第49話  闘いの哲学

 褒賞と栄光を満載して錦の旗をひるがえし、イラフとチヒラとユーカレとハラヒは颯爽と帰国の途に就く。


 シルヴィエ鉄道の豪華な車輛(車輛№999)を用意され、贅沢に南下した。その後、南東行きの路線へ切り替え、その次に、東行きへと切り替える予定であった。南へ向かうに伴い、日照時間も長くなる。


 旅は豪華列車の奢侈な装飾と世界中の贅沢な料理を堪能し、飽くことがない。


 一日に何度でも使える風呂も彼女たちを喜ばせた。蒸し風呂あり、ジャグジーあり、ローマ風の浴場あり、美しい模様に描かれた陶器の個人風呂ありで、列車の中とは思えない逸楽の極みである。


 彼女らはあり余る時間の中で、何度も今回の冒険のさまざまな場面を語り合って反芻し、感慨を共有していた。すべての記憶が彼女らを飾って荘厳する。それは精神に於ける輝かしき儀装軍服であり、誇りで鍛えられた魂の鎧や兜でもあった。


 話のクライマックスは何と言っても世界最強の女傑との闘いである。


 特にイラフはジン・メタルハートを斃した世界最強剣士としての栄誉と名声をも得ていた。さまざまな方面からの賛辞とともに、クラウド連邦のイースからは聖なる剣が送られてきた。柄や鍔に絡む龍が見事に彫刻された剣で『龍肯(りょんくゎ)』と銘打たれている。


 両刃の幅広剣だが、片方が波形紋で反対側が亀裂紋(龜文)で雌雄(陰陽)を顕していた。刀身を傾けると光がゆっくりぎろりと動く。鋭さは恐ろしいまでであった。


 チヒラはこれを見て、我が事のように大いに喜んだ。

「『龍肯』とは! 最高の言葉だね。レムノ大僧正も言っていた言葉だ。

 ありふれてはいるが、実際、これこそ奥義の中でも特に究竟であって、最も喜ばしくめでたくもあり、耀くように美しい言葉だ。奥深い言葉。人を幸福に導く言葉だ。

 ぼくの知り得る限りに於いて、人間の使う言葉でこれほど素晴らしいものはない。

 クラウド連邦の大臣ともなると、常人とは明らかに違うものだ。君の本質を良く見抜いているよ。

 確か面識があると言っていたよね。そうでなければ、こんなに優れたチョイスはしないだろう」


 柄頭は五鈷杵の形をしていて、青いクリスタル・オパールが埋め込んであった。サンスクリット文字が彫られている。


 イラフは鞘から抜いて太陽に光に翳した。

 剣は燃えるように輝く。刀身の中央に鋳鉄の青龍文が浮彫のように象嵌され、紺碧の空のように鮮やかな濃さで、ラピス・ラズリに金属の輝きを与えたらこんなふうではないかと思わせる艶であった。


 中央以外のふちは鏡のように万象を映す、薄っすら青味を帯びた銀色で、日に何度も色を変え、蒼や碧や藍や紺や翠や群青などを複雑に帯びるのであった。 


「凄いよ、チヒラ。わたしは言葉を失ってしまった。こんなものを作る名工がこの世にいるんだな。ほんとうに感動した」

 今まで帯びていた剣を下ろし、佩く。

「最高の気分だよ!」


 さて、シルヴィエ鉄道で7000㎞を往くと、その先は連絡がなかった。オエステに帰るには、海辺まで出なくてはならない。鉄道はいずれ港湾まで繋がる予定だが、まだ完成していないのだ。


 駅を降りると、用意されていたのは壮麗な馬車と壮観に美々しく飾った衛兵であった。馬車に繋がれていたのは龍馬である。本来は応龍が速くて良いのだが、シルヴィエにはいなかった。


