第42話  大枢機卿イヴィル 

 メタルハート破れる!


 そのニュースは世界を駈け廻った。

 それと同時に皇帝の不正を訴えるレオンの主張も広がった。


 彼らはもはや堂々と南の大街道の真ん中に馬車を走らせ、皇帝を糾弾する旗を翻しながら進んだ。すれ違う者は(とても少なかったが)寒さのために深くかぶるフードの下で眼を丸くした。


「しかし強くなったな、イラフ」

 白きユーカレが珍しく褒める。それほどの快挙だったとも言えた。しかし気を緩められる状況でもない。


 一行は日照時間の少ない永久凍土の土地を進む。極寒の氷原はブリザードになった。蒼ざめた弱々しい翳りのような光が薄闇になる。雪の飛礫は氷であった。


「視界が悪いな」

 パウルが思わずうなる。やがて遠くに聳えるヒムロの城壁の畏怖すべき巨影が見え始めた。

「何だ、これ。す、凄い・・・」

 イラフは高さ100mの城壁を見上げて肝をつぶす。


 チヒラが、

「この壁の向こうにさらに高さ200mの壁があって、そのまた向こうには300mの壁があるんだ」

「信じられない。この長さも」

 吹きすさぶ暴風雪の右を見ても左を見ても、壁は一直線に見渡す限り地の果てまで続いている。 


「さあ、行こう、南門へ」

 レオンは促した。

 荘厳にして崇高、厳粛なる神のごとく、近寄りがたい偉容を冷儼に現前させている巨大なる城門の前に着く。壮大して峻嶮、崇高極まりて、鳴り響く賛美歌の悲愴すらある。


 見上げるためには頭を真後ろへ倒さなければならないほど高い城門は、両脇に横に長い兵舎を備え、そこに門衛の兵士たちが居住していた。門扉は想像を絶する巨大さで、これがほんとうに開くだろうかと、イラフが疑ってしまうほどである。


 実際、門は1年に一回くらいしか開かない。さすがに毎日この門を開け閉めしては大変な労力だからである。左右の扉の一部に、縦9m横33mの両開きの扉が一つずつ切られていて、一方は入城専用でもう一つが出城専用となっていた。出入りする者は入念にチェックされ、商人はそこで積荷に応じて税を徴収される。


 外に立つ兵士だけで数百人はいた。砲台の附いた装甲車が数十台、自走式の装甲砲台も数十台ならぶ。この吹雪の中、鉄の鎧は冷たいに相違ない。三階建て(城壁に上りやすくならないよう敢えて階数を抑えて造ってある)の門衛用の兵舎はそれ自体が堅牢な城砦の一部で窓が小さく、銃眼と胸壁を備えていた。


 一人の儀装した騎士が歩み寄って来る。紋入りの黄金の鎧兜と紋入りの黄金の防弾楯、長さ5mの黄金の槍(バズーカ砲附き)を持っていた。槍の穂先の元には聖句の飾り帯がくくり附けられている。


「レオン・フランシスコ・デ・シルヴィエ枢機卿猊下。大変失礼ながら、猊下は公務を放棄してヒムロを出られ、消息を絶っておられました。

 猊下のご到着を皇帝陛下にお知らせの上、神聖倫理委員会及び絶対安全保障委員会にお身柄を引き継ぐことが我らが任務です。このまま門をお通しすることはできません。

 それにその外国人たちを通らせるわけにもまいりません。どこからどう見ても、我が神聖帝国と戦争中のオエステの者。敵のスパイかもしれません。レオン猊下がその者らとともに旅して来られたというのであれば猊下の反逆罪をも念のために疑わなければならなくなります。なにとぞ本件を管轄する各委員会の者が来るまでお待ちください」


 レオンは表情を変えずに傲然と言い放った。

「ヒムロを出るにあたっては正当な理由がある。帝国にとって何よりも重要な案件だ。

 皇帝の所業が道義であるか不正であるかを確かめ、証左するための旅であった。

 私は皇帝を正義の名の下に於いて糺す。それは正義が私に課した義務だ。もし速やかにここを通さねば、おまえも同罪だがそれでもよいか」


 騎士は困った顔をした。

「猊下、どうかご理解ください。私は職務を果たしているだけなのです。皇帝陛下と枢機卿猊下の間に挟まれてどちらかを選べと言われても無理でございます。どうか木の葉のような存在の者を、世界をも揺さぶるほどの巨大な力で挟み撃ちにすることはお止めください」


