第30話 火の玉

「代ってくれ!」


 急いでテオフィリアと運転席を入れ替わる。リュンケウスが結界の内側に侵入するのがバックミラーに映った。俺はキーを回すと同時にアクセルを踏み込む。エンジンがかかる音がした。

 リュンケウスが助手席のドアノブに手をかけるのと同時にホイルスピンさせながら車を急発進させた。

 とっさにドアミラーをつかんだリュンケウスは、バンパーとサイドステップに両足を乗せて車につかまる。この車には運転席のドアの下に小さなステップがついているのである。走り出した車に張り付いたままリュンケウスは、衝突ですでに蜘蛛の巣のようなひびが入っているフロントガラスを、剣の柄頭で何度も叩いて割ろうとする。

 何てやつだ……。

 その豪胆さには内心舌を巻いた。これがこの世界の男なのかと思った。しかし感心している場合ではなかった。車をジグザグに走行させて何とか振り落とそうとするが離れない。


 街道のすぐそばまで来た時、剣の柄頭はついにガラスを突き破った。リュンケウスは不敵な笑みを浮かべてさらに強くガラスを叩く。

 ついに、音を立ててフロントガラスが割れ落ちた。一気に風が車内に吹き込む。テオフィリアがガラスの破片を避けながら悲鳴を上げた。


「てめえ。この前の奴じゃねぇか」


 リュンケウスは今さら気づいて言った。

 ひびで見えにくかった視界がクリアになったことで、街道に穿うがたれた深いわだちが目に入った。俺はとっさにハンドルを切って片方のフロントタイヤをわざと轍に落として引っ掛けると、サイドブレーキを引いて後輪を滑らせた。


「うおあぁっ!」


 叫び声を上げるリュンケウスを振り飛ばしつつ車は半回転し、横転しそうになりながらも何とか持ちこたえた。

 地面に叩きつけられてうめいているリュンケウスの様子をバックミラーで確認すると、俺は再び車を発進させた。


「だ、大丈夫だった? トモくん」


「問題ないよ。テオフィリアは?」


「私は大丈夫だけど、あの男、ほっといていいの?」


「良くないけど、とにかく先にプラークシテアーを捕まえないと」



 元の場所に向かう途中、ヘッドライトがたまたまプラークシテアーを照らし出した。テオフィリアはガラスが割れたフロントからクロスボウを魔女に向けて放ったが、大きくそれた。走りながらだと当てるのは難しいのだ。

 魔女は手のひらをこちらに向けてかざすと、火球を発射した。一般的にファイアーボールとも呼ばれている攻撃魔術だ。これでこの女が本物のプラークシテアーであることが確定した。

 俺は急ハンドルを切ってその火球を避ける。走る物体に当てにくいのは向こうも同じだった。しかし発射速度は魔術の方がずっと上で、連続して撃って来る。俺は何とかそれを避け続けた。


「どうするの? こんなにジグザグに動いてたらクロスボウを撃っても当たらないわよ」


「このままプラークシテアーの魔力が枯渇するまで攻撃させようかと思ってるんだ」


 そのためにはこの車には魔術が効かないことを悟られたくはなかった。それを悟られると、魔女はこの車を放置してワゴンブルグに矛先を向けるかもしれない。幸い火球はそれほど速くなく、単発なら避けるのは難しくなかった。

 しかし問題は発射速度だった。プラークシテアーはすぐに単発では当たらないことを悟って、こっちの移動を予測しながら先回りして弾幕を張るように切り替えてきている。いずれ避けきれなくなるのは明らかだ。


「いっそ車をぶつけてみたら?」


 テオフィリアが言った。


「結界に阻まれるからぶつけられないんだ」


 魔物や魔女のような魔力を持つ者は、この車の結界の中には入ることが出来ないのである。


「なら、その結界をぶつけたらいいんじゃないの?」


「ん? ……それもそうか」


 その発想はなかった。結界をぶつけたらどうなるのかは分からないが、試してみる価値はあった。俺はハンドルを切って車をプラークシテアーに向けた。


 向かってくるヘッドライトに対してプラークシテアーは火球を連続して放った。全弾命中したはずだ。もはや避けるつもりはなかったからだ。当たったはずなのに煙の中を走り抜けてくる車を見て、魔女は目を見張りながら悪態をついたように見えた。


 衝突の衝撃は全くなかった。しかし、プラークシテアーは五メートルは跳ね飛ばされ、地面に背中をしたたかに打ち付けて動かなくなった。

 俺は車を停車させて運転席を降りる。ヘッドライトのあかりを背に、結界の中からクロスボウを放った。魔女の顔の近くに着弾して砂煙が立つ。目を覚まさない様子を見ると本当に気を失っているようだ。俺はクロスボウを置くと、縄を持って結界から出た。


 プラークシテアーにそばに行くと、慎重に手足を縄で縛って、魔術の詠唱が出来ないように念入りに猿ぐつわを噛ませた。


「危ないトモくん!」


 テオフィリアの声。顔を上げると、ちょうど暗闇の中から剣を持った男が斬りかかって来たところだった。リュンケウスだ。危機一髪でその斬撃を転がってさけた。


 リュンケウスが逃げる俺を捕まえようとして、もみ合いになる。テオフィリアはクロスボウを向けるが撃てそうもない。俺に当たりそうで怖いのだ。リュンケウスに当たっても、当たり場所によっては貫通して俺にもダメージがあるかもしれない。


「そこの女! プラークシテアーの縄を解け!」


 リュンケウスが叫んだ。


「解かなくていい。俺に当たってもいいからこいつを撃つんだ」


 ここで逃がしたら、今までの苦労が水の泡になってしまう。


「と、トモくん……。それは無理よ」


 テオフィリアは顔色を失ってクロスボウを下げた。リュンケウスはニヤリとした笑みを見せた。


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