第46話 決戦の日
「陛下、これはどうしたことでしょう」
異変に気が附き、不安を覚え、聖殉教騎士アヴアロキが皇帝に尋ねる。しかしジニイ・ムイは答えることができなかった。
少女(少年)はゆっくり歩く。
「リアイヰよ、どこへ行く気だ」
ジニイ・ムイが問うた。
しかし彼女(彼)は一瞥を投げただけであった。ゆっくりとして大きく底光りする一瞥であった。雷雲風雨のごとく無情なる一瞥である。
剣を抜いたが、リアイヰは全身から神々しい光を発しもはや近附くことができなかった。彼女(彼)は言った、
「人間よ、見るがよい、我らは生まれた」
そう言うと、燦然たるまばゆい16枚の翼を広げる。眼を開けていられなかった。少女(少年)は欣然と微笑する。毛穴のない、大理石のような美しくつややかな皮膚。耀かんばかりの溌剌さ。太陽の燦めきのごとく。誰も言葉さえも出ない。騎士さえ腰を抜かしていた。
笑い声を上げて木の上にひらりと坐り、青い林檎をもいでかじった。自由に気の向くままで、誰にもそれを止めることはできない。
「陛下、これは。いかようなこととなるのでしょうか」
聖殉教騎士アヴアロキは瞠目したままで尋ねた。
「ケーレが起こったのだ。もう何がどのように変わるか想像ができない。
彼女が朕と一体であれば、朕はこの世界の中枢であった。しかしそれは叶わなかった。我らも運命のうちの一つに過ぎない。他の者たちと変わらない。運命の受難者と何ら変わらない。一本の葦と何ら変わらないのだ。
何をしておるか、急いで帰るぞ。帝国の運命が大いに転じているかもしれない」
そして、ジェット戦闘機を飛ばして帰還したが、皇帝の脳裏を一つの想いが駈け巡っていた。
さて、その頃、ヒムロでは。レオンの父、大枢機卿フィロソフィは陳情団に丁寧に断りを入れるよう彼の侍従長に申し渡し、皇帝が到着する時刻を確認した。
「まさかさようなこととなっていたとは、すぐにお会いしなければならない。これは帝国の運命を揺るがすことだ」
それをイヴィルが察知しないわけがない。
「今さら気が附いたか。ふん、奴とて愚か者ではない。ただ少しばかりこちらが思っていたよりも早いな。いったい、何者が知らせたか」
「フィロソフィ猊下の補佐官、ミハイロ殿が」
「あの文献学者か。近頃、姿を見ぬと思ったが。私としたことが、手抜かりであった。ふ。だがそれもまたよし。人生の妙味というもの」
「猊下、いかがいたしましょう」
妖艶な笑みをイヴィルは浮かべる。
「皇帝へ聖なる美酒でも献上いたそう」
さて、その頃、ようやく空港に着いたジニイ・ムイは顔色を喪い、立つのもやっとで、朦朧としていた。誰にも見られぬように黒衣に全身を覆い、足早に横切り、黒き皇帝専用車に乗って聖大神殿へ。近衛兵に守られるように誰にも会わず、秘奥の間に入った。
「独りになる。誰も入れるな」
ソファに坐り、頭を抱えた。
「殺すこともできなかった。到底、できるわけがない。
すべては決定附けられていたのか。努力などしょせんは無為であったのか。初めからこうなる運命しかなかったのか」
そのときMPCにメールが入った。
侍従長からであった。
『悪い知らせです。
エオレアが突如、亡くなったそうです。老衰のように枯れ果てて。未だ十四歳であったとか。エルフが世界のすべての宗教の宗主に訃報を発信しました』
始まった。ジニイ・ムイはそう独りごちた。
始まってしまったのだ。世界の運命が大転回していく、今まさに・・・・・エオレアの死がその証だ。エオレアも本来は普通の人間だ。食べたり飲んだりしなければ生きてはいけない。しかし彼女は今までそれを免れていた。なぜなら神性によって生存を超越していたからだ。だが彼女の神性は母であるイヰリヤに由来していた。新しいイヰリヤが生誕してしまった以上、彼女の神性は失われたのだ。神性によって堰き止められていたがその堰が破れ、一気にツケが廻って来たに違いない。
