第47話  皇帝の最後

 シルヴィエ国民にあっても、大艦隊が敗退したニュースが激しい衝撃を与えていた。


 ただちに空軍の大出動が望まれたが、それも勝利には結びつかないことがわかって、さらに動揺は広がる。


「ヒムロは絶対に陥落しない。神の力を持ってする他は」

 宗教者たちは口々に叫んだ。


 そんなとき、聖大神殿前の一億人広場に於いて皇帝が国民に宣告すべきことがあるというお触れが出て、大集合がかけられた。集まった人々は一様に不安げでざわめいている。


 皇帝が広場に面する南塔の5階にあるバルコニーに現れ、次のように大音声した。

「朕は聖教の大義と世界生命の永遠の弥栄(いやさか)のために、神の栄光を讃えんがために世界を光で満たさんとして最奥なる密儀を行った。

 しかしそれは今日ある大いなる災いを招いてしまった。

 朕は朕の不徳なるがゆえの罪の裁きを神に乞い、真理の名の下に自らを滅す。滅して罪を贖わんと欲す。衆はこれを受け容れよ、衆の心こそ神の御心に他ならなければ」


 巨大な沈黙が訪れた。


 ジニイ・ムイは続ける。

「しかしそれに先立って言い遺すべきことがある。

 朕の滅した後、大枢機卿による互選が行われることとなるが、周知のとおり一名の欠員がある。

 偉大なるフィロソフィ大枢機卿が急逝したためだ。

 したがって朕は皇帝の最後の権限を用いて指名する。欠員はその子息であり、枢機卿であるレオン・フランシフコ・デ・シルヴィエ枢機卿とする」


 歓呼とざわめきとが起こった。


 イヴィルが異論を唱えようと立ち上がりかけたが、皇帝は畳み掛けるよう言葉を続け、

「レオンには罪科ありとの声もあることは朕も知っている。

 しかし朕はここに強く聖性を以て宣告する。レオンに罪はない。枢機卿は正義の信念を以て朕の過ちを糺すべく行動した。もし彼の目的が貫徹されていればこの事態はなかったかも知れない。

 それゆえに帝国の未来のためには、レオンを大枢機卿に任じて以後の互選も含めた帝国の運命を託すべきと決した。

 これは絶対なる神聖皇帝の権限による最後の決定だ。逆らう者は背教徒であり、異論は存在し得ない」


 イヴィルは腹心の将軍サエン大将を呼び出し、命じた。

「ただちに百万の軍を率いて首都に近附くレオンを屠れ」

「御意」


 その頃、レオンと四人の戦士は大型の応龍に乗り、凄まじい速さでヒムロを目指していた。しかし。

「あ、あれは何だ」

「ジェット戦闘機!」

「数十機はあるぞ」

「まずい!」

 逃げ場のない集中砲火だった。さすがの応龍も堪らない。墜落する。


 龍は最後の生命を賭して乗る者を落としたり怪我させたりしないよう気を附けながら着陸し、息絶えた。イラフらは応龍に合掌し、すぐに龍の背に載せていた龍馬にそれぞれ移り乗った。


「見ろ、地上軍もいる」

 ユーカレのその声に地平線を見ると、雪を蹴り上げて迫る大軍団。


「ちくしょう、我ら数人に何という数だ! 卑怯千万!」

 チヒラが悔しがるも、イラフは双眸を燦めかせて幅広の剣を抜き、

「ただ闘うのみ。行くぞ!」


 百万の大軍に突っ込んでいく。その後にレオンが附き、レオンの両脇にハラヒとユーカレが附き、しんがりをチヒラが務める。五人は一つの弾丸のように突っ込んだ。


 ヒムロではジニイ・ムイが最後の咒を唱えている。

「神よ、ご照覧あれ! 民を救いたまえ!」

 絶叫のように大音声し、桶に入れた油をかぶる。炬火を手に取って体に火をつけた。焔に包まれる。

「聖教に栄光あれ、聖教は真理なり!」


 炎となった皇帝が塔から墜落する。民衆が悲鳴を上げた。


 こうして後の世に毀誉褒貶烈しき第199祖にして第4代絶対神聖皇帝ジニイ・ムイは天逝したのである。


「さて、聖なる互選を明朝、執り行おう。新たな皇帝が前帝の葬儀を司るのだ」

 イヴィルは冷めた表情でそう言った。


 互選の会場は同じく1億人広場で行われる。衆人環視の下で大枢機卿が投票するのだ。荘重なる彫のある樫の椅子が五つある。そのうち四つに壮麗なる儀装に身を包んだ大枢機卿が坐した。


