第48話  戴冠式

 レオンは大華厳龍國の龍皇帝にMPCでメールを送った。かねてからの約束であった同盟の締結を迫る。


 龍皇帝は大いに思案した。


 こうも早くシルヴィエ帝国内がまとまるとは予想していなかったのである。いつものように互選を前にして権謀術策が横行し、レオン派とイヴィル派で分裂すると思っていた。


「あの周到なイヴィルが惨敗するとは。根回しをしなかったとは思えない。恐らくは根回しをしたにもかかわらず、この結果だったのだ。恐るべし。

 シルヴィエ人は侮りがたい。

危機に際して個人の欲得より国家の存亡を選んだのだ。当たり前の選択と言えば当たり前の選択だが、実際にそうならないのが現実だと言うのに」


 瞑目して考えたが、結局、大輔弼(ほひつ)官尹(いん)殷(いん)卿の進言に遵った。


「神聖帝国は急速に国力を回復している。一時の連勝が途中から続かなくなり、敗戦に追い込まれる例は枚挙に遑(いとま)がない。

 朕はシルヴィエと同盟する。しかしこれを以てマーロ帝国やヴォード帝国と闘うことは虚しい。

 いかにすべきか」


 MPCがメールの着信を知らせた。開くとシルヴィエ皇帝レオンからである。

「東大陸の統治者にして神授の偉大なる大皇帝に挨拶申し上げる。

 我レオン・フランシスコ・デ・シルヴィエは本日、第200祖を公儀に於いて継承し、四週間後に第5代絶対神聖皇帝の位を継ぐべく戴冠式を執り行うことと決した。

 これに先立ち東西南の大陸中枢に坐す偉大なる神授の大皇帝に恐れ畏みつつも天が我に与えたもうた命として誓約する。

 神聖シルヴィエ帝国は我が治世に於いて永遠和平を願い、不可侵の誓いを立てる。これ生涯違わず。民を慰撫し、安寧に世を治めることこそ至高神聖の真義、最高位の者の為すべき大義なり。

 我は強制的な布教と布教と併せて行われていた軍事的侵略を止め、過去の侵略地に於いても民衆の意向を細やかに尋ね、かつての国・地域への復活を望む国・地域には、その望みを必ずや無条件に叶える。

 永劫平和を築かん。

東西南の大皇帝に於かれても世界大義のため、平安と繁栄のために、平穏無事の大義を果たされるようご進言申し上げる。

願わくば、四大陸にて国際連合を為さん」


 この文章は公約として全世界に流布された。衝撃的な内容であり、凄まじい勢いで人々に伝播する。たちまち民衆は熱狂した。もしかしたらこれこそが真の転回Kehreなのかもしれない。


 大鴉を肩に載せたヴォード皇帝レイヴァンは地団太を踏んだ。

「おのれ、考えたな、レオンめ」


 スールに於いても羅氾は巨漢イムジンに問うた。

「これに準じなければ民を安んじず、和平を好まぬということになるな」

「御意」

「しかしながら我が国の民は皆荒々しく獰猛な戦士であり、過酷であり非情であることを誇りとしている。無慈悲こそ道徳と心得ておる。 

 されば、かようなる言辞には動ずることもあるまい」

「御意。

 ですが、陛下。ヴォードは隠密裏に休戦条約を打診し始めました」

「何だと!」

「かの国は植民地支配から自由を勝ち得た伝統がございます。自由と権利こそは彼の国の大義なのです」

「ぅぬ」

 羅氾は断念したが、最後にこう言った。

「皇帝レオン暗殺計画を策定せい」


 四週間後の朝、レオンは初めて緊張に震える表情を浮かべた。


 皇帝のために用意された式典前の荘厳なる控室である。疾く帰国するつもりであったイラフ、チヒラ、ユーカレ、ハラヒはこの日まで引き留められ、今、ここいた。


「こんな日が来るなんてね。出会った頃は夢にも思わなかった」


 壮麗なる皇帝の絹衣と装身具で装うレオンを見て歎息しながらイラフはしみじみと言うと、ハラヒも、

「ほんとうですね。何か、胸一杯です」 


 イラフはいつも身に附けている革の鎧ではなく、黄金の鎧兜に最上級の騎士の礼装に身を包んでいた。


 チヒラも黄金で装甲し、鮮やかで深いスカーレットの繻子のチュニックにタイツを穿いた細い脚は繊細なヒールのピンク・シャンパン・カラーのミュールを履き、重ね三つ叉の戟。


