第39話  コプトエジャの秘文

「ユリウスからの返事が返ってきた」


 人間違いの誘拐をした犯人を追跡する馬車の中で、チヒラがそう言い、メールの文を次のごとく読み上げた。

「彼はこう書いてきている。

《『聖ルシアの録』という古文書がある。そこにアクアティアに関する記述がある。抜粋して送ろう。こうだ。


〝苦行者の前に神は竟(つい)に降臨し、こう述べた。

「(略)・・・・世界には精髄とも言うべき原理(アルケーαρχη)がある。その一つのものにすべての本質が収斂し、大(おお)本(もと)となる。それが一切の究竟である。世界の心臓とも言うべきもの、聖典のうちの最も深いところに秘められた、尊い真言(陀羅尼)のように。

 大いなる宇宙曼荼羅の円の御(み)中(なか)なす神髄とも言うべき究竟の本質なり。これによって円環は回転を為し得る。これによりて世界は活命す。歴史は流れ、世界は生成なり。

 それはありふれた場所にある。求める者に理は理自らに於いて理を晰らめる」 


「しかしありふれた場所とはどこでしょうか」

 ルシアは問うた。


 神はこう言った。

「海を渡り、北の緑の草靡(なび)く豊かなる平原。アクアティアにある」


「世を革めるにはいかにすべきでしょうか」

 ルシアはさらに問うた。


 神は再び応えた。

「円環は日時計(ダイヤル)のごとし。世を革めんと欲する者は、その代象を為せ」〟


 代象というものが何であるかは定かではないが、ジニイ・ムイはこれを為そうとしているのだろう。健闘を祈る》


 と言うことだ」 

 チヒラが読み終えても誰も口を開く者がなかった。


 レオンも顎に手を当てて考え続けている。

「宇宙という名の曼荼羅が円環で、その円環が廻ることで世界が成り立つ、と言うことか。むろん円環といっても、その名称で普通に示唆される考概のとおりではない。だからそれがいわゆる円環ではなく、エオレアであっても、何ら不可思議ではないということだ」