「刻限までレオンを待とう」

 大枢機卿アガルータは言った。大枢機卿ゴ・ダールもそうした。イヴィルは不満げであったが、仕方なかった。そう思いつつももう一人の枢機卿に尋ねる。

「イシュラル猊下もそれで異存はないか」

「むろんだ」


 来るはずがない。イヴィルはそう確信していた。


 殺したという報告は未だないが、よもやし損なうことなどあるまい。ジン・メタルハートだって百万人には勝てないのだから・・・・。


「諸卿よ、時は至った」

 イヴィルはそう言った。

「新大枢機卿レオン殿は来ない。互選は四人で行うしかない」

「已むを得まい」

 アガルータがそう応えた。ゴ・ダールもうなずく。イシュラルも同意し、

「ただし四人で行って同数であった場合は再度行う。ということでよいか」

 イヴィルは少し眉を顰めたが、

「むろんだ。それしかあるまい」

「では」


 投票は行われた。人々は固唾を飲んで見守った。開票が行われる。


「イヴィル猊下に一票!」

 おお!歓声が上がる。しかし、

「アガルータ猊下に一票!」

 おお!再び歓声。

「イシュラル猊下に一票!」

 少し小さく歓声が上がる。

「ゴ・ダール猊下に一票!」

 おお!というよりは、あゝに聞こえた。

「再投票だ、イヴィル殿」

「そのとおりだ、イシュラル殿」


 そのとき、群衆が激しくどよめいた。

「何事か」

 憤った顔でイヴィルが敏感に反応した。


 民衆を割って現れた人物、少女剣士イラフの後、チヒラとハラヒに両脇を護られた大枢機卿レオン・フランシスコ・デ・シルヴィエである。五人とも鎧は毀れ、服は裂け、血が滴り、または滲み、満身創痍であった。


「遅れて申し訳ない。私も参加する」


 イヴィルが異議を唱えた。

「失格だ」

 しかしイシュラルは冷静に制し、

「残念ながらイヴィル大枢機卿、さような規定はない」

「過去にこのような事例がないだけに過ぎない」

「だが、ないものはない」

「さような論は正義ではない」

「では諸卿、いかが思われるか」

 アガルータもゴ・ダールも声をそろえ、

「已むを得ずイシュラル大枢機卿の言うとおりとせざるを得ない」


 イヴィルは蒼白になった。敗北を確信したのだ。


 もう手の施しようはなかった。


 互選によりレオン・フランシスコ・デ・シルヴィエが第200祖となることが認定承認され、自動的に第5代絶対神聖皇帝となることが決した。


 民衆は歓呼した。その声は止むことがなかった。


「我ら聖なる聖教の民よ、帝国は今、未曽有の危機の瀕している。

 だがまず我らの為すことは先帝の御魂を鎮め、天逝を賀する葬送の義を執り行うことである。

とは言え、時間はない。葬礼の期日は明日とする」


大忙しとなった。

官僚や宗教者や侍従は夜を徹して奔走する。職人は休憩なしで昏倒した。数万人の人夫が石を運び、数千人の石工が彫る。数十万人の金細工師と飾り師は儀式の寸前まで働き、花は全国からジェット機でかき集められる。料理人は食材集めから始まり、てんてこまいであった。一時的に数千の調理人が雇われ、腕を振るった。


 かくして翌日、壮大な国葬が行われ、聖の聖なる式典は執行されたのである。


「聖なるジニイ・ムイは神の列に連なり給う。彼の偉業は聖にして偉大であった。聖の聖なる御魂よ、天へ」

 皇帝レオンは神へさように言上する。


 朝から天を蓋っていた雲は割れて啓き、まっすぐな天光が差し込んだ。イヴィルは戦況視察を理由に首都を去った。粛清を怖れたからである。 


 戴冠式は後に廻された。レオン自身がそう決めた。まずは戦局だ、そう言い切る。


「しかしながらこの情勢をどうすべきか」

 地図を見ながらレオンは思案した。厳粛なる皇帝の書斎である。四人の戦士もいた。


 ユーカレが冷淡な金色の双眸で言う。

「ふ。シルヴィエ帝国の態勢は立て直された。

 一時的に東西南の帝国に圧倒されたが、そもそも兵数や兵器の性能で圧倒的に勝っている。じぶんが言うのもおかしいが、応戦すればよい」

「いや。私には大いなる消耗に思える。

人命や財貨や資源を大いに無駄にしている。特にこの数年の戦争には布教という大義がなく(従前の侵略戦争は布教という大義を持っていた)、何のための戦争だかわからない戦争であった」

