酒と肴の女神
「この酒に合う肴があったのか……」
もつトマト鍋を空にした隊長たちも気付いたようだ。
幻の酒は食後酒。なら食後のデザートに合うかと考えた。きっかけは果樹園のピスタチオだ。
砕いてない『燻製ミックスナッツ』と、それをキャラメリゼした『燻製キャラメルナッツ』も出す。ミックスナッツは燻製してオリーブオイルを絡め、塩をまぶしたものだ。こっちにピスタチオは無く、アーモンド・カシューナッツ・豆代表のピーナッツが入っている。
街でも買えるけど、わざわざ手作りしたのは塩味を控え目にしたかったからだ。
「薄い味付けと薫香が当家の酒によく合うな。しかし燻製なんていつの間に作ったんだ?」
「街で買ったボウルと焼き網で即席燻製器を作ったんだ。チップは納屋のブドウの木を削った」
ボウルの底にチップを敷いて焼き網を乗せ、素焼きナッツを並べた皿を乗せる。そこにもう一つ同じボウルをかぶせて火にかければ簡単に熱燻が可能だ。ちょっと煙漏れるけど。
何度も使うなら燻製器を買った方がいい。
ブドウの木をチップにすると、ほんのりブドウの香りが付く。これで薫香が重たくならず、酒とのマリアージュに一役買った。
「これならそろそろ出て来るんじゃないかなぁ……」
「出て来るって……?」
「赤いのおいしいですぅ」
「緑のおいしいですぅ」
「男はだまってキャラメルナッツでござるぅ」
テーブルの上にひょっこり現れた小人たちには見覚えがある。
やはり同じような顔と服装に、ぼんやりした表情だが、同じ個体ではなさそうだ。
てか妖精は三人組ってルールねぇか? また一人ズレてるのは偶然?
初めて妖精を見たであろう隊長たちは当然ビックリ顔だ。特にコンタン卿はクワッとした表情で叫んだ。
「ま、まさか……ご先祖様に湯煎式蒸留器をお授けになったという、三人の匠かっ!?」
知っているのかコンタン卿。
あのガラスの蒸留器はコンタン家の何代目かが授かったという言い伝えだそうだ。実際職人組合にも、あれを作った職人の記録はないらしい。
あれはメルセデスでも『どうやって作ったのかわからない』代物だ。妖精の産物という可能性はある。
とはいえ300年前の話。まさか当人がいまさら――
「わが人生のさいこうけっさく」
「若気のいたりで作った」
「スイッチ押したら音がなる
オーバーテクノロジー残すんじゃねぇ。
あの音楽が聞こえる効果? は初めて飲んだ時だけだったけど、妖精の仕業だったりするのか?
あ、妖精の仕業といえば。
「薪をブドウに変えたのはお前らだろう。メルセデスはここに妖精がいるって知ってたな?」
「うん、おいしいお菓子があれば出てくると思ってたよぉ」
「家のまえでパーティーされたら参加せざるをえないですぅ」
「家?」
「あの生しぼり少年でござる」
妖精が指差したのは前庭中央の神像だ。やっぱ生絞りしてるように見えるよな。
じゃあこいつらが神様の正体か。どうして蒸留を邪魔したんだ?
「たいくつな日常にちょっとしたスリルをていきょう」
「イタズラかよ」
「刺激で神さま思い出すかと?」
「そりゃどういう――」
イタズラなんて妖精らしい、で済ませられるのは俺が他人だからか。コンタン卿は青ざめた顔で地に手をついた。
「神と思っていたものが妖精じゃったのは驚いたが……代々御酒の神様への信心を忘れたことなどございません。なぜにあのような――」
「神さまのすがたも知らないのに?」
「それは……そこに神像をお祀りして」
「生しぼり少年? 知らない人ですぅ」
「最初はいたけど、いなくなった」
「ひとつ屋根の下でうきうきでござった」
話を聞くに。妖精たちが神像に住み着いた頃、ほんとに神様もいたという。妖精と神、もしくは迷宮ってのは敵対してるように見えて、そうでもないんだよな。
妖精女王曰く、
迷宮は『世界の文明を神代に回帰させる』ための装置。
妖精は今の世でよりよい糧を得るための力を人類に与える支援装置。
だそうだ。
少なくとも、この国ののんびり気質はこいつらの影響だと思う。
にこにこと妖精たちをスケッチしていたメルセデスが手を止めた。
「お屋敷に来た時からおかしいと思ってたよぉ。ここにいた神様って、こういう感じじゃなかった?」
メルセデスが妖精たちに向けたスケッチブックには、葡萄の房を生絞りする女神と三人の小人が描かれていた。
珍しくリアルなタッチで、女神の顔は王都でいうところのブドウの神に似ている。
「そんな感じですぅ」
「いとなつかしや」
「生しぼりはしてなかったでござる」
つまり『御酒の神』は女神だったけど、少年神と誤解され続けていたってことか。どうしてメルセデスが300年前の女神を知ってるんだ?
