消えてしまった。


「震えてる。怖いの?」


 テオフィリアが俺の背中にそっと触れて言った。いつの間にか目を覚ましていたようだ。


「い、いや……」


「私には強がらなくてもいいのよ」


「そういうわけじゃない」


「このまま二人でどこかへ逃げようか?」


 俺はテオフィリアのほうに寝返りをうった。彼女の目はいつになく真剣だった。


「誰も知らないところに行って二人で暮らすの」


 出来ればそうしたかった。

 でも……。

 あまりにも大勢の大切な仲間を失った。

 あの時、俺がメガメーデの策を採用していればこんなことにはならなかったのかも知れない。ヘイラ山脈を迂回うかいして敵の背後を奇襲するという策だ。

 しかしメガメーデは不平なんか一切言わずに俺を助けるために自分が犠牲になった。こんなに弱くて臆病な俺を助けるために。 

 今、ディル家は全ての責任を王国とギルドになすりつけようとしていて、生き残った仲間たちの居場所も失われつつある。

 よそ者の俺を受け入れてくれ、頼りにしてくれた大切な仲間たち。

 皆のためにも、死んだ仲間たちのためにも、そして彼らの名誉のためにもこのまま済ませるわけにはいかなかった。


「逃げるわけにはいかないんだ」


「どうして?」


「俺は、皆の王だから」


「名目だけの王じゃないの?」


「そうかもしれない。それに元々俺は王なんていう器じゃないのも分かってる。でも俺がやらないと他に誰もいない。俺しかいないんだ」


「……」 


 テオフィリアは俺の手に自分の手を重ね合わせた。そのまましばらく見つめ合う。

 しっとりとやわらかい手の感触が心地良かった。思わず下半身が反応してきた。


「あの……。裸見せてもらっていいかな?」


「この流れでそれ言うの?」


 テオフィリアは呆れたような顔で言った。

 しかしすぐに彼女は噴き出した。しばらくの間、二人でお腹を抱えて大笑いした。

 笑いが収まると彼女は笑顔で、「いいわよ」と言った。


 テオフィリアは横になったまま、器用に服を脱いで裸になった。すぐに俺は彼女のほうへ体を寄せて裸の胸に顔をうずめた。


「おさわり禁止ですよ、お客さん」


 テオフィリアは俺の頭を撫でながら優しく言った。

 心のHPが満たされていく。彼女こそが俺のセーブポイントだった。


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