第35話 ケーレ(転回)
「いかにして皇帝はケーレを起こすだろう気か」
レオンは独りごつようにそう問う。
それを聞いて、
「ケーレってなんだ?」
とイラフが尋ねると、チヒラが、
「方向性を変えること、転回だ。または向きを変えること、屈曲、曲りとも言える。世界の現行を変えてしまおうということだ。ある意味で、革命だよ」
ユーカレが皮肉な面持ちで、
「ふ。皇帝ともあろう者が恋愛感情で動いたのか」
その非難に対し、レオンは、
「いや。皇帝ジニイ・ムイに限ってそういうことはない。彼には彼の思いがあるのだろうと推察する。私はアクアティアに来て、その思いが強まった。
ただ、それが正しいかどうかは別だ。動機が純粋であっても悪はある。
これは私の空想だが(感傷的な妄想かもしれないが)、皇帝は世界の原理真理を極めて、極めることで原理真理と合一し、さらなるステージへと世界を是正しようとしているのかもしれない。神的な革命を目指しているのかもしれない。それが求愛であったと私はさように理解する。
いずれにせよ、世界の真理の中枢に手を触れようとしている。これは神の領域だ。
人にとって不可侵の域だ。しかしむしろ彼は意識的にか、無意識的にか、定かではないが、そこに触れようとしている。
いや、はっきり言えば、彼自身が神そのものになろうとしているのだ。
宇宙世界の運命を正し、宇宙世界を真に於いて真なるものへと昇華させるために、超越的な領域へ解脱させようとしているのではないか。
我らシルヴィエ人ならば、そのように理解するだろう。
理解しにくいかもしれないが、我が国に於いて、また聖教に於いては、教祖たる皇帝が聖教の真髄であり、宇宙世界の原理真理そのものであるべき存在なのだ。
皇帝に於いて宇宙世界の原理真理が成就すれば、究竟の原理真理が宇宙世界に実在し、宇宙世界が真に於いて真なる世界へと革まることとなるのだ。
だから宇宙世界を真へと導くということは皇帝自らが神になろうとすることと同じだということになる。
そういう意味では、皇帝はその真義を全うしようとしているだけなのかもしれない。神にして永遠なる絶対神聖皇帝の本願を成就することによって」
うなずきながらも、不満げにイラフは、
「そういうことか。しかしあなたはそれを肯定しているのか、否定しているのか。今までは、帝国、または皇帝のやろうとする何かを否定しようとし、それゆえに命を狙われているような印象を漠然とではあるが、我々は持っていたが。
今の発言を聞けば、まるっきり肯定しているかのようで、わけがわからなくなってしまった」
「基本スタンスは否定だ。その理由は彼の行為だ。
戦争もそうだが、他にもある。セオリーが正しくても現実の行為に誤りがあれば、一見、正しく見えたセオリーの本質に誤りがあったのではないかと疑うべきだ。それによって世界の運命が左右されるだけに、さまざまな危惧が生じるのだ」
「まだよくわからないな。ところで、なぜ皇帝の計画がわかったのですか。侍従長ですら知らないのに」
「偶然だ。
我が叔父の聖教戒律に関する講演会を聞きに行ったときに、十数年ぶりに幼馴染の天文学者と再会し、屋敷で食事をともにしたのだが、そのとき彼が最近、星の運行に異常があると言ったんだ。
後から、それが妙に気になってね。
翌日、友人の警視が訪ねて来て、5年前の皇帝専用機の機長の自殺について不審な点があるから飛行記録を非公式に見ることができないか相談があったのだ。正式には警察でも見ることは許されないからだ。
私は星の運行のこともあって、ただならぬ感じがした。だから普段なら絶対にしないが、個人的に見てみると約束した。そして驚いたことに、記録が抹消されていることを知ったのだ。そこでちょっと手を使ってね。知り合いのハッカーをコンピュータ室に同伴して密かに解析させた。
そして、そのパイロットがアクアティアに飛行した翌日に自殺していることがわかったのだ」
「ということは」
「口封じの可能性は高い」
「神聖皇帝たる者が何ということを! 誇りはないのか。無辜の国民を」
イラフが憤った。ユーカレもうなずいて、