「土地神は地母神とも言ってね、基本的に女神なの。グーラちゃんもそうでしょ?」
「言われてみれば……だから少年像の股間を凝視してたのか」
「あの時は中に何かいると思ったんだよぉ! 妖精さんだったけどね。迷宮がひしめく王都と違って、この辺りで信仰があれば神様本人が姿を見せてもおかしくなかったんだけど」
「そうか。グーラも昔、忘れられて力を失った土地神だったよな……じゃあここの神様も」
王都やアントレは迷宮と迷宮主の力が強く、妖精や他の不思議存在は活動しにくいらしい。グーラは「地脈がどうこう」と言っていた。
それで忘れがちだが、迷宮の少ない西部で力のある神なら、その辺を歩いていてもおかしくない。衰えても迷宮主になり、新たに信仰されて土地神に舞い戻ったグーラという実例もあった。
むしろこれだけ痕跡があるのに、いない方がおかしいのだ。
「お酒の神様なら男神だろう、っていう思い込みがあったんだと思う。姿を間違えられて零落して――」
「わしらが……わしらの間違いによって神が去ったということか……」
王都で信仰される酒の神が大男なのも影響したかもしれない。
ぼんやりした姿しか見せなかったのかもしれない。
他の伝承と混ざってしまったのかもしれない。
神の姿を先祖ほどのリアリティで伝えるのは、やっぱり大変なことだと思う。
だがコンタン卿たちの落胆はひとしおで、宴席はすっかりどんよりしてしまった。
しかし、メルセデスはキャラメルナッツ片手に陽気に言う。
「いやぁ、案外おつまみの神様でもやってるんじゃないかなぁ、王都で」
「あ、そうだな」
王都にはブドウの女神がいるが、象徴するのはブドウだけじゃなかった。
西の地に極上の酒造りを伝えたが定着できず、王都でブドウの神となったなら。
人前に姿を見せることはなくなっても、酒器やおつまみの神として着々とシェアを広げて生き残っているのかもしれない。
酒の肴の女神ということは、うちの店とも無縁じゃないな。
「店に絵でも一つ、飾ってみるか」
***
ハネムーンから帰った俺たちには二つの変化があった。
一つはメルセデスと俺の寝室だ。壁をぶち抜いて一部屋にした。コンタン家での同室が案外悪くなかったからだ。
「ベッドもダブルにしようか?」
「二つ並べとけば一緒じゃねぇか。それよかドア一つふさいだ方がよくねぇか?」
いつも一緒にいるのと、部屋で二人でいるのではなんか違う。
たいていの夫婦が日頃別々に過ごすのに夫婦でいられるのが、なんとなくわかった。
もう一つは俺たちから遅れること二週間後、王都に帰ってきた隊長のお土産だ。
「いい香りだ。
店で出すつもりはなかったけど、見つかった。早速燻製ナッツを合わせて飲んでいるのは代官だ。
コンタン家は元々偽物対策に苦労していた。西部領都に着いた日、隊長が酒屋から出てきたのも偽物が出回ってないかの調査だったそうだ。
ラベルを貼ったことで偽物はぐっと減るだろう。仕事の負担が減ればコンタン家が途絶える心配も減る。
コンタン卿は『御酒の神』を男神と誤解していたことの贖罪のため、『ラベルを貼ってはいけない』という代々のしきたりを破った。
ラベルを作るに当たって酒に名前が必要になり、王都のブドウの神の名前は『スクナ』だと言ったのはメルセデスだ。俺も知らなかった。
ちなみにラベルの絵もメルセデスが描いた。
梨の実を持ったブドウの女神(生絞りはしていない)の足下に三人の小人がいる。
「ブドウは酒の源であり母、つまり上位概念だの。酒器や肴というのも今の時代にあっておる故、そうとう力のある神になっておろう」
「このお酒、余韻が長いわね……多幸感が強すぎて一口目で
「これを初めて飲んで毒か幻術だと思わなかったんだから、人類というやつは肝が据わってるぞ」
グーラ、テルマとカガチも『スクナ』を楽しんでいる。一人不満げなのはキノミヤだ。
「カレーに合わないの」
ごめんよ、そいつ玉ねぎとかスパイスがダメなんだ。
「炭酸で割ると少しマシだよぉ」とメルセデスが炭酸サーバーへ向かう。
壁に掛かった絵の中で、『山盛りの料理と酒杯を抱えた女神』は満面の笑みだった。
霜の月も下旬、もうすぐ冬だな。
オドヴィ(生命の水)~酒と肴の女神 《ハネムーン編》(完)
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