「急ぐ旅ではないからな」

ユーカレがそう言う。もっとも、龍馬も決してスピードが遅いわけではないが。

「そのとおりです」

 ハラヒも同意してにこやかに応じた。チヒラが笑う。イラフは幸福を感じた。


 万事上々である。しかも天候も最高であった。言うことなしとはこのことだ。


 すべてから解放され、清々しい気分だった。風光を愛でながら、シルヴィエの大地を悠々と進んだ。雪は白く大地を蔽っているが、降雪はない。蒼穹が澄み切って広がるばかりだ。呑気な旅である。自然とさまざまな回想が誰からともなく始まる。


「思えば、いろいろなことがあったね」


 イラフが休憩中に、感慨深く言った。蒼穹の下、氷原が輝いている。チヒラもうなずき、

「ほんとうだ。長い旅だったような気がする」

「じぶんらは出会う運命だったのだな。今思えば、初めて会ったときにはもう世界の転回の怒濤の中にいたんだ。

 もっとも、運命なんて後から見てわかることで、そのさなかにいるときにはわからない。そういう意味では、運命なんてあってないようなものだがね。

 ダイヤルを廻していたつもりのジニイ・ムイでさえも、実は転回の中の一つでしかなかったと思う。

今になればね」

 ユーカレのその言葉を聞いて、チヒラも考え深い表情で言う、

「聞いた話では、今回の件で、ジニイ・ムイはリアイヰという少年を使ったらしい。世界の臍と言われる海鳥島(エル・パッハロ・デル・マル)に連れて行って」

「へえ。どういうこと」

「少しは考えろよ、イラフ。

リアイヰと聞いて思い当たらないか。リアイヰっていうことは・・・・」

 ユーカレの言葉をハラヒが継いで、

「2314! そうですよね、リ(2)ア(3)イ(1)ヰ(4)」

 イラフもはっとして声を上げ、

「秘文の真逆だ! 秘文4132の逆だ!」

「でも、ちょっと待て。その少年の場合は、『イブルン』っていう、あのアナグラムは使われていなかったんだな」

 ユーカレがいぶかしげにそう言う。だがチヒラは嘲るように、

「イヴィロンという姓じゃないからな」

 イラフは手を打ち、

「そうか。・・・・で、逆だと、いったい、どうなるんだ?」

 呆れ顔でチヒラが、

「代象だよ。いや、正確に言えば代象に呼応したんだな。少年は少女になったらしい」

「ええ!」

ユーカレが、

「そうか。と言っても、じぶんもよくわからないが・・・・。戦争による、いわば世界の流れによってダイヤルを2314と廻した・・・・そして、少年の名がそれに呼応した」

 頭の中の靄を払うようにそうつぶやいていると、ハラヒが、

「そうです。世界の臍という場所だから、世界の逆流に呼応したのではないでしょうか」

 チヒラが満足げにうなずき、

「ぼくもそう思う。ケーレの作用が世界の中心に求心的に収斂されて、秘儀的に2314の名前を持つ少年に呼応し、少年が少女に、恐らくは第二のイヰリヤになったんだと思う。

 神にも等しい第二のイヰリヤがジニイ・ムイの思惑どおりになるはずもなく、制御不能だったらしいけど」

 イラフがようやく気が附いて、

「そうか。エオレアに求愛してだめだったから、自分で新たなイヰリヤを創ったのか。何ということを。もしかしてそれでエオレアは死んでしまったのか。赦せない」

 チヒラも眉を寄せ、

「そうだ。そして今回のケーレもそのためだったんだ。そのために5年に渡って大戦争を起こし、何十万もの人間を犠牲にした。これは絶対に赦すべきことではない。ジニイ・ムイは滅びて当然だった」

 沈黙。誰もが激しい怒りで言葉を喪った。


 ようやくユーカレが、

「恐らく知る者はそれを知っていたのだろうな」

 その言葉を継ぐようにチヒラは歎息しながら、

「それは大枢機卿イヴィルだろう。彼は全体の流れがジニイ・ムイの失脚に結び附き、彼が皇帝になれる方向へ向かうようにコントロールしていた。

 ぼくはレオンを襲撃させていたのはイヴィルだと思う。

 それは、有力候補の抹殺という単純な理由だけではなく、レオンの動きがジニイ・ムイの失脚に結び附くように、あたかも羊飼いが羊の群れを誘導するように、コントロールしていたのだと思う。