いや、それ以上に、世界の原理たる資格を喪って、それゆえに存在意義を喪い、死んでしまったのかもしれない・・・・・
「ふふふ。つまり朕が殺してしまったようなものだ」
ドアが静かにノックされる。皇帝は驚く。侍従の一人だった。彼は事情を知らない。
「陛下、イヴィル猊下が面会を求めておいでです」
・・・・イヴィルか。皇帝の胸を苦々しい思いが走った。何を企んでいるか、どこまで知っているのか。
「朕は密儀のさなかだ。何人にも会わぬと申したであろう」
「申し訳ありません。猊下が世界の運命のことでどうしてもお会いしたいとのことでしたので」
・・・・やはり知っておったか。
「わかった。通せ」
大枢機卿は自信に満ちた皮肉な笑みで入室した。
「聖なる絶対神聖皇帝、ジニイ・ムイ陛下にあられてはご機嫌麗しゅう、誠に慶賀の至りと、畏れ惧れ思う次第でございます」
「何用だ、大枢機卿」
「いくつかございます。時系列に従って申しましょう。
まずは枢機卿レオンが陛下を告発しております。一つに、アクアティアへの禁足の原則を破った理由を糺しております。
そしてその際、パイロットが急死した件について調査を求めております」
「聖なる密儀だ。語る必要はない。世界のためだ。
パイロットの件は密儀ゆえに世を去ってもらった。彼については時期を見て殉教者に列する予定であった」
「なるほど。適法ですな」
「第二は」
「ふむ」
「ケーレについてです。
世界曼荼羅は情報生命として4132の秘密のダイヤル、とも言うべき法則を持っていますが、皇帝は何ゆえに2314のダイヤルを廻したのでしょうか」
ジニイ・ムイは瞠目したが、驚きを押し隠し、冷静と威厳を以て、
「それも秘儀だ。説明する義務はない」
と応えるも、冷厳なる冷笑の眼差しを以てイヴィルは、
「確かに。通常であれば。
しかしその変化はあまりにも甚大です。エオレアの死はご存知でしょうか。はい、わかりました。エオレアは世界の原理としてシルヴィエの地に安定しておりましたが、それは喪われました。
それが何を意味するかご存知のことと思います」
いったん言葉を止め、イヴィルは自分が皇帝に与えた打撃の効果を分析する。そして言葉を続け、
「次にその革命の効果として天命が革まりました。世界情勢の急激な変化です。
ヴォードはマーロと連合して帝国を攻めることを決定いたしました。既に連合軍は進軍を始め、今日にも海戦が起ころうとしています」
「馬鹿な、あの国は争っていたはず」
「転回したのですね。
さて、東の大国、龍梁劉禅は何の抵抗も受けることなく、既に我が国の領土に深く攻め入っていますが、同時に企みを以てレオンを保護し、我が帝国を二分裂しようと企み、混乱に乗じて一気に崩壊へと持ち込もうと計っているようです。
つまり我々は四面楚歌となり、唐突に三大国から攻められることとなったのです。ケーレの結果で」
「ふむ」
「陛下はいかなるご所存でしょうか。
エル・パッハロ・デル・マルでの密儀については既に司法取引によって聖殉教騎士団から報告を受けております」
「ぅうぬぬ」
そのとき、またもやノックの音が。
「陛下、一大事でございます」
侍従であった。その内容を察知していたイヴィルはすかさず、
「控え居れ。今、陛下と天下の一大事を話している。下がって待て。地下牢で生を終わらせたくなくば」
静かになる。イヴィルは再び問うた。
「正義のお考えをお聞かせくださいませ」
「わかった。しばし考えて後、いかに処すべきかを決する」
「御意。
では、お待ちしております。何なりと思し召しのまゝに実行いたします」
大枢機卿は下がった。