「では力尽くで入る。

 止めたければ止めてもよいが、一応忠告しておこう。ここにいる者たちはジン・メタルハートをも斃した者たちだ。その話はもう聞き及んでいると思うが」

 騎士の顔が蒼白になる。


「行くぞ」

 レオンは騎士を無視し、そのまま進む。誰も制することはできなかった。イラフとユーカレも馬車の馭者席の両脇に立ち、騎士たちを眼光で威嚇しながらそのまま通過する。ストランドや傭兵隊長バルバロイ、少尉以下将兵も門に入った。重篤な負傷兵を乗せるためににわかに調達した荷車もこのときばかりは昂然と通過する。最後尾はガリア・コマータの騎馬兵たちだった。門衛たちは固唾を飲み、微動だにしない。


 厚さ100mもある城壁を貫通する通路を行くと、洞窟にでも入ったような感じだった。


 ようやく広い場所に出ると、すぐ向かい(100mなどとても近く感じる)に更に高い城壁が聳えている。

「凄い、完璧主義過ぎる」

 イラフは再び驚く。


 第二、第三の門も同様に通過する。第三の門の出口附近で安保委の将校に遭遇した。彼らも黄金の鎧で儀装していた。AR機能のあるゴーグルを附けていることだけが違っている。

「猊下、どうかお待ち願いたい」


「邪魔するな。皇帝に会う。皇帝は禁足地に入った。その真意を糺す義務が私にはある」

「猊下、我々は皇帝に従わねばなりません。皇帝は教祖でもあるのです」

「だから不正は赦されない。帝国の根底が崩壊する」

「もし皇帝が不正であられた場合は(そんなことはあり得ないが)どうなさるおつもりですか」

「この剣で斬らざるを得ない」


 将校は深く歎息した。

「どうかこの決断が私にとっても命懸けであることをご理解いただきたい」

 そう言って身を翻らせて背を向け、先導するように行列道路をまっすぐ聖大神殿へと向かう。


「さあ、我々も進もう」

 レオンが言った。

 ブリザードのせいで、大河のごとき幅1㎞の行列道路には歩く人も馬車もなかった。


 イラフはそれでも建築物の偉容に呆気に取られ、感嘆の声ばかりを上げる。

「あゝ、凄い。ほんとうに凄い」

「君はさっきからそれしか言わないな」

 そう言われてイラフはチヒラに反駁し、

「だってこんなに広い道路は見たこともない。

 それに両側には高くて大きな建物がずらりとならんで果てまでも続いている。どれも壮麗なこと喩えようもない。あ、あれは何」

「あのガラス張りの高層の建物か。あれは空中庭園さ。しかし観葉植物があるのではない。あれは食用の植物を作っているのさ。畑だ。一つのフロアの面積が100万㎡あり、それが400の階層になっていて、首都の食を賄っている」

「信じがたい」

「そら、前を見てよ」

「何だ、あれは」


 暴風雪のせいで視界は利かなかったが、それでも何かふしぎな力が備わっているのか、それはぼんやりその巨魁な姿を見せ始める。

「聖大神殿さ。50㎞も先にあるとは思えないだろう」

「そんなに遠くにあるのか」

「尖塔の高さが4㎞もあるからね。実際より近く見えるのさ」

「さあ、急ごう、龍速で」


 近附くにつれ、頂上の神聖文徴「I・Y・E」の聖三文字重ねが燦然と輝くのが見え始める。塔が漆黒の燿岩と象牙と緋色の貴石とラピス・ラズリと黄金で荘厳され、イオニア様式の円柱や薔薇窓や大アーチや聖文字の透かし彫りや聖人の彫像によって繁文縟礼的に飾られているさまなども、やがて判明になってきた。


