第35話 サキュバスの秘法
建国祭が終わってから2日後の夜のことだ。俺は一人で風呂につかり、その日の疲労を癒していると、表の扉の蝶番がすれる音がした。誰かが入ってきたようだ。
「お背中流しましょうか?」
脱衣所からはカサンドラの声がした。
「……こ、ごめん。テオフィリアとの約束で、俺は女の人の裸を見ちゃいけないんだ」
少し考えた後、そう答えた。自分で言ってて情けないセリフだと思った。
「……分かりました」
俺の言葉にカサンドラは納得したのか、出て行ったようだった。
ちょっともったいなかったかな、などと思っていると再び表の扉が開くような音が聞こえた。そして間を置かずに脱衣場と風呂場を遮っている扉が開き、貫頭衣のようなシンプルな白い服を着たカサンドラがその姿を見せた。
「これならよろしいですわね」
彼女の言葉には有無を言わさぬような響きがあった。俺の返事を待たずに彼女は風呂場に入ると優雅なしぐさで丸椅子に腰掛けて、自分の髪を洗い始めた。
その時、俺の目はくぎ付けになった。
マズい。
これじゃあ何も着ていない方がまだマシじゃないか……。
濡れたことで白い薄布が体に張り付いて中身が完全に透けている。そのために白い肌が強調されてかえってなまめかしく見えているのだ。
カサンドラは髪を洗い終わると、俺が入っている風呂桶の方にちらっと目線を向けた。そして口を開いた。
「ご一緒してもよろしいかしら?」
「あ、俺、もう出るから」
俺は慌てぎみにそう答えて風呂桶から腰をあげた。さすがに一緒に風呂に入るのはマズい。しかし、風呂場から出ようとするその右手をカサンドラにつかまれた。その細い腕は意外と力があった。
「それならせめて、お背中を流させてくださいな」
彼女はそう言って、俺に丸椅子に座るように促した。相変わらず有無を言わさないような口調で断りにくかった。
仕方がない。これ以上、拒否するのも角が立つし。まあ、背中を流してもらうくらいならいいかな。そう思った俺は素直に丸椅子に腰を落とす。
彼女は俺の後ろにつくと、石鹸水を手に取って泡立て始めた。そして、それを俺の背中に直に手で擦り付けた。
彼女が手のひらを背中にさっと滑られたとき、とんでもない刺激が走った。
「うぅっ」
思わず情けない声を出してしまった。
こ、これはマズい。
背中に触れただけでこれである。これが真正のサキュバスというものなのか。まるで男の敏感なところを直接触られているような感覚。
さらに彼女はゆっくりと撫でるように手を動かしはじめた。
あう! これ以上はやめてくれ!
俺は心の中で悲鳴を上げた。
「トモノリさまはテオフィリアさんを大切に思っていられるのですね」
カサンドラは俺の耳に口を寄せてささやいた。
「あたくしは2番目でもよろしくってよ」
怪しげで低い大人の女の声だった。
そしてさらに挑発するかのように彼女の手のひらが背中を這いまわった。
あふっ! もう、やめてくれぇ。
俺は蛇に睨まれたカエル状態だった。格が違った。彼女は俺がかなうような相手ではなかったのだ。
この世界に来てからは車のおかげで何だかちょっとモテてるような気もしていたが、そんな虚飾を取り除いて一人の男女として向き合えば、このカサンドラは(テオフィリアもだが)とうてい俺のような凡な男が付き合えるようなレベルの相手ではない。ましてカサンドラは経験も豊富なサキュバスだし元々かなうはずなどないのである。
「前はどういたしましょう?」
「え? 前って? 何?」
「サキュバス族の秘法で……」
生温かい息で俺の耳を刺激しながら囁くように彼女はどエロいことを言った。彼女に関わる全てが、その身にまとう空気すらが俺にとって凶器のようなものだった。もうどうにでもなれと思った。
「お……」
「トモくん、いるの?」
その時、脱衣所からテオフィリアの声が聞こえた。いつの間にか来ていたようだ。
危なかった……。お願いします、と言うところだった。
浴室の扉が開く。こちらを見てすぐに目を見開いたテオフィリア。
「ちょっと、トモくん。何をしているのかしら」
尖った声。
「ち、違うんだ」
「何が違うのかしら?」
「誤解なんだ」
「何が誤解なのかな?」
そう問われて俺はようやく状況を理解した。確かに俺は背中を流してもらってただけだ。
しかしカサンドラはスケスケの服だし、客観的に見ればどう見てもいかがわしいサービスをうけているようにしか見えない。
「カ、カサンドラさんも説明してくれ」
「では、あたくしはこれで失礼します」
カサンドラは俺を置き去りにしたまま、そそくさと風呂場から出ていった。
冷たい空気が浴室に流れた。どうしてくれんの?
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