 だからすぐに殺さない。聖ガレノンでの襲撃など本気ではなく、ぼくらとレオンを会わせるためだったのではないだろうか。

 エオレア誘拐(実際にはマリア誘拐だったけど)も大華厳龍國に行かせず、ヒムロに直行させるための茶番だったんだ。ほんとうに策謀家だよ」

「そうだったのか」

「ぼくと君(イラフ)は最初から狙われていたかのようにも見えるけど、正確に言えば、動きを監視され、コントロールされていたのだと思う。そしてイヴィルの計画に合わない動きをすると、修正されていたと考えると、辻褄が合う。

 イヴィルがぼくらをストリントベリイでアグールに襲わせたのも、乗るはずだった列車に乗り遅れさせて、レオンと同じ列車に乗せるためだったんだ。ジニイ・ムイを失脚させるためには、ぼくらがレオンと一緒にヒムロに行くことが必要だったからね。

だから襲って来てもよいはずのときに襲われず、そのまま泳がされ、殺されずに済んだのかもしれない」

「イヴィルの企みだったのか。だからジンもわたしを殺さなかった。

 あの山上での最初の闘いは明らかに戯れのようだった。わたしの力を試して楽しんでいるかのようだった。思えばメタルハートの目的は何だったんだろう」

 イラフの言葉にチヒラも苦笑し、

「確かにジンの目的はこの段になってもよくわからないな。彼女は何をしたかったのか、何を求めていたのか。

 そういう意味ではイヴィルの方が単純だ。いくら彼が策略深く賢くても」


 イラフが顔を上げて双眸を輝かせ、勇躍たる表情をする。

「そのイヴィルがこのままで済ますとは思わないな。ジンもどう動くことやら。考えがわからないだけに彼女の方が怖いがね」

 その懸念をハラヒも受け継ぎ、

「わたくしもそう思います。イヴィルには今のこのような状況をも想定した行動計画があってもふしぎはないと思います。それを論理的に追及することは可能だと思います」

「あり得ない話ではない」

 ユーカレがノーズティカを揺らして同意を示す。

 イラフは決然と、

「されば闘うのみ。闘わずしていかに努力を為したと言えるか。大義を護れようか。生命のある生Vieを生きられようか。生死の狭間にのみ活命はある」

 チヒラが微笑し、

「君らしいな。

 しかしいずれにせよ、イヴィルに関して言えば、すぐには動かないよ。時期を見るはずさ。今はレオンが有利過ぎる。奴はとても賢いからね」


 それを聞いて顔を顰めたハラヒは、

「究極的に言えば、決して賢くはありません。賢い人間は悪を犯しません。それは結局、魂に不幸の轍を深く刻み込むからです」

 ユーカレが口角を吊り上げて皮肉な笑みを浮かべ、

「ふ。誰もが君のように賢明なら世に不幸などないだろうな」


 しかしイラフは、

「だがそれを追求する。不可能な夢であっても闘う。諦める人間などいない。絶望は自己矛盾だ。真に絶望した人間は絶望などしない。望みがあるから虚しさや口惜しさ、悲歎や自暴自棄や絶望感があるのだ。

 真に望みを絶った人間はすべてを超越した人間だ。絶望感などない」

 そう言い切る。


 旅は平穏だった。その日が来るまでは。


 数日が経った。蒼穹の続く平野を横切り、渓谷を渉って、山を越え、海に近い村に着くはずだった。そこから船に乗るのだ。船は既に準備されて波止場で待っているとのことだった。

