第41話  イムジン、又はマーロ帝国史

 分厚い鋼鉄の装甲を身に附けて筋骨隆々たる巨漢イムジンは砂岩で造られた砦の廻廊を歩いていた。


 ボルハラ砦は尖った細い岩山の頂上を占有し、尖塔が禍々しくしなっていて、岩山を指先とすればあたかも鉤爪のようであった。


 匈斗暴族の貴族の家柄である彼は文化的な国が考える貴族とは程遠い存在であった。


 野蛮粗暴で自信家で、自らの美(筋骨のたくましさ)と血統の神聖を信じて疑わなかったし、殺戮こそ誇りであると感じ、無慈悲であることを強さの証と考えていた。


 だがその半面、この一族に珍しく哲学的な側面を持っていて、蛮勇を自慢して短絡直情を善しとして思料の少ない者が多い中、皇帝羅氾に寵愛されていた。

 膂力皇帝と呼ばれた羅氾には稀有なことである。


 イムジンは一つの部屋の前で止まった。死魂の間と名附けられた部屋で、皇帝がこの砦に来たときに使う部屋である。

 ノックもせずに入った。羅氾は独りで肉を喰らっている。葡萄酒の入った革袋から直接酒を呷り、ようやくイムジンに話しかけた。


「来たか。おまえはわしに話があるという。おまえが重要火急だと思う話ならいつでも聞こう。

 話せ」

「ありがとうございます」

「内容は何だ」

「神聖シルヴィエ帝国に関する重要な事項です」

「そうか、よし。すぐに話せ」


 イムジンは膂力皇帝羅氾の神のごとく強剛なる肉体を賛嘆の念を以て恍惚と眺める。皇帝は人でありながら神であった。いったい、この稀代の英雄とジニイ・ムイとが対決すれば、どうなるのであろうか。いずれも超弩級の超人である。世界に四大帝国(超大国)ありとは言うけれども、イムジンの見るところ人類の領域を遙かに超えた神的存在と言えば、羅氾とジニイ・ムイしかいない。


 いつしか帝国が世界の覇権を奪うために競い争い、雌雄を決するとき、それは必ずや南大陸対北大陸の対決になるであろうことは間違いない。そう確信していた。またそのときの勝者は必ずや皇帝羅氾であろうとも確信している。


 絶対神聖皇帝と異なり、羅氾は一代で大帝国を築き上げた、英雄数多ある中でもずば抜けた超人、神にも等しい存在だからである。帝国マーロはそのすべてが羅氾個人の力によっている。


 マーロ帝国の歴史は尋常ではない。膂力皇帝、羅氾の歴史でもある。


 齊歴9017年、羅氾は遊牧民族の一部族、斧氾(フハン)族の族長であった荒氾(アラハン)の子として世に生を受けた。彼らの属する羅族は唯一神である天神を奉ずる羅教を信奉し、沙漠や大草原を遊牧し、騎馬戦に長けた民であった。


 羅氾が生まれたとき、村の呪術師(まじない師)は「天を裂いて神を殺すであろう」として嫌忌し、狼の野に擲つことを勧めたが、父母は容れず、逆にまじない師を殺してしまった。


 その崇りであったのだろうか。


 荒氾は部族間の抗争に敗れ、死し、一族は離散した。羅氾は母とも生き分かれ、独り荒野を彷徨(さまよ)った。まだ五歳であった。狼の群れを短刀で屠り、その肉を喰らい、皮を剥いで肉の附いた裏を砂で磨いてから縫い合わせ、着た。


 数年かけて狼やハイエナや沙漠虎や草原の獅子を殺して生き延びる。なぜ肉食獣かと言えば、草食動物は速くて捕らえられないからであった。逆に、肉食獣は追わずとも向こうから寄って来る。それを捕食した。


 七歳のとき、部族を滅亡させた背斗族を探し、族長に天命の決闘を申し出た。天命の決闘とは一対一の闘いによって天神の意思を問う勝負である。族長の地位を賭けて闘いを申し込んだ。


 背斗の族長、沙多奴は笑った。

「おまえが、か。何の冗談か。いやはや、その勇気は認めよう。さすが族長の子よ。しかし幼子とは言え、天神の前で手加減はできぬぞ。後悔するなよ」


 周囲の荒騎馬武者どもも嘲笑する。

「バカバカしい。正気か。おまえが勝てるか。こどもの遊びじゃないぞ。こりゃ、お笑いだ。こんなにおかしいことがあるか。ぅわっあはは」


 しかし背斗の一族が円陣を組んで見守る中、沙多奴はあっけなく屠られた。石で刃を作った刀身1mもある石刀で、一刀両断だった。刃の鋭利ではない石刀で人間の骨まで一気に切断してしまう凄まじい膂力である。誰もが驚愕し、誰も声が出せなかった。