さて、その頃、蒼きアトランティコ大海洋では、ヴォード帝国の将軍イーグル・ワトーが望遠鏡で海上を見ていた。マーロ帝国の海軍は次々と港に寄港している。両帝国の合計二百万の連合軍の大軍団は本日、シルヴィエとの開戦のために集結していた。
ワトーは海戦を得意としている。
そもそもエステ(西大陸)の諸国は永い間、ノルテ(北大陸)諸国の植民地であった。
特にスパルクス帝国の支配するところが多く、次にロード共和国、フロレチェ王国であった。いずれも大航海時代に植民地を増やした国々で海戦を得意としていた。ヴォードが必然的に海戦に長けるようになったのは、こういう事情からであった。
そして資本を蓄え、武装し、齊歴8991年の第一次革命により、ノルテ諸国からの入植者で作るユニオンが本国からの独立を果たした。
しかし事はそう簡単には終わらなかった。ご多分に漏れず民族紛争が起こったのである。そしてそれは最後に帝政という力による終息を迎えることしかできなかった。
齊歴9023年、原住民による第二次革命により民族連合会長ファルコ(フロレチェ人代表)が牽引する連合軍が入植者軍を打破、ラサRaza共和国を建国するも、齊歴9025年、連合左派のハルコーン(スパルタクス人)がクーデターを起こし、権力を一時掌握、しかし齊歴9026年に連合青年部に属し、経済学・法学の一学究であったフォーク(ロード人)が一時国外追放になるも弾圧を超えて第三次革命を起こし、ヴォード共和国樹立を宣言、齊歴9056年のクーデターで同じロード人で彼の側近であったコルビーノが政権を奪取し、経済の要であった農耕牧畜業と貿易事業を掌握し、大財閥となって自らを正統なる王と称したが、齊歴9063年、スパルタクス人弁護士組合青年部の左派連合代表であったレヴィングが共和国の復活を唱えて蜂起、齊歴9066年に共和国代表者会議の議長に就任するも、齊歴9068年、ロード人による反政府クーデターの鎮圧を機に、永劫平和論と絶対君主制論とを唱えて自ら皇帝となり、レヴィング・レイヴォン皇帝を称した。
以来、13年間、皇帝レイヴァンは国益のために尽くし、巨大な富によってヴォードを世界の超大国、四強のうちの一つにまで伸し上げたのである。
ワトーは海図を広げて深慮し、一つの作戦を立てていた。
黎明の進撃に際し、連合軍総督イーグル・ワトーは激烈に叫んだ。彼の演説は常日頃ならば8時間を超えたが、今日はさような余裕がない。強く短く、裂帛の気迫を以て言い切った。
「ここで死ね。今日ここで死ぬのだ。生きて帰るべからず。自由なる主権を守るために、正義の闘いを闘うために喪う命は真の生命である。
兵(つわもの)どもよ、国家存亡はこの海戦にかかっている。皆の者、貴様ら今は日ここで死ぬのだ。我とともに、自由のために」
アトランティコを進むマーロ帝国とヴォード帝国の連合艦隊は多種多様な軍艦を烈士威風堂々。
竜骨に深く彫刻を施して船首を高く立ち上げるバイキングのバトル・シップ、ギリシャの軍船バイオリーム(二段オールのガレオン船)、ベネチアやフランダースのガレオン船のような複雑な帆を備えたものなど帆船マニアが見たら垂涎の的となる帆船が数万隻、ルイ14世のラ・クローンや第1級戦列艦ル・フェニックス及びソレイユ・ロワイヤル、敵国から黄金の悪魔と畏れられた英海軍の巨艦ロイヤル・ソブレン・ザ・シーズ、オランダの80門戦列艦フリースランド、スペイン無敵艦隊の流れを汲むサン・フェリーペ、ブランデンブルグの大型フリーゲート艦フリードリッヒ・ウィルヘルム・ツー・ベルデなどなど。
対するシルヴィエは巨砲と近代装備を持った鉄の大型軍艦数千隻、ジェット戦闘機を搭載した巨大な要塞島のような航空母艦数十隻、潜水艦十数隻を以て立ちはだかった。