 ユーカレは2mの長剣を象牙の鞘に収め、黄金の鎧と白金のトーガと白銀マントをまとう。

ハラヒも黄金の鎧、『きよかみ』を黒い漆塗りの鞘に収め、純白の貫頭衣に高貴で深い青貂のマントで装う。


 広大な戴冠の間に大貴族や高位の宗教者など数万人が集い、証人として戴冠を見届ける。教祖であるレオンは皇帝候補レオンに皇位を授けるために王冠を手に掲げて、神に咒を唱え、自らの頭上に冠を載せる。 


 教祖が神の御名によって世俗権力者を認証する形だ。ただ一人の人間がそれを行うのが普通とは異なるところである。


 頭上に聖なる皇帝の冠が置かれた瞬間、数千の喇叭が高らかに鳴らされ、賛美歌が響き渡る。


 荘厳な式典が成就された。荘厳なる神咒が数限りなく読誦される。空気は霞み、黄金に光り輝き燦めいた。祭壇に降り注ぐ崇高なる光線。


 その後、皇帝は広大なる一億人広場に面したバルコニーに出る。そして宣言する。

「しかあれし、さいわいあれ! ともに神に随いぬ」


 大歓声が起こった。歓呼の声は鳴り止まない。 


 戴冠式の後には、盛大な祝賀会が催された。その盛大なること他国に例がない。祝賀のための会場となったのは、南北に9㎞、東西に7㎞の大バシリカ。王の列柱廊とも呼ばれる大長堂だ。東西の側廊に列柱と大アーチがならぶところからそう呼ばれる。そこに集まった祝賀客は史上空前絶後の三百万人。


 清らかに響き渡る荘厳なる大讃美歌が一万人の聖歌隊によって次々と歌われ、黄金と象牙で飾られた百台のパイプオルガンが荘重に鳴る。


 香油の消費は数千t、撒かれた花弁は数十億枚、牛肉・馬肉・豚肉・羊肉は合わせて数千t、葡萄酒もまた数千t、トリュフやフォアグラやキャビアや歌劇や剣舞や哲学的シンポシュオンΣυμπόσιον・・・・・


 贅の限りを尽くし、放逸享楽と壮大なる豪奢にして荘厳なる百花繚乱の絢爛たる懶惰が大波瀾の潮のように大氾濫する。


 レオンは降りて来て、イラフやチヒラやユーカレやハラヒの手を取って感謝した。

「君たちのおかげだ。心から感謝する。ただエオレアとの約束が果たせなかったのは残念だった。ほんとうに。

 無事に帰還した暁には、神聖なる儀礼のうちにも、最も聖の聖なる祝祭を挙げることを誓ったのに」


 イラフは涙ぐんだが、チヒラは笑い、

「メタルハートを斃した戦士が泣くのか。似合わないよ」


 ユーカレもノーズティカを鳴らし、

「ふ。

 人の感激も束の間のものだ。今日の感謝も、明日には簡単に裏切られる。失望させられるくらいならまだいい。

いつかはレオンがじぶんらの前に立ちふさがり、闘わねばならぬ日も来るさ」


「そうなればただ闘うのみ。希望も失望もありません」

 そうハラヒは静かに決然と言った。


 レオンは壇上の席に坐る。


 数千のキャンドルと大きな黄金の杯、メロンや葡萄や林檎や無花果やマンゴーがあふれんばかりに盛られた高台附の銀の盆。こんな極北に野趣あふれるヤシの実にストローを刺したジュースまである。