 塔の東西南北に延びる高さ2㎞の尖塔と併せ、その壮麗荘厳、言辞に尽くせぬものである。


 南の街道から南門をくぐり、南の行列道路を通って来たので、聖大神殿に入るには南の支尖塔から南の列柱廊を突き抜けて行くこととなるが・・・・


 荘重なる大理石の彫刻群であふれるファサードを持つ南支尖塔の階段の上にて、この猛烈吹雪をもものともせず、一人の妖美なる人物が待っていた。

「大枢機卿イヴィル」

 レオンがうなるようにそう言う。薄い金髪を風に吹き晒させる、冷厳な大枢機卿がそこにいた。


「枢機卿レオン、久しぶりだな」

「猊下、皇帝陛下にお話ししたいことがあって参りました」


 大枢機卿は演技者のように悲哀の眉を作る。

「その件だが、枢機卿レオン、陛下は今ここにはいないのだ」


 レオンが眉を顰め、猜疑しつつ問い糺し、

「どちらへ」


「ヒムロにはいないのだ。大宇宙の時空と森羅万象の大義を為すため、世界の中枢におられる」

「さようですか。何と」

「貴殿の問わんとする熱意はわかった。そのパトスは理解した。だが残念ながら陛下ご不在のゆえ、暫時待ってもらうしかあるまい」


 レオンはイヴィルを凝視しつつ考え続けていた、さまざまな思料が脳髄を駈け廻っていた。

「どこでしょうか。陛下の行先は」

「秘法を修しておられる。場所は言えない」

「エル・パッハロ・デル・マルか」

「そう思うなら逝けばよい」

「うむ」

「では、これで」

「よもや偽りはありませんな、大枢機卿たる者に」

「ない」

「わかりました。 

 猊下に偽りあるかどうかは確かめようもないが、皇帝陛下たる者が正面から真偽正誤是非を問い糺したいと申し出て来た者を避けて逃げ隠れするはずもありません。疑いようはないでしょう。

 神聖皇帝ご不在の件、信じざるを得ません」


 去ろうとするレオンをイヴィルは呼び止めた。振り向く。

「待て。枢機卿レオン、このまま放免すると思うか」

「ふむ」

「公務を放棄し、行方をくらました件、卿に罪科があるかないかを吟味せねばならない。このまま留まられよ」

「わかった」

 そう応えるレオンの諦観の面持ちにイラフが、

「レオン殿!」

「大丈夫だ。わかっていたことだ。ただし」

「ただし? 何だ、枢機卿」

 眉を上げつつも言いたいことはわかっているぞというイヴィルの顔にレオンが傲然たる表情で、

「マリアの無事を確認したい」

「さよう言うと思って、そら、ここに連れて来た。私には遺漏がない。すべてを知り、あらゆる意味に於いて正しく、いかなる角度から見ても破綻がない。

 無謬とは私のことだ」


 唐突に小さな扉が開いて、屈強な巨漢の兵士に後ろ手を縛り上げられたマリアが現れ、寒烈風に晒される。眼は状況を理解できず、瞠(みひら)かれ、怯えていた。

レオンは安堵する。


「そうか。よかった。まずは生きてさえいれば。マリア、辛いことになるとは思うが命までは奪われない。何とか強く生きてくれ。では、これまでだ。諸君、さらば」

 レオンがイラフたちに向けて送ったその言葉を聞いて、凍てた瞳のイヴィルがこれもまた想定のうちと言わんばかりに冷笑する。

「そちらの外国人も放免と言うわけにはいかないな。

 スパイ容疑を疑う必要がある。もし嫌疑が証明されれば、レオン、卿の反逆罪も考えねばならない」

「彼らは関係ない。ジン・メタルハートが私の命を狙うから警護してくれたのだ」

「無償の行為、善意の第三者と言うのか。

 それにしては、皆、大華厳龍國の特殊部隊とその関係者ではないか。クラウド連邦のガリア・コマータもいる。いずれも我らが神聖帝国と戦争した国家ばかりではないか」


 チヒラが進み出る。

「レオン殿が外国人に援助を求めたのは必然と言える。

考えてもみよ、皇帝の不正を糺そうなどと言おうものなら、帝国内のシルヴィエ人の誰もが二の足を踏むだろう。積極的な協力など期待できようはずもない。

 さすれば、ぼくらのような外国人の協力を、レオン殿が要請したとしても、一向ふしぎではない。

 国内でこの企てを打ち明ければ、暗殺される可能性も考慮しなくてはならない」


「暗殺の懸念だと? 愚かな。畢竟、卿は口では何と言おうとも、我ら同朋を信じてはいないのだ。皇帝陛下すらも信じていないのだ」

「ある意味ではそうかもしれない。ある意味では。

 すべてはまやかしに過ぎないから。

 存在は差異による現象だ。とは言え、それでも切実なる実存そのものだ。我々は差異によって物事を識別し、自己の承認を廻る闘いを闘うからだ。

 識別は執著心を起こすための契機でしかない。執著は生存への渇望の契機だ。すなわち生けとし生けるものたちを生存へと駈り立て、渇望させるために設定された絡繰りでしかない。