「ねえ、あれは何だろう」

 チヒラが遠くを眺めて言う。

「煙だ。烽火(のろし)・・・・ではないようだけど」

 イラフの言葉にユーカレが眉を顰め、

「火事かな。そんな感じがする」

「行ってみよう」

 村であった。

 酸鼻を極める惨状。裂かれ、焼かれている。女もこどもも差別はない。後に、ペ・ヨルトックという小さな村であることがわかった。

「いったい、この村で何が起こったんだ」

「このような虐殺が起こるような場所ではないはずだ」

「戦場も遠いし、馬賊が荒らしているような場所でもない。領主同士の紛争もない」

 ユーカレが白き髪を昂然と振って指差す。

「どうやらあれが答のようだ」


 炎を背に屹然と立つ人影。その憤怒の形相は鬼神そのもの。火焔の逆光で黒く見える身体の中で、眼だけがまっすぐこちらを凝視して燃え滾っている。


 ジン・メタルハート。戦士たちの体に一気に戦慄が走った。


「なるほど、奴の仕業か」

 ユーカレがうめく。イラフは馬車を降りて、

「なぜこのようなことを」

 眸を憤らせ、声を荒げて問う。『龍肯』をあえて抜かなかった。以前から使っていた剣をにぎっている。刃がギラギラ輝いていた。

 踏みしめるように怒りを滾らせ、ゆっくり歩む。

 馴染んでいるから、という理由でもあるが、ジンを斬るのにイースから賜った聖なる剣を使いたくなかった。

 問いを発しながら、ぐいぐい近附く。

「なぜだっ!」

 止まる。にらみ合う。滴る血のごとく紅く爛々と滾るメタルハートの殺戮の眼。瞬きがなく、獰猛なコブラのようだった。ペパーミント・グリーンの双眸はそれを威で圧し返すほど強いまばゆさで耀き燦めく。二人の距離はわずか十数mであった。

「答えろっ!」

「なぜだ、と? ふっ。理由などない。気紛れだ。それがどうした」

「ぅっ、何だと!」

 怒りは頂点に達した。

「さあ、殺戮の激情に燃えて、イラフよ、かかって来るがよい」

「貴様!」

 振りかぶった剣をゆっくり静かに下ろし、青眼に構えた。


 イラフが構えると、三つの影が現れる。今は三人となった四天王だった。


 黒い緋色のカーリー・ヘアを振り乱し、昏い緋色の鎧兜で装甲した長身のアグールが朱く艶光する刀身の大剣を抜く。


「安心しろ、イラフよ、我らは邪魔しない。逆だ。むしろ貴様の仲間が邪魔するのを防ぐために来たのだ」

 下半身が獰猛な鷹となっている悪魔のようなユイスが、

「さあ、雑魚ども、かかって来い」

「ちょうど三対三だ」


 そう喚いて長く黄金に煌めく獅子の鬣をなびかせるゼノ、腰から下が獅子の胴で脚を大地に踏ん張り、尻尾で地面を叩いている。


 金の眸を冷凛とさせたユーカレが首に彫られた薄明るい金色の刺青を紅潮で茜を帯びた燃え上がる金へと変える。歩を進めた。冷凛剣が黄金に変わる。


「上等だ。アグールはじぶんがやる」

 緑の髪を小さく靡かせてハラヒは、

「では、ゼノはわたくしが」

 愉快そうに桃色の双眸を燦めかせてチヒラが髪を撫でながら、

「じゃ、ぼくはユイスを退治だな」

 白き眸のハラヒが飛び出し、気合とともに『きよかみ』を振りかぶる。緑の炎のようだ。

「ふぅうっ!」

 ゼノもまたネコ科のスピードでしなやかにジグザグ移動し、間合いを詰める。ハラヒが振り下ろす。ゼノは楯で受け、槍で返す。だがハラヒはその槍をつかみ、ゼノの籠手を『きよかみ』で打ち砕く。


