この、まだ光とどかぬ場所へともしびを
水原麻以
薄暗い教会の片隅で少女は声を震わせた
神様なんてきらい!
神様なんていない!!
神様なんて死ねば?!!
薄暗い教会の片隅で少女は声を震わせた。日はとうに暮れ、クリスマスの賑わいが聖堂に僅かばかりの光をおすそ分けしてくれてる。
しかし、十字架にかかったキリスト像を照らすには足りず、少女の潤んだ瞳にあかりを灯す事もできない。
襤褸のドレスを纏った少女は冷たい床に這いつくばり、額をこすりつけるようにして祈った。
どうか、病床の母に世話人が見つかりますように。何だってします。わたしの命を捧げても構わない。天に召されたあとはどうか母を看取ってくれる人があらわれますように。
母子ともに長くはなかった。流行り病でも不治でもない。貧困と言う社会悪に犯されていたのだ。
父は顔をおぼえぬうちに他界し、張り子の仕事をしながら女手一つで少女を育ててきた。
だが、悪い男に騙され、彼女は身に覚えのない借金を負わされた。それでも娘のために夜昼となく働きづめ、とうとう無理がたたった。
今度はあたしが支える番だ。
長女は将来が約束された音楽家への道をあきらめ、母が蓄えてくれた学費のすべてを医療費に注ぎ込んだ。
のみならず、今度は自分が大黒柱となって仕事と介護を両立させようと懸命に頑張った。
しかし、呪われた血筋は彼女の過労を病巣へと変えつつあった。少女はまだ16歳。労働力としては申し分なかったが、病気の母を抱える娘に世間は辛く当たった。
そして、とうとう心がぽっきりと折れてしまったのだ。
下手をすれば死に至る病だ。希死念慮に取りつかれ、死神が甘言で誘う。
楽になれるよと。
じゅうぶんな栄養と休息があれば、彼女がふたたび笑う未来もあろう。
だが、借金取りの苛烈な追求と残酷な制裁は止むことが無かった。
そして、ついに住処を追われる日が来た。その日の夕方、激昂する取り立て人に身体をひらき、どうにか慈悲を得た。
日付が変わるまで。というのが最終期限だ。
彼はそう告げたが冷酷な口元はかすかに緩んでいた。
こんなこと、長く続けられるはずがない。
男の胸中を察した彼女は見かけた教会に飛びこんだ。
牧師様なら力になってくれるかもしれない。
むろん、借金の肩代わりなどという大それた願いが叶えられるはずがない。それでも彼女は縋る思いで教会の扉をたたいた。
狭き門はあっさりと崩れ落ちた。頼みの綱はベッドで骨になっていたのだ。
「おお、そんな無慈悲な。おお」
彼女は動転しながらも、真にもとめるべき救い主をわきまえていた。
白骨化した牧師の指がその方向を示していた。
寝室から見える中庭の向こう側にそびえたつ鐘楼。彼女は息を切らして階段をかけあがり、最上階にそのお姿をみつけた。
無原罪の原をあゆむ神の御子。
イエス・キリストの肖像画を。
ああ、神様。そこにいらしたのね。
エヴァネッサのお願いをどうか聞き入れてくださいまし。
彼女は胸元から十字架を取り出し、ひたすらに祈った。
天にまします我らが父よ、すくいたまえ。
しかし、祈りは届かなかった。
「こんなところに隠れてやがったのか」
代わりに降って来たのは蛮声だ。
それも一人や二人ではない。毛むくじゃらの腕が四方八方からのびてきて、彼女の髪やスカートに触れた。
「いやっ!」
少女は片足をあげ、渾身の一撃を繰り出した。
クリティカルヒットが決まったらしく、ヒキガエルを踏み潰したようなうめきが聞こえる。
構わず、必死で駆け出した。
ビリビリと布が裂ける音がして肌が急に涼しくなる。
だが、そんなこと気にしちゃいられない。
「こんなのって? 奇跡? 神様なんか大っ嫌い!!」
ガラス窓に罵倒と身体をぶつけ、そのまま宙を飛んだ。