「なるほど。動機が正しかったとしても、彼のやり方は間違っている」
レオンは相手の怒りを制するように手を上げて、
「まだ確証はない。もし確かに口封じであったならば私もそう思う。だが正邪を決めるのは彼に糺してからだ。
想像も推測も、ただの想像と推測でしかない。それは実体ではない。真実ではない。どんなに確実性が見込まれても、事実ではない。
まずはアクアティアに来たことを確かめ、その後に皇帝に直接、糺さなければならない。そう思った。
だから、君らにも何一つ語らなかった。心から申しわけなく思う。それについてはどうか赦してほしい」
「わかりました」
チヒラは承諾の意を示し、イラフは、
「何が何でも皇帝の野望を阻止したくなってきた。レオン殿、命令外ではあるが協力させて欲しい」
その強い口調を聞いてチヒラもハラヒも、
「ぼくもだ」
「わたくしもお願いします」
レオンは頭を下げた。
「ありがとう。
国も民族も宗教も越えた君らの友情に感謝する。私は今改めて確信する。正義こそが守るべき唯一なのだ、と」
しかしユーカレが、
「あなた方の国は侵略国家だ。正義と言えるのか」
レオンは憂いに顔を曇らせる。
「それは認める。しかし国民はシルヴィエ聖教に改宗することがすべての民族の幸せに貢献すると信じているのだ。
意外に想うかもしれないが、政治家や官僚も本気でそう信じている人間が少なくない」
「あなたは信じていないのか」
イラフが碧き眉を厳しく寄せて問う。
「すべての人の幸福に寄与するとは思わない。この世には絶対ということはないのだ」
「神に於いても?」
「神に於いては常に絶対ということしかない。だがそれを受け止める人間の判断が誤る。人間にとっては、必ず自分という人間が介在せざるを得ない(そうでないことは不可能だ)から実質的に絶対ということが存在し得ないのだ。
どのようなことも意識である。人間が人間の意識として受け止めなくては人間に顕現しない。
だから聖教をも疑うべきなのだ。神聖ゆえに鴉片であってはならない。
そのように科学的に宗教自体をも含めて自己批判することが、本来のシルヴィエ聖教の精神なのだ」
「そういう宗教はあまり聞かない」
「そうでもない。仏教に於いて仏陀は鵜呑みにすることなく、自分を批判しろと言っている。どのような教えも、弟子自らが検証しろと言っておられる」
「そのような考え方をする者は、帝国では、唯一あなたしかいないだろう」
「そうでもない。わかっている者たちも少なからずいる。
でも彼らには、どうすることもできないのだ。宗教は恐ろしい一面を持っている。
私が皇帝になった日にはすべて共存共栄の理想世界を作りたい。まさにIEとはそのためにあるのではないか」
「わかった。
あなたを信じよう。じぶんも国や民族や宗教が丸ごと悪であるなどという非現実的な妄想は抱いていない」
ユーカレがそう言うと、チヒラが尋ねた。
「話は終わったか? 今はわかり切った確認をしている場合じゃない。
さて、レオン殿はジニイ・ムイの動きをどう読んでいるのですか。というのは、あなたが新聞などで情報を知りたがったのは、シルヴィエ帝国の動向、皇帝の動きを知るためではなかったのでしょうか」
「いかにも。
私は今起こっている各国との戦争が5年前から始まっていることに暗号を感じた。だから戦争の情勢を把握したかった」
「5年前・・・・皇帝がアクアティアを訪れた時期だ」
「それゆえにこれら一連の動きがケーレのために行われているのではないかと推察し、懸念していたのだ」
「国を出奔して確かめたくなる気持ちもわかる」
イラフがうなずく。しかしチヒラは問う、
「いうことはなんとなくわかりますが、しかし、いったい、この戦争でどうやってケーレを起こすつもりなのでしょうか」
「そこまではわからない」
「わからなければ阻止できない。何としてもそれを知らなければ」
「レオン殿、あなたはこれからどう動くつもりか」
ユーカレが問うた。チヒラも、
「もうお考えを聞かせてもらってもよいでしょう」
レオンはうなずいた。
「さっきも言ったとおり、ここで聞いたことをヒムロで公表し、皇帝に直接、正邪を糺すつもりだ」
