蒸し牡蠣(1)
エミールたちが幻の酒を探しに西部領へ旅立つ少し前。砂地の丘に金属鎧を着込んだ小柄な貴族女性と神官服姿の白い少女が現れた。ロマンとカタリナである。カタリナの方がひとつ年上だ。
そしてここは港町ポアソン、そのビーチの外れに立つ世界樹の社だった。キノミヤにカレーをお供えして迷い猫の裏庭から転移してきたのだ。
ロマンもカタリナも今年の夏はこの町で過ごしていた。ロマンはアントレを出た後ここの海鮮レストランの食客となり、偶然メルセデスたちと再会してアントレに舞い戻った。今は迷い猫のセルヴーズをしている。
カタリナはアントレに向かう途中で偶然、魚屋シモンと出会い漬け丼を食べてポアソンへ寄り道を決めた。訳がわからないが今も聖女をしている。
実のところロマンとカタリナは同時期にポアソンにいたのだが、お互い気付かないままアントレで合流した。
後でニアミスを知った二人は
アントレは冬の気配を感じるほど肌寒くなったが、このポアソンは暖流が流れ込むため暖かい。休暇を過ごすにはうってつけだ。
「マヤは元気にしているかと気になっていたのですわ。お世話になった海鮮レストランの娘ですの……ところで転移先間違えてますわね」
「わたしもうまーい魚介系信徒たちに祝福を授けたいところなのですが……ここはどこでしょう?」
別にキノミヤは転移先を間違えていないのだが。
一面の雪景色と真冬のような寒さに二人は凍り付いた。
特に
「ぴぃっ!? どうして旅行にそんなものを着てきたのですか、この不信心者」
「完全武装の方がリラックスできるからに決まってますわ。風を通さず中に着込めるので暖かいですし」
今朝のアントレは寒かったのだ。暑くなれば脱げばよいと思っていた。
しかし見渡す限り、砂浜にも雪が積もり観光客の姿はない。沖合は吹雪いており海が凍っているように見える。
ロマンはアイテムバッグから毛皮の付いたマントと帽子、手袋を取り出してカタリナに着せた。
侯爵令嬢ながら人の世話焼きが板についたのは、迷い猫でのセルヴーズ仕事が様になってきたとうことだろう。
「さすがは敬虔な信徒です」
もこもこした聖女もなかなかかわいい。本人も満足げだ。フィニヨン教は殺生を禁じないため毛皮でも気にしない。健やかであればよい。
「吹雪に上陸されると身動き取れませんわ。宿を探して、この事態の訳を聞くのがよろしいですの」
「ところで、ロマンの魔法で寒さを防げばよかったのでは?」
「んんっ……そういうのは温存するものですわ! それより早く町に行くのですわ」
ビーチと町を往復する乗合馬車は運休していたため、二人は市街地まで走った。滑らぬよう気を付けながら、たどり着いた目抜き通り。どんよりとしたぶ厚い雲の下で、町もどんよりしていた。温暖な町が初めての雪化粧、などという雰囲気ではない。
観光客の姿はまばらだが人通りはそれなりで、漁に出られない漁師たちがすることもなく酔っ払っているのだ。
『ついに船着き場がしみた(凍った)だわ』という話が漏れ聞こえた。
「夏の賑わいが嘘のようですわ……」
「休業の店も多いですね。漁ができず食材が足りないのでしょう」
宿を探しに来たのだが、ロマンは海鮮レストランの前で足を止めた。屋根の上に大きな船の模型を乗せた観光客向けの店だ。店の前にある生け簀は空っぽで、ここにも休業の貼り紙があった。
不意に木戸がガラリと開き、10歳くらいの赤毛の少女が顔を出す。くりくりした目でロマンたちを見上げると、白い息を吐いた。
「あーっ、ロマンお姉ちゃんだ! ござっしゃい!」
***
「せっかくお越し頂いたのに、大したおもてなしもできなくて……」
「よいのですわ。この町は温暖と聞いていましたが、雪も降りますの?」
ロマンの言葉に顔を見合わせるマヤの両親。
父親はレストランのオーナーで、今も漁に出るだけあって筋肉質だ。母親はレストランを切り盛りする実質的な店長だった。
ロマンが侯爵令嬢であることはポアソンにも伝わっており大変恐縮されたが、今日は聖女を同伴したことで燃料を追加もしたが、最終的に鎮火した。そもそも素性を隠したのはロマンなのだ。
暖かい部屋で鮭とほうれん草のクリームシチューを頂きながら事情を聞く。
「何日か前かね。急に天気が悪くなって海がしけ始めたと思ったら、沖の迷宮の辺りからしみて(凍って)きましたわ」