 金の飾りと赤のラインと白の絹地の礼装で凛たる禁欲の誓いを立てた若き修道僧や髪長き若き巫女数千人が新皇帝を囲み、賛美歌を歌いながら聖なる神酒を注ぐ。


 レオンがダイヤモンドとルビーとサファイアとエメラルドと真珠とラピス・ラズリを嵌めた黄金の杯を傾けた。


 取っ手には聖句を記す帯が結ばれている。


 会場全体に聖典の読誦が響き渡っていた。よく見れば、巨大な柱に壮麗な説教壇が張り出し附けられていて、金・赤・白の礼装の聖職者が聖典を読み上げ続けている。


 説教壇は木製で繁縟な彫刻が施され、漆で艶光している。 


 大貴族や高位の軍人や親族が次々と階段を上って壇上に上がり、レオンに祝辞を述べ、礼拝する。


 広大な会場のあちこちで、歓呼の声が潮のように上がった。天井やバルコニーから花弁が降り注ぐ。香が焚かれた。薫り高い煙が霞のように漂う。


 イラフは気が附いた。

「チヒラ」

「何」

「あの男だ。おかしくないか」

「男?」


 壁面に沿って等間隔にならぶ大六角柱の傍の、高さ2mはあろうかと思われる彩色された陶磁の壺の陰に、蠢く男の姿が。


「あんなところに人がいたか」

「そう言えば、いなかったね。まるで忽然と現象したかのようだ」

「そういうことが得意な奴がいなかったか」

「いたね。イジュールだ」

「だが、彼はイジュールではない」

「近くにいるに違いない。いつぞやと同じだ」

「行ってみるか」

「いや、少し泳がせてイジュールの現れるのを待とう」


 そこにハラヒがやって来て、

「どうしたんですか」

「いや、あれを見て」

 イラフが説明する。

「ほんとうだ。いったい、あれは・・・」


 三人がああだこうだ言っていると、ユーカレが興味を示し、寄って来る。

「何だ、どうした」

「あれさ」

「どれ」

「いや、あれだってば。・・・あれ?」

「いなくなってる!」

 ハラヒの驚きの声に対し、呆れ顔を作ってユーカレが言う、

「じっとしていなくちゃならない理由はないだろうからな。それとも感附かれたんじゃないか。君らまるで素人だな、歴戦の戦士ともあろう者どもが」

「ともかく行こう」

 イラフが言うと、チヒラが

「どこへ」

「探すのだ」


 だが見つからなかった。


「皇帝の警護を強化するように進言しよう」

 イラフが言った。チヒラも、

「念のため、厨房の毒味も強化すべきだろう」

 ユーカレは、

「今さら祝賀客の再チェックは難しいだろうなあ。いったい、ここには何百万人がいるんだ」

「アンテナを張ろう」

 イラフはチヒラに言った。

「うん」

「では、わたくしは警護担当者に進言してきます」

「じぶんはレオンに話に行く。せっかくのお祝いが台無しだが、話のできる高官がいないからな。仕方ない」


 イラフは瞑目する。


 意識を澄まし、人々の心の波長に合わせる。さまざまな情念が交わり、巨大なうねりを醸し出し、その複雑さはとても言葉では表現できない。


 その解析を微に入り細に入り極め、襞の一つ一つを浮き彫りにしつつ、その妙を読み解いて、形象・凹凸をなぞること、入念を極め、解像度を高め、やがて個別の心象を把捉し始めた。


「つかめない」

「閉ざしているね」

「明らかに情報生命の原理を知っていて、ぼくらのような者の探知を予想し、その探知に引っかからないように、心の働きを殺している者がいる。怪しい。だが場所が特定できない」 


「そうでもない。

 場所は時空(時間と空間)の座標で特定されるが、時空とは『心』という自然の摂理が構成する解釈でしかない。

 逆に言えば、存在が占有する場所は、すべて特定され得ないものだ。そもそも〝場所〟ってあるのか、〝場所〟って何だ、って言うこともできる。〝場所〟っていうコンセプトがそもそもどういうことなのか、とかね」 