「オエステまで、大華厳龍國へ行く予定だったが、それが命ぜられた任務だったけれど、もう遂行できない、しなくなるってことか、ヒムロに行くのだから、そうだ」
イラフは自分の頭の中を整理するために独り言のように繰り返した。
「ふ。そう言うことだ。命令違反ではあるまい。主旨は変わってない」
鼻を鳴らしてノーズティカを揺らし、ユーカレがそう言う。
「君はいつ主旨がわかっていたんだ。理由は言われなかった。ただ我が国まで、龍皇帝の下まで送って行くよう、大司教に言われただけだった。
それしかわからなかったはずだ」
「大道を貫くことに変わりないさ」
レオンもうなずき、
「あの時点では、東大陸行きが正しかった。
君らの手腕は未知数だし、信頼できるかどうかもわからないし、今のようにすべてを話すことができるようになるとは思えなかったので、とにもかくにも大華厳龍國に行って、龍皇帝の選んだ智慧者や勇者とともに、シルヴィエへ帰って来る算段であった。
なお、その際には、大華厳龍國の同盟国であった羅氾皇帝の力をも借りることができれば、とも思っていた。あの時点では」
「しかし羅氾皇帝は龍皇帝を裏切った・・・・」
緑の髪のハラヒが鋭くつぶやく。
「そのとおりだ。両大国の協力を得ることはもうできない。だからどちらかを選ばなければならない」
「ぼくらの立場からは『龍皇帝を選んでくれ』と言うべきなんだろうね」
「そうだな。この状況でマーロまで送ってくれと言うわけにはいくまい」
レオンは自虐的な微笑みを浮かべた。チヒラの眸(ひとみ)が桃色を濃くし、光を強める。疑念が生じた。
「しかし公表だけでは弱くないでしょうか。証拠もないし」
「名誉がある。私の祖父は前皇帝だ。父は大枢機卿だ。私が嘘を言うわけがない。誰もがそれを承知している」
「でも、シルヴィエ国民は皇帝の言うことも信じるのではないですか」
「むろんだ」
「それじゃ・・・」
「皇帝たる者、嘘を言うはずがない。もし言うなら(そんなことはあり得ないが)その場で斬り捨てる。
彼は私の言うことを認めるであろう。
それが彼の生命のためだ」
碧き眉を硬くし、イラフが両手を頭の高さに挙げ、ペパーミント・グリーンの双眸を強く燦かさせて皆に手のひらを見せた。待て、の合図だ。
「わかった。
レオン殿が無事にヒムロに入れればいいんだね」
しかしクリムゾンとボルドーの髪を振ってチヒラが否む。
「いや。そうだとしても、ジニイ・ムイがどのようにケーレを実現させようとしているかを知らなければ、阻止はできない。
皇帝を退位させても、動き出したものが止められないかもしれないんだ。止め方がわからなくてはならない。
そのためには、何が起ころうとしているのか知らなくてはならない」
「皇帝も何らかの方法で調べたはずだな」
ユーカレが顎に手を当て考え込む。
「古文書にケーレについて書いたものがないのかな」
そうつぶやき、考え考えしながらチヒラは言葉を継ぎ、
「古文書は各国にかなりある。コプトエジャの古文書館には有史以来の文献がそろっている。イン=イ・インディス(殷陀羅尼)の古文書館も真奥義に関する文献は世界一かもしれない。
シルヴィエだって各地の文書館には相当な資料が保存されているはずだ」
「それは確かにそうだが、やみくもに探しても、何千年かかるかわからないぞ」
ユーカレが反対する。イラフも同意し、
「それはそうだ」
「ぼくの友人に非常に賢明な者がいる。
コプトエジャの王家に繋がる血筋の者で、ユリアスというんだ。彼に訊けばヒントがありそうな気がする。
連絡してみるから、少し時間をくれないか」
それを聞いてユーカレは結論する。
「では、その結果が出るまでこの平原で待とう」
「そうだな。場合によっては行くべき方向が変わるかもしれないから」
チヒラも同意し、イラフも、
「まあ、山でずいぶん苦労したんだ。この平原の緑でもぼんやりと眺めてゆっくり待つのもいいよね」
と言って遥かな草原の地平を見つめる。
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