第37話  祝福と成長

 蒼穹を飛ぶも生き物がいる。翼を広げ、尾が長くて、黒い蜥蜴のような生き物だった。


「応龍だ」

 チヒラが言った。

「誰か乗っている」

 ハラヒが指摘する。イラフは、

「誰だ、なぜ。・・・あ、もしかしたら」


「ほら、急降下し始めた。何かを狙っている」

 ユーカレがそう声を上げると、チヒラが、

「そうか、わかった! マリアが狙われている。だって、ほら、あそこ、マリアがいるじゃないか」

 と言う。それよりも早く、イラフはヨウクに向かって奔り出し、

「急げ、行くぞ!」


「まずい!」

「だめだ、間に合わない」


 ハラヒが手綱を素早く解いてヨウクに跨り、駈りながらもそう言うと、イラフもまた乗って号令し、

「諦めるな、追うんだ!」


「なぜ彼女を」

 走らせながらも問うチヒラに、ユーカレは応え、

「わからない。エオレアと勘違いされたんじゃないか」

「そんな莫迦な!」


「いや、知らない者らには区別はつくまい」

「しかし、いったい、誰が」

 というイラフの問いに答えてチヒラが、

「皇帝の回し者か」


「いや、そんなことをすれば皇帝にとっては大きな失態となる」

 しかしチヒラは、

「ではそれを狙った誰かの陰謀かも」

 もはや考える暇はなく、

「ともかく追え」


 だが、虚しかった。応龍は純粋な龍である。龍馬やヨウクよりも早く、しかも空を飛ぶので、たちまち遙か彼方に見失ってしまった。


「無念だ!」

 イラフが憤る。

「何としても誤解を解かねば。何という愚かな過ちだ。苛立たしいね、無知ほど危険なものはない」


「ふ。

 どうやら北の方へ行ったようだな。地団太踏むのも結構だが、事実の確認が先だ。それが現実主義というものだ」

 ユーカレがゆっくりとそう言った。


「奴ら、ヒムロへ行くのか」

 チヒラがそう言うと、レオンは、

「可能性は高い。ジニイ・ムイが遂に強硬手段に出たか。そんな愚かな者ではなかったはずだが。

 しかしそれで我々の進路も決まったな。北進しよう。追跡だ。帝都に行くかどうかは定かではないが、追えばわかる。見逃すまいぞ」


 ハラヒが、

「レオン殿は強硬手段と言いましたが、なぜマリアがさらわれたのでしょう」

 とチヒラに尋ねると、

「わからないが、ユーカレの言うとおりエオレアと勘違いされたのではないか。レオン殿の話し方はそういう理解だ。強硬手段っていうのが何であるかは理解できないが」


 ユーカレもうなずき、

「ともかくも、人違いはあり得る。ほとんどの人間はエオレアを見たことがないから。いずれにせよ、追い附けばわかる。

 追いつけなければ、わかっても無力だ」


 レオンは冷静にこう言う、

「エオレアに報告しよう。急いで手短に、だ。一瞬の無駄も赦されない。そして必ず連れ戻すと強く誓おう」


 家に戻って説明すると、

「自己犠牲の崇高な精神、その正義の勇気に感謝します。誓うのは止めてください。大いなる革命を祝福いたします」


 一行は北へ発った。なりふり構わず龍速で駈けた。

「相変わらず凄いね。やはり速いよ。でもこの気持ち、この焦り。あゝ、まだまだ速さを足りなく感じるよ」


 風圧でバタバタする布をまくって馬車の外をちらりと見ながらイラフはそう言ってから、チヒラを振り向いて、

「それにしても、あの応龍というのはもの凄く速かった。わたしたちの手にも入らないかな」


「入るさ。ただ、ここでは難しいな。ぼくらは伝手(つて)がないね、この大陸では」

 チヒラにそう言われて、イラフは首を外に出す。大声を上げ、

「ストランド!」


「何ですか」

「応龍は手に入るかい」

「国に連絡しましょう。こちらへ取り寄せられると思います」


 あまりにもあっさりと解決にしてしまったのでイラフが反って疑義を呈し、

「え、だって、ここは帝国の領土だよ」


「応龍はステルス機みたいに探知機に引っかかりにくいんです。国からここまで飛んで来てもらいましょう。たぶん、うまく行くと思います」

「そうなんだ。それは凄いな。世の中、知らないことだらけだよ。わかった。よろしく頼むよ」

 イラフは満足げに坐った。


 藤色のまつ毛で翳らせて双眸の濃さを深めながら、チヒラはさらに逃亡者の痕跡を追い続ける。

「とは言え、応龍はそう頻繁に飛んでいる神獣ではないからね。情報の海に残した波紋は簡単に拾える。

 敵は素人だな。もしかしたら皇帝の手の者ではないかもよ。

 政府関係機関の者なら、ぼくのような人間のいることを知っているだろうから、こんなずさんなやり方をしないと思う」


「あゝ、愚かな敵という者は、ある意味、最もやきもきさせる存在だな。貴様らの行為はバカな勘違いなんだ、何でわかんないんだ、すぐやめろ、って叫んでやりたい気分だよ・・・」

「愚かさはほんとうにおぞましいが、当事者は気が附かない。それが愚かさの本質だ」


「だからと言って、安穏としていられないし、赦して良いものでもないじゃないか」

「だがムダに精神を消耗しても逆効果だ。真に現実主義者になろうとするなら、冷静さと、清み切った精神集中こそが肝要大事だ。そもそも誰しも愚かなのさ」


「君の言うとおりだ。反省も含め、こうした焦燥や葛藤の瞬間も鍛錬だと思おう」


「そのとおりさ。一瞬も気を許さない者にとっては、すべての瞬間が生き生きとした訓練だし、日々が新しい成長だ。

 エオレアに見(まみ)えたことも、大きくぼくらに何かを授けてくれた。君にとってはイースに見(まみ)えたことに劣らず、大きな力となっているはずだ。すべての事物や人との出会い、一つの瞬間とて、おろそかにしてはならない。

 ぼくらはこの旅で確実に成長している。刹那が歴史の奔流の中でひときわ強く輝いている。君は感じないか。ぼくの手を見たまえ。このオーラを。気が充実している。色も輝きも変わってきている。意(こころ)が神気を帯びている。経験こそが真の言葉で、真実の叡智であって、現実の力なのだ。そして、そう想うことこそが希望というものなんだ。希望ということの実体なんだ。わかるかい。

昨日は負けていても、必ずや明日は勝つんだ」


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