「ここの沖合に迷宮があるのでしたわね。迷宮と言っても不定形で、渦だけだそうですわ」
「渦潮迷宮ですか。では迷宮の暴走なり、なにがしかの異常ではないですか?」
「代官様の調査によると、冬将軍ってきょおてぇ魔物が出たんですがね」
「冬将軍……聞いたことがありませんわ。迷宮から出てきた、ということですの?」
「だんさん(旦那)も転移物流の相手で手が回らないようで、詳しいことは……」
「近場で漁をするにも限界があーがし、こぎゃん寒いと……」
冬将軍という魔物はロマンたちでも聞いたことがなかった。しかし黙示録の羊の他にも回遊する大型魔物はおり、ここの沖合いのように壁も扉も無い迷宮なら影響を受けてしまうことはあり得る。
マヤの父はうんざりした顔で言った。
「いつまでも漁ができんようじゃ、この町はくそみそになっちまう……せっかく俺たちの魚が遠くの人にも食べてもらえるようになったってのに」
「うちはレストランなのを活かして加工品を売っているんですよ。焼くだけで味噌焼きやハーブ焼きができるなら鮮魚に馴染みがない街の人も買いやすいでしょう?」
「転移物流はこの町にも役立っているようですわね。港の近くに乗降口があるのですわ」
ロマンとしては嬉しい評価で重苦しい空気が少し和らぐ。話は逸れたが、どのみちここにこれ以上の情報はないのだ。
ちなみにポアソンの乗降口もアントレ迷宮の一部だ。グーラが頑張って作った飛び地である。
「今更ですがあんなものよく作りましたね。町の人は転移やら迷宮主やら、胡散臭いとは思わなかったのですか?」
「そうならないように、わたくしとカガチさんが根回ししたのですわ」
「迷宮主はいなくても、うちの町にも迷宮はあるけん迷宮の恩恵っちゅうもんはよく知っとります。それで
「今は燃料と食糧がアントレから届くんです。作ってよかっただわ……マヤ、どうしたのそんなところで?」
「……むずかしいお話、おわった?」
ドアの陰から少女が様子を伺っていた。
大人の話が終わるのを待っていたのだろう。知らないお姉さんも気になっているはずだ。かわいい。
ロマンは察してカタリナを促す。
「代官からもお話を聞かないことには始まりませんわ。マヤ、案内を頼めますの?」
「お出かけするのっ?」
***
「ちびたい!」
「走ると滑るのですわ!」
代官屋敷は漁師食堂よりも内陸の高台にある。津波が来た際の避難場所を兼ねているのだろう。
道中、マナはまだ見慣れない雪をいじくりまわした。この地方では防寒着の備えもなかったのだろう、ありったけの布を巻かれて着ぶくれしている。
ロマンとカタリナはその後ろをほんわかしながら付いていった。
「汝、素手で雪を触っているとしもやけになります」
「しもやけ?」
「かゆいのです。回復魔法も効きません」
「この手袋を使うのですわ」
「ありがと、あったかーい!」
ロマンから予備のミトンをもらったマヤは、大喜びで雪玉を転がし始めた。すぐ上り坂になりロマンも手伝う。雪玉はすくすく育った。
カタリナはそれを後ろから眺める。
「せいじょお姉ちゃんは雪玉作らないの?」
「わたしは寒いのが苦手なのです」
マヤは「にがてかー」と呟くと、何か思いついて振り返った。
「マヤ、素もぐりできるようになったの! お姉ちゃんたちにおいしいものいーっぱい、とってきてあげる!」
「んまーいものは楽しみですが、そのこころは?」
「せいじょお姉ちゃんもロマンお姉ちゃんみたいに、たくさん食べたらさむいの平気になるよ。マヤもたくさん食べて、お姉ちゃんみたいにおっきくなったり、ちっちゃくなったりするの!」
「こ、子どもってかわいいですわね……マヤのためにも冬将軍をなんとかしないといけませんわ!」
「あの、二人とも。そこで手を放すと――」
はしゃぐマヤとなんだか感極まったロマン。
成人の胸くらいまで育っていた雪玉は坂を下り始め、後方にいたカタリナに直撃した。
「うぷっ……」
そもそも代官屋敷へ雪玉を持参するつもりだったのかという話である。
出雲弁参考:北三瓶会様 http://www1.ttcn.ne.jp/~kitasanbe/a_top01.html
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