◇ ◇ ◇
「神は嫌いですか?」
男とも女ともつかぬ、柔らかい声で目覚めた。
エヴァネッサはうまれたままの姿で雲間に浮かんでいた。
ここはどこ。
疑問が浮かんだ瞬間、心の隅から情報がなだれ込んだ。
百グーゴル年の未来。千を百回掛けた数よりもまだ大きい歳月の果て。
彼女が住む世界は、いや宇宙は一通りの循環を終え、その一部始終を第三者によって審査されている。
エヴァネッサはそのただなかに飛び込んだのだ。
かつて地球と言う星を擁した宇宙は数と言う概念で表現しきれない規模の母集団に属しており、管理運営されている。
「クロスホエン、オーヴァーユニバース、並列世界線の頂点、俯瞰宇宙、無数の呼び名がついています」
透明な管理者は告げた。
「つまり、あなたは神様?」
エヴァネッサは期待に胸を膨らませた。しかし、管理者は残念そうに言った。
「私達は創造主ではあり…」
「よせよせ。こんななまっちょろいガキに難しい御託が通じるかよ」
場の主だという声が割り込んだ。そいつが言うには、自分たちはエヴァネッサの概念でいうところのリサイクル業者なのだという。
終了したり潰えた宇宙を解体し、選択されなかった未来を寄せ集め、世界線を整えて、然るべき相手に譲り渡す。
「じゃあ、あたしは?」
「おうよ。嬢ちゃん。使い物になりそうだから回収した。神様が嫌いなんだろ?」
言われてエヴァネッサは顔を赤らめた。
全部見られてた。わたしの素肌も。
「嬢ちゃんが卵割しはじめた時から見てるよ」
かあっと全身が熱くなった。やっぱりこいつらも悪魔だ。鐘楼で襲ってきた借金取りと同じ。宇宙の回収者か何か知らないけど、キングオブ屑だわ。
エヴァネッサは心を総ざらいし思いつくだけの悪態をぶつけた。
「ちょっと、アンタ、何やってんのサ!」
「げえっ!? カーチャン!!」
どたばたと言い争う声がエヴァネッサの耳を弄した。
場の主の妻――事実上の支配者である。
妻は夫の非礼を詫び、エヴァネッサに事の次第を話した。不遇の最期を迎えた人間は有史以来、掃いて捨てるほどいる。
また天に唾を吐いた者も無数にいて、エヴァネッサがとりたてて強烈なヘイトスピーカーでもない。
「じゃあ、なんであたしが?」
もったいぶった説明に少女の癇癪が爆発した。
と、同時に乾いた破裂音がした。そして視界にひびが入った。
「これだよ。あんたに神様が授けた奇跡。そして、ウチらが欲しがっているもの」
とびぬけた反骨精神と猜疑心である。それも滅亡の淵に一番近い物。
場の主の妻が言うには、エヴァネッサが宙に舞った瞬間、強烈なガンマ線バーストがブリテン島一帯を焼き払ったのだという。
観測カタログにも載っていない未知の超新星で、荷電粒子の方向軸が地球に向いていた。
多くの英国民は起きた状況を理解せぬまま、苦しむことなく灰燼に帰した。唯一、悪態をついていたエヴァネッサが破局にもっとも近い人物として着目されたのである。
「それで? 神様なんていないし、死んでしまえばいいと確かに考えましたけど。っていうか、神様は本当にいるんですか? ……って、もう、答えが出ちゃってますね」
エヴァネッサはふうっと吐息した。自分の出生理由が宇宙の解体業者に見出されるためだったとは、誰が予想し得よう。
「神様の居場所なんてウチら解体業者でも把握できないさ。いや、存在の是非すらもわからない。出来ることと言えば、こうやって壊れた宇宙を右から左へ転がす事」
すると、エヴァネッサは疑問をぶつけた。
「世界線を寄せ集めてどうこうすると言いましたよね? 自分の世界線がどうなってるか考えたことはないんですか?」
「いや」
妻の代わりに場の主が答えた。