「次は首だ」

 と叫ぶも、言い終わらぬうち、ゼノの頭部に乗って、掌で剣を押すように上から突き徹す。


 クリムゾンとボルドーの髪のチヒラは三叉戟と楯でじりじりとユイスに迫った。藤色のまつ毛は開き、双眸はピンクダイヤのように燃えて耀いている。


 ユイスは飛び上がり、頭上から襲い掛かった。それをただじっと見るだけの、泰然として不動のチヒラ。ユイスは渾身の力を込めて、

「滅せよ!」


 だが、剣が刺したのは地面だけ。チヒラは三叉戟を上空に抛り、転移したかのようにユイスの背面に廻っていて、後ろから短剣で首を刺す。そして素早く離れた。


 空中に投げてあった三叉戟がまっすぐ落ちてユイスを串刺す。まるで虫ピンで止められた蝶々のようであった。

「一丁上がり!」


 宿敵アグールとユーカレは互角の闘いをしていたように見えたが、

「アグールよ、貴様らは安穏と慢心して進化を怠った。しかし、じぶんたちはさまざま経験を、どれ一つあまさず活かし、叡知を鍛えた。見ろ、その成果がこれだ。

 慢心とは自惚れて自己を超えようとしないことだ。利己を捨て客観的な地平を獲得しようと努力しないことだ。淘汰され、滅すのみ。愚者、覚悟せよ」


 聖なる白光に包まれたユーカレが跳躍して黄金の冷凛剣を振りかぶり、一刀両断すべく敵の兜を狙う。金色の刺青がひときわ強くまばゆく燦めいた。アグールは受け止めるが、ユーカレはさらに押す。歯噛みして顔をゆがめるアグールの注意が頭上に集中する。その刹那、ユーカレは刃を翻し、がら空きの胴を打つ。鎧が裂ける。

「ぅぎゃあああ」

アグールは剣を捨て、腹を押さえながら龍鳥に乗って逃げ去った。

「待て!」


 追い附けない。八つ当たりのように荒っぽく冷凛剣を鞘に収め、ユーカレは唇を〝へ〟の字に大きく歪める。

「無念! 逃がしたか!」


 イラフとジン・メタルハートは激烈に大剣で数合交えていた。

 両者とも大きくて幅広で重い剣を扱うパワー派なので、重たい金属のぶつかり合う音は雷霆のように凄まじく、地面を揺るがさんばかりだ。


 であると同時に、両者とも技巧、何よりも精神性の顕れである〝呼吸〟を極めた心技の超人でもあるため、その闘いは言語超絶で、精妙を極め、神々のごとくに崇高、まさに神技であった。


 驚くべきことに、メタルハートは裂けた鎧や、真っ二つに割れた兜を鎖で繋ぎ、綱で縛っているだけで、完全に修復していなかった。


 それを見てイラフは想う、

『臥薪嘗胆というわけか。

わたしへの憎しみ、怒り、口惜しさを否応なく生々しく思い起こすように、敢えて直さないというわけだ。

 凄まじい執念、怨憎、執著だ。毎日、自らの傷を暴いて、憤怒に身を裂くほど燃え滾っていたのか』

 イラフはそう察した。さらに考えを続ける。

『ジンが無意味な虐殺を行ったのは、わたしを怒らせるためだ。

 そうとわかれば、さらなる怒りが湧くが、奴はわたしの感情が高ぶって、呼吸を読む精神の精妙さが鈍るのを狙っている。

 その手に乗るか。

 憤怒で心眼が曇るのを狙っているんだ。奴への憎しみによって、自然の摂理を読む精妙さが喪われることを狙っている』


 走りながら飛びながら打ち合う。やがて海が見えてきた。重い金属音が轟く。


『ふ。

おかしなものだ。ジンは自らに於いては激情でモチベーションを上げておきながら、敵であるわたしに対しては昂ぶりで剣を鈍らせようと考えているのだ』


 大地すら裂きそうなくらいジンの剣は重い。しかしその呼吸を読み切ったイラフは自然の摂理に従い、『押さば引け、引かば押せ』の精神で、敵の力を利用してその力をかわしていた。


 上空に上がったかと思うと、背後に現れ、助走もなく高く飛び、まるで宙空に足場があるかのようにあらゆる体勢を取ってあらゆる方向から剣を振り裂き、降ろし断ち、突き貫く、振り上げ逆裂き、翔けながら翻り斬らんとするその自由自在の剣法にメタルハートは押され気味であった。


 周囲のものを破壊しながら次々移動する。岩を砕き、道を裂き、大樹を伐り倒しへし折り、空気を切ってつむじ風を起こし、川さえも逆流した。まるで龍巻が移動して来るかのようで、道行く人々は蒼褪めて悲鳴を上げながら命からがら逃げる。


