第24話 約束

 その日の夜も俺は仕事を終えると風呂場に向かった。湯船につかりながら天窓から見える三日月を楽しんだ。

 そうしていると蝶番がこすれる音を立てながら扉が開き、テオフィリアが姿を見せた。彼女はすらりとした裸体を大き目の布で覆っていた。どうやら朝の言葉は本気だったらしい。


「入っていい?」


 もじもじしながら俺に尋ねた、ちょっと顔が赤い。少し酒が入っているのかもしれない。


「い、いいけど……」


 テオフィリアはおずおずと浴室に入ると、俺に背中を向けて洗い場の椅子に腰をおろして、身体に巻いていた布を取った。小麦色の手足とは対象的な真っ白な背中があらわになる。

 ふいにこっちを向いたので目が合った。彼女の整った顔は羞恥のために、さっきよりさらに真っ赤に染まっていた。


「じ、じろじろ見ないでくれる?」


 そんなこと言われても……。見るに決まってる。

 テオフィリアは丁寧に石鹸で自分の髪と身体を洗った。特に見たいところは、こちらからは見えそうで見えなかった。彼女は時々確認するかのようにちらっとこっちを向いた。俺が慌てて目をそらすたびに、彼女はなぜか満足そうな、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


 身体を洗い終わるとテオフィリアは手早く布を身体に巻いて髪を結い、俺が入っている湯船にいきなり押し入って来た。


「嬉しい? トモくん」


 ぎゅうぎゅう詰めの浴槽の中でテオフィリアは俺にたずねた。やはり少し酔っているような口調だ。


「何が?」


「若い女の子と一緒にお風呂に入れて」


「嬉しいよ」


「ホントに?」


「うん」


「それにしては落ち着いてるわね」


 二夜連続ということでちょっと慣れていたからだが、そう言うと怒られそうなので黙っておく。


「昨晩も嬉しかったの?」


「……」


 どう答えたらいいのか分からなかった。


「ほら見て。三日月が綺麗だよ」


俺は天窓から見える月を指さして言った。


「どこ?」


 彼女はそう言いながら、俺に身体を寄せてきた。髪からオリーブの石鹸の香りがただよう。

 その時、彼女が巻いていた布の前が少しだけ緩んで、ほてった谷間が見えた。彼女は、俺の視線が自分の胸元に吸い寄せられたことに気づいて頬を染めた。


「もう……。エッチね」


 テオフィリアは口をとがらせながら前を直した。


「昨日はカサンドラさんの裸は見たの?」


 俺は黙ってうなずいた。


「奇麗だった?」


「……うん」


 見事なまでに腰がくびれたカサンドラの後姿を思い出した。


「私のも見たい?」


「え?」


 意味が分からずに問い返した。

 すると彼女はゆっくりとした動作で浴槽の中で俺の脚をまたいでひざ立ちし、俺の首を抱えるように緩く腕を回した。一瞬だけ見つめ合う形になった。両の瞳に俺の顔が小さく映る。奇麗な瞳だった。


「私の裸も見たい?」


 テオフィリアは少しかすれたような声でたずねた。彼女の思いがけない言葉に心拍数が高まった。


「見せてくれるのかい?」


 出来るだけ平静を装うつもりだったが、声が上ずってしまった。


「どうしようかな……」


 彼女は考えるようにあごに指をあてて視線を宙に泳がせた。結いあげた髪から水滴が滴り落ちる。


「見たい?」


「うん」


「そんなに見たいの?」


「見たい」


 もう少し余裕のあるふりをしたかったが無理だった。はじめから分かりきってたことだけど。


「じゃあ、少しだけね」


 彼女はそう言うと、巻いている布の胸元を少し緩めて一瞬だけ俺のほうに向けた。本当に少しだけだった。


「それだけ?」


「うん。これだけ」


「もうちょっと見たいよ」


 もはや年上の尊厳も何もない俺を見て、彼女は満足げな笑みを浮かべた。


「私の言うことを聞いてくれるなら、全部見せてあげてもいいけどな」


 その言いながら彼女は、布に手をかけて今にもそれを開きそうな素振りを見せる。


「何をすればいいの?」


「私以外の女の子の裸を見ないこと。これからずっとよ」


「でも昨晩のカサンドラさんみたいに、見えてしまう物は仕方ないよ」


「目をつぶっていなさい」


「約束したら見せてくれるのかい?」


「うん」


「見るだけ?」


「そう。永遠にずっと見るだけ」


 テオフィリアは鼻根にキュッと皺を寄せて、何とも可愛らしい笑みを見せた。


 約束する、と言いかけた時、表側の扉が勢いよく開く音がして脱衣所からメガメーデの声が飛んできた。


「旦那様! 森から魔物が現われました」


「オークか?」


「ダイヤウルフが十頭ほどです」


「分かった。すぐ行くよ」


 何と間が悪いと思ったが仕方がない。魔物が現われた時はすぐに報告するようにとメガメーデに言ってあったのだ。


「私も行ったほうがいい?」


 彼女はもう、いつもの調子に戻っていた。


「いや、いいよ。ダイヤウルフだけだし、メガメーデと俺で何とかなる」

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