「どうこうした所でどうにもなりゃしないよ。だから、こうやって、淡々と宇宙を扱えるのさ」
「暮らしに不満とか、希望とかないんですか?」
「ないね。いや、そういったら嘘になるか。時々、掘り出し物に巡り合う事がある。こじ開けてみると、そりゃもう面白おかしく生きた知的生命体もいるさ。ただ…」
主は声を曇らせた。
「ただ?」
「そうさ。半径がさしわたし億光年単位の版図を誇った種族もいる。だが、そいつらも滅びから逃れる事はできなかった」
そこまで言われて、エヴァネッサはあるフレーズに思い立った。
英国残留と離脱を問う選挙戦の喧騒はコマネズミのように働く彼女の耳にも入っていた。ただ、母はとても投票所に行ける身体ではなく、自分に選挙権はなかった。
その報道に紛れて英国が与するべき相手国として日本の現状が取り上げられることがあった。
「ジコセキニンって事ですか?」
かなり厳しい――いわゆるパワーワードとして日本の若者世代を中心に浸透しているという。
「ああ、自己責任だよ。どうして爛熟を極めた宇宙が無限に栄えることなく滅びたと思う?」
場の主はエヴァネッサにあえて問うた。
「その種族はみんな幸せだったんでしょ? 誰だって幸福な世の中はいつまでも続いて欲しいと願うはずでしょ。滅んで欲しいと思う筈は…」
そこまで言ってエヴァネッサは「あっ!」と絶句した。
「いるんだよ。満足という言葉を知らない奴が。幸福な社会と言っても平等な幸福であるとは限らない。貪欲に独占する輩が必ずいて、富の集中を企む」
すると、格差が生じて不平不満が巻き起こる。
「でも、みんな、そこそこに幸福なんでしょ?」
「お前も気づいているはずだ。幸福の最低限度なんか存在しないことを。幸福の頂点を極めた奴が幸福のハードルをどんどん上げて、今いる幸福が底になる」
「でも、それは誰かの為を想う幸福でしょ? 大切な人と一緒にいれば」
場の主は苛立ち気味に遮った。
「守るためには奪わなきゃならねえ。お前は大切な人と平穏無事に過ごせたか? お前の母親は誰かの借金を押し付けられた。そいつも、大事な誰かを守る名分があったろうよ」
「わたしの母はどうなったんですか?」
「言った通りだ。黒鳥座δの超新星爆発で焼かれた。それも黒鳥座βのタイプ2文明が巻き起こした自業自得なんだがな」
主の妻がエヴァネッサの心に地獄絵図を見せた。
「おお、そんなことって、おお」
うろたえる彼女に妻はある提案をした。それは――
気づくと朝の陽ざしがエバネッサの瞼に射しこんだ。
ふかふかのベッドサイドに温かい食事が用意されている。
「エヴァー…」
扉の向こうから明るい女性の声がする。
「おかあさん? おかあさんなの?!」
布団を跳ねのけようとして、脳裏にあの選択肢が蘇った。エヴァネッサを破局の淵にいる逸品として売り飛ばすにはもったいない。
このまま、場に留まって滅びの世界線をかぎ分ける業者として活躍するか、それとも――
「あら、エヴァ。起きてたの? 早く支度をなさい。貴族院のアルフォードさまが、あなたを養子に迎えたいって」
「その話、お断りして!」
「あら、まあ、どういう?」
「わたし、難民の為に働きたいの」
「そんなことなら、アルファードさまが貴族院に働きかけていくらでも」
すると、エヴァネッサは首を振った。
「ううん。誰かの大切な人じゃなくて、誰かのための大切な人になりたいの。光を求めすぎると闇しか残らないから」
光の届かない場所をまんべんなく照らしたい。
エヴァネッサのほほえみは超新星よりも輝いていた。
この、まだ光とどかぬ場所へともしびを 水原麻以 @maimizuhara
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