 やがて港町に至ると、スーク(市場souq)で大暴れ、人々を驚かせ、逃げ惑わせ、樽を砕き、馬車を割って石壁を破壊し、鉄塔を伐採する。


 ジンの大剣が起こす風でタープが吹っ飛び、真空が起こって近くにいた人の衣服が切れる。激しい摩擦で雷のような放電すら起こった。剣を振る際の唸り音でガラスが割れ、扉が外れた。


 鎬(しのぎ)を削りながらじわじわ波止場まで寄せる。


 波止場まで来ると、停泊している船に飛び移る。船から船へと渉って剣を振り、床を抜き、マストをへし折り、ヤードを断ち折り、今まさに出向しようとする中型巡洋帆船に飛び乗る。

船はそのまま出航し、イラフとジンはそのまま数合を交え、帆を裂いてマストを伐り倒す。メタルハートが振り下ろす剣が勢いあまって甲板を砕いた瞬間に二人とも船倉に落ちる。


「ふははは」

すぐに体勢を直して哄笑すると、ジンは大剣で船底を突き破る。勢いよく海水があふれ始めた。


「ふふ。

 これぞ背水の陣。

 早く敵を戴さねば、鎧で身を固めた我らが身、海の底、魚の餌たるは必定。いや斃しても結果は変わらぬかもな。何と爽快なことよ。

 この海が時化にでもなれば、さらに心地好かろうに残念至極ぞ。犬死などと言うは市井の民の戯言。

 武人はただ一切を裂き、ただただ荒(すさ)ぶのみ。ただただ素(す)戔(さ)ぶるのみ」


 しかしイラフは、

「さようなるもの、現象にしかず。得るも喪うもなし。すべてはカタチにしかず、つくりもの。すべては名もいわれもなき仮象、唐突なるもの」


「ふ。

意気地のない弱々しき議論よ。人生を虚しいと言うか。我もまた言う、生は取るに足らぬと。しかしその趣は真逆だわ」


 理由もなく、イン=イ・インディスでレムノ大僧正から聴いた聖なる単語が胸郭に甦る。魂の深奥に点った青い炎のように。


 イラフは無意識にその単語を反芻していた。

「否。

生きる営みを否むのではない。生を肯んずるでもない。これこそが龍のごとき大いなる肯定だ。

 人は容(た)易(や)く虚(こ)懜(ぼう)と言うが、虚し儚(はかな)しという価値観もまた虚しい。されど儚しも儚しというは何を言わんとするや。

知りようもなし。

 畢竟、いわれも知らぬまま、ただ与えられたる諸考概とやらいうおもちゃの積木を何も知らず積み上げ、組み立てしもの、万象一切は」


「意味不だ。

 ふぬっ。

しょせん、机上の空論、青瓢箪の言辞の戯れ。現実を見よ、この剣を否定できるか!」


「現実をと言うか! 

 縁なき衆生は度し難きかな、ジン・メタルハート。貴様の負けだ。まさしく現実を見るがよい。

 たとえこの身を裂かれるとも、砕かれるとも破られるとも、勝利は我が方にある。敗れようとも」


「ふふん、あくまで高邁を装い、説教するか。

アンギラの虐殺者が」 


 その言葉はイラフの胸に刺さった。自分が殺した者たちと先ほど見た、ジンに虐殺された犠牲者とがかぶる。


 ペパーミント・グリーンの眸が光燦し、究竟の炎を上げた。

「されど! されどしかし! されども貴様を討つ!」


 畢竟の魂魄を込めて必殺の技を放つ。


 しかし心迷いか、イラフの〝韋屰天亢龍〟は雷霆のごとく垂直に振り下ろされたジンの大剣に割り砕かれる。砕かれるも受けた剣に圧されて上半身がひっくり返される力を活かし、イラフは臍下丹田を中心に回転する。


 回転しながら短剣を踵と踵の間に挟み、メタルハートの下顎から顱頂骨を貫く。意の力を込めた刃は意志ある者のように鋼鉄の兜を内側から外側に突き破る。


 そのままイラフは回転をし続けて再び上半身を起こし、ジンの刃の上に乗り、割れた剣の根元で敵の顔面を突き破る。短剣と長剣の残骸とがメタルハートの頭蓋骨の中でクロスする。