「こんなバカな、赦せるか」

 戦士たちが襲いかかってきた。しかし野獣の動きを持つ少年を捕らえる者はいない。たちまち数十人の筋骨逞しい男たちが切り分けられた家畜の肉のようになってしまった。 

「俺が族長だ。文句があるか」


 誰ももはや何も言わなかった。だがこのままで済むわけがなかった。

 寝込みを襲われたり、食事に毒を入れられたりした。しかし、その都度、野獣のような勘で鋭く見破り、首謀者を残虐に屠った。


 もはや暗殺を思う者はいなくなった。すべては恐怖で支配されたのだ。


 毎日20㎏の肉を喰らい、羅氾は十二歳で身の丈が3mを超えた。体重も300㎏を超える。その大剣は刃渡り1m、刀身の長さ4m、重さ120㎏の大ヴァジュラ刀で、これを軽々と変幻自在自由無礙に振るった。しかし馬に乗ることは叶わず、ブラドドラゴという龍に乗る。

「俺は大陸を統治する。すべては俺のものだ」


 そう宣言し、次々部族を襲い、勝利する。ゴルバディGollvadyee大草原を席巻し、匈斗暴族やハーン侠族、逆族、ウーハン氏族を斃し、その鬼神の強さは人々をして彼を膂力王と呼ばせた。


 終に沙漠と草原の民族を統一し、騎馬民族最初の大帝国を築き上げる。自ら皇帝を称した。齊歴9037年のことである。わずか二十歳であった。

「我が帝国はマーロと号する。我は永劫の皇帝なり。我は終生天命の決闘を拒まない」


 実際、六十三歳になった今でも無敗である。

 ちなみに、『まろう』とは羅族の言葉で、まったきもの、万象、汎神、全世界を意味した。


 さて、イムジンはおのれの考えを述べた。

「絶対神聖皇帝ジニイ・ムイは5年来、奇妙な動きをしています。これら一連の動きには合理的な説明が附けられません」

「それは俺も感じていた。おまえはどう考える」

「彼はシルヴィエ聖教の教祖を継いだ者、第199祖にして第4代皇帝、阿羅漢の領域に達した解脱者です。

 我々には見えないこの世の奥義に通暁しています。この世界の深奥に隠された宇宙という生命の真髄を為す叡智、または叡智として存在する生命、論理的な思考を超えた生命の法を鑑みて、行動を起こしているのかもしれません。

 まずは安易に敵の挑発に乗らないことです」

「敵の挑発に乗るな、とは」


「大華厳龍國への攻撃です。

 シルヴィエからの大華厳龍國への突然の和睦と言い、これら連鎖的な各国の動きはすべてジニイ・ムイの計算するところではないでしょうか」 


「大華厳龍國の艦隊がシルヴィエ奇襲のために去ったのをいいことに俺が北上してオエステを攻める。なるほど誰にでも簡単に予想が附きそうなことだ」


「そのとおり」

「では、オエステの大華厳龍國を攻めことを止めて、エステのヴォードを攻めるか。だが彼の国は我がマーロよりも海軍力に優れているぞ」


「エステは今や南下するシルヴィエの大艦隊に攻められ、力を北部に廻さざるを得ない状況です。間もなく大艦隊が移動するでしょう。

 何年か前に我が国と小競り合いを続けながらも、シルヴィエの西大陸への急激な侵攻に伴って北へ集中せざるを得ず、我が国にチャンスが巡ったことがありました。

あのときと同じ状況です」


「なるほど。好機というわけか」

「そうです。しかしながら意見します。今回、攻めるべきはヴォードではなく、シルヴィエかと。それこそ最も敵が想定していない状況です」


「おお、さすがだ。いつもながらおまえの知恵には恐れ入る」

「あり難き幸せ」


「よしよし、これは面白い。俺は大いに承知したぞ。愉快だ。大いなる勝負、大いなる博奕だな」

「そのとおりです」


「だが俺には明白な勝機が見える。目前に強き光が燦然とまばゆく輝いている」

「それこそが天啓、または余人ならぬ陛下の神慮です。皇帝の神慮に誤謬のないことは皆が知っています」

「血湧き胸躍るとは、このことよ」


「では早速使いを出します。二週間の内にヴォードとの同盟を締結し、その後は速やかに軍を整えて出港しましょう、ノルテへ」


 去りがてにイムジンは言った、

「そう言えば、こんな報告がありました。あのジン・メタルハートが完膚なきまでに破られたそうです。ええ、間違いありません。

 四大陸ではもっぱら、新たなる最強戦士の出現だと大騒ぎしております」


 遠い遙かなる眼で言う、

「いつか闘ってみたいものだ」

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