 チヒラも首をひねる。

「そう。ぼくも確かにそう感じていた」

 イラフもうなずき、

「裏切ったり、同盟したり、北から東へ南へ流れたかと思えば、北から西へ南へ東へ流れた。めまぐるしかった。眼が廻りそうなくらいにね」

 と言ってから、ぽつりと、

「まるで順円と逆円だな・・・」

 その言葉でハラヒが何かに気が附き、

「廻る? 今何て言った、イラフ!」

 チヒラもはっとした顔をする。

「順に逆に廻る・・・ダイヤルか」

 レオンが声を上げ、

「莫迦な!」

 ユーカレも驚愕を隠しきれない。 

「あり得ないだろう」

「何?」

 イラフはきょとんとするも地図に眼を落とし、ふと気が附いた。


「5年前の二つの戦争、3年前の三つの戦争、その後のシルヴィエの東征、つまり一つの戦争、そしてケーレの直前まであった四つの戦争」

「2314!」

 そう言ってハラヒが息を飲む。ユーカレは眉を顰め、

「4132の逆だ」

「数字の配列も、順円と逆円のような関係だ」

 イラフがそう声を上げると、チヒラもうなずき、

「最初にあったものが〝順〟か。だからその逆は〝逆〟となる」

「真理の数字の順番を逆にして運命の転回! 何てことだ」

 ハラヒが信じられないという顔をする。チヒラが表情をこわばらせ、

「それでケーレが起こったんだ」

「信じられない。ジニイ・ムイは超大国の戦争を操って、世界という情報生命のダイヤルを廻していたのか」

 イラフの驚愕、ハラヒも嘆息し、

「凄いな。壮大過ぎる」

「まさに大革命だな」

 ユーカレがノーズティカを揺らして皮肉な笑みを浮かべるも、チヒラはさらに、

「しかもよく見ろ、その都度戦争は一つの方向を向いている」

 と言って一度言葉を切り、記憶を呼び戻すかのように考え込んでから、少しの間で再び続ける、

「5年前はシルヴィエが大華厳龍國を、大華厳龍國がマーロを攻めた北から東、東から南へ、つまり2つの右回り。

 3年前、シルヴィエがヴォードを、ヴォードがマーロを、マーロが大華厳龍國を攻めた北から西、西から南、南から東という、3つの左回り。

少し前のシルヴィエから大華厳龍國への北から東へ、1つの右回り。

 そして現在(正確には転回直前だが)、大華厳龍國がシルヴィエを、シルヴィエがヴォードを、ヴォードがマーロを、マーロが大華厳龍國を、東から北、北から西、西から南、南から東へという、4つの左回り」

 息を飲んで眼を丸くするイラフが、

「交互に順円逆円を作っている」

「『聖ルシアの錄』に〝円環は日時計(ダイヤル)のごとし。世を革めんとする者は、正逆の交互を以てその代象を為せ〟とあったのは、このことか」

 ユーカレの言葉にハラヒが絶句し、

「戦争が代象・・・・」

「だから電撃的な和睦や停戦条約後の奇襲があったのか」

 イラフが苦々しい顔でうなずきながらそう言った。ハラヒは怒りが込み上げる。

「狂っているとしか思えない。これで何百万人もの人間が家族と別れて大移動し、見知らぬ土地で何万人もの人間が死んでいるんだ」

「恐ろしいことだ」

 イラフも顔をこわばらせる。

「まるで人民は権力者の駒だな」

 ユーカレが言うと、チヒラも同意し、

「結局、どっちに転んでも庶民が犠牲者なんだ」

「笑うのは権力者と財閥のみ、か」

 イラフのその言葉を聞き終えると、レオンは厳かに言った。

「私の心は決まった

 戦争は虚しい。勝っても負けても哭くのは力の弱い者たちばかりだ。血の涙を流しても報われない民衆たちではないか。

戦わず済むならば闘うべきではない」

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