 鋼鉄の女傑はうめきも上げられず、崩れ斃れた。


 船底に両手を突き肩で息をするイラフの顔は真っ蒼だ。意識が喪われた。


 渦に呑まれ、沈み逝く船とともに海底へ。何もかも消え行くのに、暗闇を背景に炎のように鮮やかに虐殺の場面だけが躍動するよう廻って脳裏を翻り舞い踊っていた。永遠の悔恨、永劫なる魂の地獄・・・・・久遠の底へ沈み逝く哀れ。


「イラフ! しっかりしろ!」


 まばゆい太陽で何も見えない。やがてチヒラの輪郭が見え始めた。


「あゝ、生きていたのか、わたしは。

もう死んでもよかった」

「何言ってるんだよ! 

 それよりジン・メタルハートは?」

「斃した」


 チヒラの表情が歓喜の光にあふれて耀く。

「やった! 今度こそ完勝だね。ぼくらもゼノとユイスを斃したよ。アグールだけ逃したけどね」

「どうでもいい」

「どうしたんだ、君らしくもない」

「すまない。

 わたしはずっと長い間、誰にも言わなかったことがある」


 哀しそうに怪訝な顔をするチヒラ。イラフを心配しているのであった。

「秘密くらい誰にでも・・・・・・・・」


「いや、正確に言えば、当時、同じ隊にいた者らは知っている」

「ねえ、ぼくら生まれて14年しかたっていないんだよ。〝当時の〟って、まるで大昔のことを言うときのような言い方するなんて、変だよ。

 せいぜい2、3年前のことだろ?」


「アンギラの虐殺だ。シルヴィエがオエステ勢を攻めていた頃だ」

 突如、チヒラの顔が曇った。

「何だって」

「わたしの最初の戦場だった」

「我がリョジャドが君の最初の戦場だったんだね」

「十一歳のとき、『非』に入る前で、わたしは最前線に立つ『人間の楯』だった」

 チヒラは黙っている。

 イラフは言葉を続けた。

「悲惨な戦争だった。リョジャドは神聖帝国の占領下にあって、シルヴィエ側に附いている人間がたくさんいた。わたしは自分よりも年端のいかない、幼い少女も殺したことがある。母子ともに殺したこともある。

 敵のスパイだとされていた。

 ゲリラ部隊だとも言われていた。実際、幼いこどもが爆弾を持たされて基地に来たこともあった。仲間の兵士が何人も死んだ。何十人も死んだ。何百人も死んだ」


 暫時の沈黙の後、凄絶な表情でチヒラは、

「ぼくの妹と母もあの虐殺で殺された。妹は右の胸にこれと同じ刺青があった」


 そう言って荒々しく開く左胸に、輪廻の象徴である円環の図柄が金の顔料で彫られていた。

イラフの顔が恐怖で引き攣る。刺青(いれずみ)が記憶をえぐったのだ。


「まさか、そんなばか、まさか、そんな、そんな・・・・・・」

 チヒラの表情が凄まじい険悪さに歪み、吊り上った。

「そうか、やはりそうか、やはり・・・・君がアンギラと言った瞬間から、なぜかそんな気がしていたんだ。

 なぜか、なぜか気がしていた、君が」


 凄絶なる憎悪の表情。濃いクリムゾン・レッドの髪が焔のよう、黒のようにさらに濃く、しかし赤々と鮮烈に燃え上がった。全身のオーラが天を衝くように噴き上がり、周囲の土がぐつぐつと煮え滾る。