「円環はダイヤル(日時計)のごとしか・・・・それがわかりそうでわからない」

 イラフが苛立つ。


 ユーカレが自分自身に言い聞かせるように、

「ダイヤルとは日時計だが、後に時計の文字盤を指すようになった。さらに後代には電話機に附いている指先で廻すダイヤルにも使われるようになっているが・・・・・」


 チヒラが手を打つ。

「それか。もしくは金庫のダイヤルとか。曼荼羅を円環に見立て、そのダイヤルを廻して何らかの作用を起こさせる・・・・か」


「少なくとも戦争には関係なさそうだな。レオン殿は5年前からの数々の戦争のことを言うが」

 ユーカレが無関心そうに言うも、チヒラは、

「だがそれでもわからない。ダイヤルを廻すことの代象って、何だ」


「と言うか、代象って何だ」

 イラフはお手上げのようだ。ハラヒも、

「何だろう」


 チヒラはもっともらしく、

「代理となる現象?」

「どういうこと?」

 イラフは納得できずにそう問い返すと、替わってユーカレが、

「本来のものは顕現しないので、何かその代りになる現象を作用させて本来のものを作用させたような効果を得ること、ではないか」


「呪術的だな」

 レオンがさらに考え込む。イラフはさらに、

「だがエオレアの代わりって何だ」

 と問い、チヒラも、

「エオレアはダイヤルなのか」

「そうさ。エオレアを仮にダイヤルとした上で、そのダイヤルの代用を探すんだ」

 ユーカレはわかったようにそう言った。


「まったくわからない」

 イラフが肩をすくめると、チヒラは、

「もう少し考えてから言えよ」

「うん・・・」

「でも何でしょうか」

 やはり困惑顔でハラヒ。


「ジニイ・ムイが為そうとしていることを見ればわかるんじゃないか」

 ユーカレがそう思い附くも、イラフは、

「何をしているかな」

「戦争、侵略?・・・かな? レオン殿は5年前から一連の戦争が始まって、そこに暗号じみたものを感じると言っていたが」

 チヒラは考え考えそう言った。しかし、

「戦争のどこがダイヤルなんだ?」

 イラフが一刀両断。


 再び皆黙り込んでしまった。


「取り敢えず、ぼくは追跡に集中させてもらう」

「そうだ。まずは彼女を助けなくては」

 イラフもはっと気が附いたようにそう言ったが、ハラヒは、

「だがイラフ、今はチヒラと手綱をにぎる者たち以外のわたくしたちにはできることがありません。もう少し考えてみてもよいのでは」


「ふ。日が暮れてしまうさ」

 ユーカレが皮肉な表情で言う。


 黄昏は崩落するように燃え墜ちて終に日が暮れた。


 チヒラが言う、

「どうやら奴らは休憩しているらしい。止まっている。チャンスだ」

「どのくらい先にいる」


「だいぶ先だ。向こうは龍速よりも速いから」

「奴らは眠るのだろう」

「たぶん」

「夜明けまでに追い附ければよいが」


「龍速を使っても、どうかというところか」

「だがそれしかない」


 夜明け前。彼女らは追い附いた。

イラフは草薮に身を隠す。数十m先に、山賊のような二人の男が焚火をはさんで向かい合い、酒を酌み交わしていた。


「そっと近づくぞ。わたしとハラヒで十分だ。むしろ気配を消せない者は来ないで欲しい。

 皆は周りをぐるりと円形に囲んでいてくれ」


 気配を消して、音を立てずに進む。近附くと、縛られて龍に繋がれ、すっかり疲弊し切ってうなだれているマリアも見えた。


「ぐわぁっああ」

 応龍が突如、吠える。サムとベンは驚きつつも、すばやく立ち上がって逃げようとする。


「しまった、龍がここまで敏感とは」

 イラフがうめくも遅い。「ええい、一か八か」


 凄まじい勢いでイラフは駈けてサムを切り捨て、返す刀でベンをも、と思うと既に敵は応龍に乗り、飛ぼうとしている。


「行かせるか」

 ハラヒが飛びかかるも、わずかの差、間に合わず。悪党どもはマリアを吊るして飛び上がってしまう。


「しまった!」

 無念のあまりイラフは地面を拳で殴った。


 戻ると、ユーカレが冷たく言い放った。

「これで奴らは休みなく、眠りもせずに一直線にヒムロまで行くだろうな。

 そしてエオレアだと思って連れて来た女性が間違いであったことを指摘されて懲罰、最悪は処刑され、そして」


「そして・・・・マリアはどうなるのか」

 イラフが碧き眉を力ませ喰い入らんばかりに訊く。


「この失態を隠すために陰謀を企んだ者によって消されるだろうな」


「そんな馬鹿な。禁足地から無理矢理連れ去ったんだ。用がないならば解放すべきであろう」


「禁足地だからだ。

 もしエオレアを連れて来たのならば、そのまま拘禁しておくつもりだったのだろうが、偽物じゃ、拘束していても意味がない。だからと言って、そこいらに放っておくことも、ましてや返すこともできまい。略取が露見してしまうからだ。

 だからもう、手っ取り早くなかったことにしようとするだろう。この世からの抹消してしまうってことだ」


 レオンが立ち上がった。

「龍速でヒムロまで行こう」

「追い附けない」

 ユーカレが表情もなく言い放つ。


「ヒムロに着いた瞬間に処刑するわけではあるまい。その時間を有効に活かせば未だ可能性はある。何としても阻止するんだ」

 レオンが反論したが、ユーカレは批判し、

「ヒムロに着く前に、じぶんらが見つかる。たとえ、見つからずに着いたとしても、どうやって城壁の中に入るのだ。城門の衛兵は飾りではない」

 だが、レオンは決意の表情で、

「それでもやるべきだろう。見捨てることはできない」


 その言葉にうなずきながらチヒラもレオンに賛成の意を示し、

「そのとおりだ。貴人を警護することだけが正義ではない」


 全員の顔が引き締まった。

「そうだ、やりましょう」

 ストランドらもそう言い、少尉や傭兵隊長は首をゆっくり縦に振る。


「ふ。仕方ないな」

 ユーカレも同意した。


 イラフとハラヒはうなだれて言った、

「すまない。我々がミスしたために。こうなってはもはや生きて帰らぬ覚悟で行く。絶対に無事に連れ帰る」


「君らだけの失敗ではない」

 チヒラが言うと、ストランドも、

「そうです、皆が作戦に賛同し、その場で見守っていたのです。我々も同罪です」


 それでも二人はうなだれたままで、

「言葉もない」


 横目で見ていたユーカレが、

「時間の無駄だ。ほんとうに助けたいのか?」


 それを聞いてレオンが珍しく微笑する。

「ユーカレの言うとおりだ。急ごう」


 ヨウクはいなないて疾駆する。


 龍速する馬車の中で五人は再び代象について考え始めた。

 議論はなかなかはかどらない。すぐに言葉に詰まり、沈黙となってしまう。


「代象とは必ずしも似たものとは限らないんだよね。どこかが重なってはいるが、それはパッと見にはわからないもの、という可能性もあるわけだよね」

 イラフがそう切り出すと、チヒラが藤色のまつ毛を翳して桃色の双眸の色を濃くし、

「それはある。

 何だかの一致があればいいんだ。だからいろいろな角度から物事を見なければ見つけられないと思う」

 ユーカレが異議を唱え、

「しかしジニイ・ムイは実践している。彼がやっている何かで、しかも規模が凄く大きいことである可能性が高い、とすれば」

「では、やはり戦争では」

 ハラヒがそうぶり返すも、イラフは、

「でも、どう繋がるんだ。戦争がどう廻るんだ」


 またも沈黙が訪れるのであった。


 追っても追っても影さえも見えず、一行の思考同様、旅も永久凍土の上を虚しく過ぎ行く。


 天気は荒れた日が多く、人跡稀な土地が多かった。時代に日照時間は短くなる。帝国の土地ゆえ、安易に旅籠や民家に泊まることは危険で、野宿する日も多かった。


 しかも、それまでのように雪洞を造ることはできなかった。極寒地でとても乾燥しているので、雪洞を作るような雪質ではない上に、雪の量自体も少ないからだ。


 已むを得ず、寒さをしのげるようなテントが必要になってきていた。旅の途中の町や村で、馬車に積んであった商品を少しずつ売り払い、資金にすると同時に収納スペースを空けて、テントの材料になりそうなものを買い集めて積み、終にはパオ(包)のようなものを組み立てられるまでになっていた。もはや商人らしさの欠片もない状態である。


 三度目の山脈の街道をたどった。また永久凍土を渉り、最北の山脈を越え、氷河を越える。ヒムロを目前とし、広大な氷原の中をまっすぐ貫く街道を疾走していたとき、斥候が騎馬ごと斃された。

 ジン・メタルハートだった。

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