「言っていることはわかるが、それじゃ、さらに始末が悪いじゃないか」


「心を消す者は心を消しただけでは、そこがブラックホールのようになってしまって、反って特定されやすい。特異な場所になってしまう。

 だから彼らは心機を消すだけではなく、時空の解釈、時空の座標を補正しているはずなんだ」


「しかしそれは矛盾する。心の働きを使わずして補正をすることはできない」

「今はね」

「今は?」

「過去、または未来から現在を補正されてしまえば、現在の中にいるわたしたちからは敵のその働きをストレートに見ることはできない」


「なるほど。その働きを読み解けばいいんだ。君は天才だね」

「君が教えてくれたからだ」

 二人は早速解析を始める。


「数人いる」

 チヒラが言うと、イラフも、

「壇上の巫女、修道僧、説教壇の僧侶」

「イジュールはどれだ。奴をやれば〝魔法〟は解ける」


「わかるよ。

 説教壇だ。全体をコントロールしている」


 チヒラはMPCを手にした。

「ユーカレ、説教壇の僧侶がイジュールだ。ただし、うまくやってくれ。ぼくらが逆に逮捕されちゃ元も子もない」

「じゃ、レオンにやってもらおう」

「どうやって? 彼の周囲には祝辞を言う人がいっぱいで近寄れないし、電話にも出られないだろう」

「案ずるより産むが易しさ」


 そう言うとユーカレはひらりと飛び上がり、階段の欄干を蹴って一気に壇上のテーブルを飛び越え、レオンの隣に降りる。一人の修道僧が突き飛ばされて倒れた。


「何ごとだ、ユーカレ!」

 ただ事でないことを察してレオンが言う。

「皇帝陛下、あの説教壇の僧侶は偽物です。イジュールです」

「何!」

「ただちにご命令を。自分らが言ったのではシルヴィエの人たちは信じないでしょうから」 

「わかった。

 おい、衛兵、あの説教壇の僧侶を引きずり下ろせ。皇帝の命令だ。疑うことなく、ただちに執行せよ!」


 誰もが驚いた。

 しかし突如、修道僧と巫女の数人が突如、その手に剣を現象させ、振りかぶる。だがユーカレがたちまち斬り捨てる。


 説教壇の僧侶は矢を射たが、それもユーカレが断つ。

「ちくしょう!」


 イジュールがその本性を現した。蛇のように蠢く紫色の髪、赤黒く滾ろう瞬きのない眼、古代の戦士のような革の鎧、ベルトで留めた短い腰衣、短いマントだ。穂先が大きく湾曲した槍を持っている。砂漠の悪魔が描かれた楯を掲げて。


 既に説教壇に上っていたハラヒが、

「覚悟!」

 名刀『きよかみ』で斬りかかる。

「小賢しい!」

 剣を受けるも、その背後に来たイラフとチヒラが左右から斬りかかり、

「天誅!」

 それをも楯で受けたが、イラフは瞬時に身を落とし、床を蹴って飛び上がる。〝韋屰天亢龍〟だ。

「ぅぅうっぎゃああああ」


 イジュールを縦裂した。血飛沫が四方に飛び散る。最初のレオン暗殺計画はこうして潰えた。

 死んだ修道僧や巫女はイジュールの死とともに元の姿を現す。その本性は蛇やトカゲや蠍であった。誰もが驚きの声を上げ、震え慄く。


「何者の陰謀か、ただちに調査する」

 レオンは決然と言った。 


「大枢機卿イヴィルが一番怪しいが」

 チヒラがそう言うと、レオンは、

「可能性は他にもある。羅氾やレイヴァンの可能性、彼らがイヴィルと結託する可能性」

ハラヒが歎息する、

「きよらさやかな世界が来る日は、いつでしょうか。裏切りの世界、信頼できる地盤のない、どこも混沌として不安定で、関節の外れたような世界、已むことのない私利私欲がある限りそれは続くのでしょう。

 嫌悪すべきこの憂き世が」

イラフが厳粛な声で言った、

「そのとおりさ。

 戦いが終わるときはない。常に努力が必要だ。その努力を支えるものは希望だし、それが生命だ。だから仕方がない。自然はそのようにすべてを作った。これは自然の摂理だ。我々にとっては、それが美しい。

 つまり人々は永遠の平和を諦めない」

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