 諸概念の起源を思い、かように考えるとき、皇帝を信頼しないとか、信用するとかいう考え方自体が灰燼に帰する」


「ふ。

 陳腐な、懐かしいことを言う。

 どれも幼少の頃、教学の時間に学んだことだ。さような繰り言で猜疑が晴れると思うか、枢機卿」

「いかようにも思え」

「ふふん。開き直りか。

 しょせん、人の営みなど、いかなる演繹をしようとも、その程度のもの。草木や野獣とさして変わらん。言説など戯言に過ぎない。ふふん。

 まあ、よい。調べればいずれわかる」

「この者たちは行かせて欲しい」

「ならぬな」


 そのときイラフは既にそれが来ることを感じていた。幸い猛吹雪のせいで、視界も悪く好都合だ。だから、こう言った。

「あなた方にわたしたちは止められませんよ」

 チヒラは眼を丸くしたが、イラフが眼で合図すると、すぐに意味を理解する。


 イヴィルは狡猾に眼を光らせ、にらみつける。

「ほう。ジンを斃したことで思い上がっているようだな、イラフ」

「そうではない」

 イヴィルはせせら笑った。

「シルヴィエ精鋭軍を見くびらぬ方が良いぞ。しかも近代兵器で完全武装しておる」

「でも、このタイミングですぐに、というわけではないでしょう」

 悪戯っぽく笑うイラフ。

「何・・・」

 そのときだ。


「ぅわ」

 颯のように何かが過ぎり、眼にも留まらぬ速さで上空に去った。

「最高のタイミングで来たな」

 そう言うイラフは空飛ぶ神獣の背の上にいて、悠々と余裕の笑みを浮かべている。ストランドに頼んでクラウドから呼び寄せていた大型の応龍十二匹がまさにこのとき依頼主の前に現れたのであった。


「何だ、何ごとだ、いないぞ、レオンがいない、奴らがいない!」

 マリアを拘束していた巨漢は彼女を奪われた上に、顛倒して気を喪っていた。

 大枢機卿イヴィルと近衛騎士たちはわけがわからず、右往左往し、すっかり動揺している。


 応龍がすべてを運び去ってしまったのであった。

 マリアやレオンやイラフやチヒラやユーカレやハラヒやストランドやジイクやシルスやバルバロイや傭兵や将兵などは百数十人と龍馬百数十頭とヨウク、そして馬車までもすべてをだ。


 同じ応龍とは言え、ベンとサムが使った小型ではなく、(今回のような)大型応龍ならば一匹に附き龍馬二十頭、または人五、六十人が軽く載せられる。


 イラフは喜悦し、感嘆した。

「うわ、爽快な眺めだ。初めて空を飛んだよ。しかし地上にもましてもの凄く寒い」

「確かに眺めも凄いけど、ぼくには寒さの方が凄い、ぶるっ。

 しかし考えようによっては応龍でヒムロを空爆できるな。ステルス機のようにレーダーにも引っかからないと言うことだし」

「だが、チヒラ、わたしたちの持っている爆弾であの都市が揺らぐだろうか」

「そう言えばそうだ。シルヴィエには地対空砲も何十万門もあるし」

「もしかして全世界の応龍の数より多いか?」

「かもね」

 笑う。

「おい、いつまでもそんなところにいないでこっちに来い」

「え、ユーカレ、何だ、それは」

「小屋だよ、キャビンさ。これは正式な乗用だからね。こういうのがあるんだ。見ろよ、向こうの応龍には馬小屋がある」

 そちらを見ると確かに・・・・

「凄いっ」


 シルヴィエ帝国側は慌ててジェット戦闘機を用意したが、離陸まで時間がかかった上に悪天候で、すぐに引き返す羽目になる。


「たとえ天候が良くても、もう追いつけません」

 パイロットはそう報告した。


 よく鍛えられた応龍は音の速さで飛ぶことも可能だったのである。マッハ2で飛ぶシルヴィエの戦闘機はスピードでは勝るが、雲の上に抜けるまでは天候に左右された。その上に、今回は連絡を受けてから準備するまで1時間を要し(当然のことだ)ているため、スタート時点で既に3時間近く遅れていたのである。


 イラフたちは既に追い附かれない地点まで来ていた。

「ここまで来れば大丈夫だ」

 ユーカレがそう言った。

「ほんとうに助かった。この後は、国に連絡して船を調達してもらいましょう」

 ハラヒが快活に言う。チヒラもうなずき、

「そうだね。いつまでも応龍を借りているわけにもいかない。それに空の上では、怪我人の治療ができない」

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