技術的に劣勢な連合軍は退却すると見せかけて切り立つ海峡に誘い、戦闘機の動きを封じて挟撃し、また切り立つ岩崖の上から百万の大砲を以て集中砲撃して殲滅すべく激しく戦った。
連合軍は半数以上の兵士を喪い、無傷の船とてなかったが、神聖帝国海軍のアトランティコ艦隊は壊滅し、海戦は連合軍の辛勝に終わった。
それに勢いを得たマーロの勇猛な騎馬隊がノルテの西端部に上陸し、西端諸国と連合してシルヴィエ帝国に向かって進軍する。
戦勝の報を聞いて、ノルテの中央南部諸国もヴォード帝国に連合し、かつて海洋を制覇したロードやスパルタクスやフロレチェの大艦隊を出した。
大華厳龍國では、ニュースを聞いて居ても立ってもいられないレオンは突然の訃報に接する。
『大枢機卿フィロソフィ・タウロ・シルヴィエ殿、急逝さる』
「ばかな! あり得ない」
龍皇帝への面会を求めた。
「長居をし過ぎました。急遽帰国したく思いお許しを願いに参りました」
「どうしたのだ、レオン殿」
「実はわが父、大枢機卿が・・・・・」
皇帝はそれを知っていた。またジニイ・ムイが事実上、蟄居し、イヴィルのクーデターが着々と行われているのを察知していた。
『帰すべきか帰さぬべきか。
帰せばみすみすイヴィルの手に堕ちてしまい、利用することができなくなる。しかし帰さずともイヴィルの基盤が固まってしまえば、利用価値がなくなる。
一か八か帰して一波乱でも起こしてくれれば善しとするか。どっちに転んでもダメで元々。喪うものはない。
さて、そうと決まれば、波乱を起こすために屈強の者たちを添えてやらなければならないぞ』
そう思案し、レオンに応える。
「わかった。しかし情勢は危険が予想される。
イラフとユーカレ、チヒラやハラヒを附けよう。他にも有能な者たちを添えよう。ともかくも彼女らがいれば一騎当千だ」
「あり難き幸せ」
レオンはお辞儀して退出する。
さっそく皇帝の使者がそれぞれの戦士を訪れた。勅命が読み上げられる。イラフは二つ返事で命令への絶対服従を誓い、こう言った。
「とても気になっていました。命ぜられなくても追随させていただきたい」
チヒラもユーカレもハラヒも同じだった。
再び旅は始まった。またもや陰謀と戦乱のさなかに戻るにあたって、戦士らの顔に一点の迷いもない。
大型の応龍を用意し、飛翔する。
「ともかく我々個人にとっても一つだけよかったことは」
チヒラが言った、
「今回の試練で武の精神を練って、魂魄的には相当な高みにまで達したことだ。何よりも存在の実体は精神・魂魄だとぼくは痛感した。これは新鮮な学びだった。今まではそういうふうには考えていなかったんだ。
もはや四天王すら敵ではないかもしれない」
レオンは皇帝宛に正式文書を出した。
『訃報を聞き、帰国いたしたき義、御(お)許し願いたく候(そうろう)。
葬儀は親族の務め。相(あい)御(お)赦(ゆる)し願いたく候。帰国後、如何な御裁きあらんとても、神妙に御受け奉る事、決して違えずにて候』
葬儀のために帰国したい、帰国してからどのように裁かれようとも構わない、という趣旨であった。
その日、ジニイ・ムイは神聖帝国海軍アトランティコ艦隊がほぼ壊滅したという知らせを受けた。
また国境附近でヴォード陸軍、マーロ騎馬軍、中央南部及び西端部の連合軍、それに加え、亜人類や神獣も含む数千万の大軍勢が布陣し、殺戮の荒御魂のごとき殺気に満ちた勢いで進攻寸前であるという知らせも聞く。
他国に比して圧倒的に優位であるとされていたジェット戦闘機の大戦隊でさえも、応龍の大軍団と相見えた一大決戦では、甚大な被害を受け、まったくの互角であったという報告も届いていた。
帝国が初めて迎える危機である。絶対神聖皇帝は呻吟し、決意する。
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