「ぼくの妹を殺した。未だ幼かった妹を」

「チヒラ・・・・」

 イラフの顔は次第に冷静さを取り戻していった。それは安堵にも諦めにも見えた。何かから解放されたかのような。

「ぼくの母を殺した。ぼくを生んでくれたお母さんを!」

 桃色の双眸の生命の火はその奥に燠のごとく滾り、強烈な熾火をなす。藤色のまつ毛も炎となって紅蓮に変ずる。

 イラフは蒼ざめ、悲痛な声で懇願する。 

「チヒラ、わたしを殺してくれ。ズタズタに切り裂いてくれ!」

「だめだ! 剣を持て! 闘え! ぼくに殺されれば、それは君には救いだ。だが永劫に罪に苦しんでもらう。さあ、剣を取れ、ぼくと闘え」

 イラフのまつ毛が苦渋の陰を翳す。だが、しばらくすると、人の顔に表れたこともないような荘厳で厳粛な表情が浮かぶ。

「わかった」


 抜剣する。『龍肯』が鞘から抜ける刹那の、シャンという重くて冷たい金属音。青眼に構えた。


 ハラヒが必死に叫ぶ、

「待って、二人とも。よく話し合って。

 わたくしたちは仲間だ。友達だ。イラフの事情もよくわかる。戦場に行った者ならばわかるはず」

 しかし深い諦めの表情でユーカレが、

「無駄だ。

 こうなる運命だったんだ。家族が殺されて、黙っていられる者などいないし、黙っていることが正しいとも言えない。もし正しかったとしても、誰に言う権利があるだろうか」

 苦しげにそう言った。そんなやり取りも二人の耳には聞こえていない。


 三叉戟『天真義』と楯『地真義』とが現れた。


 たちまち烈しく位置を変えながら、瞬時に上下に移動し、前後に飛び、左右に廻ってあたかもうつくしき舞いのようであった。『龍肯』は『天真義』と烈しくぶつかり、『地真義』を激しく叩く。激烈な魂魄のぶつかり合いに、地が震える。


 互角の戦いのように見えなくもなかったが、イラフは最初の数合を交わしたときに既に悟っていた。


『チヒラもまた、この旅で高い境地に達した。しかし今やわたしの比ではない。もはや闘うまでもない』

 そう心に想い、剣で大きく円を描く。

全身隙だらけであった。どこからでもかかって来いという構えだ。

「ふ」

 チヒラはその意図を奥の奥まで読んだように諦めと嘲りの笑みを浮かべた。

「天真義究竟奥義『熾烈』!」

 そう叫んで、まっすぐ突っ込む。チヒラの持つ奥義の一つだ。自滅と紙一重のため、滅多に使わない大技であった。

 突っ込んで来たはずのチヒラの姿が寸前で忽焉と消える。

 消えたと同時にイラフの頭上に現れ、無防備な顱頂骨を目がけて流星のごとく急降下する。

瞑目しているイラフはあわやという瞬間まで動かない。

 まるで茶でも飲むかのように自然に三叉戟を剣で受けた。

 そのスピードたるや、まさに神技、奇跡。だがイラフは受けた剣を眼に見えないほど微妙にずらし、穂先が顱頂を貫くように運ぶ。天才にしかできない妙技だ。

 だが、チヒラは翻って着地し、仁王立ちになった。厳しく眉を寄せ、強く唇を噛みしめ、歪ませている。


 激しく三叉戟を擲った。

「やめだ。もう終わりだ」

「チヒラ!」

 イラフが手を伸ばす。永遠に手の届かないものへ触れようとするかのように。ハラヒの白い眸の上で、それがスローモーションのように映っている。まぶたを伏せてユーカレは歎息する。


 伸ばした手は手で打ち払われた。


 苦悶と憤りと暗鬱で悲愴な尊厳を帯びた顔で、

「来るな。もう二度と触れようとするな。 

ぼくに近附こうなどと思わないでくれ。慰めの言葉も、魂の癒しもいらない。どうにもならない。ぼくも理を解している。だが、それが何だ? 

 幸せな日々があった。それは優しい歌だ。

ぼくの耳には、庭を駈けながら、笑いさざめく妹の声が今も聞こえる。ぼくを抱きしめる母の匂いが甦る。そのたびに心が張り裂ける。

 もう二度と戻らない。ここからは、もう出られない。尹良鳬、ぼくにさわるな、この、闇に生きる者に」


 濃い緋色と葡萄酒色の絡む髪を風になびかせ、チヒラは消えた。

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