第33話 アクアティアへの道
山頂と山頂の間にある鞍部を越えて山を下る。
北側はさらに風が強く、なおかつ雪が深かった。
冬はノルテ内陸部から乾燥した寒冷な風が吹く。それが山脈に堰き止められるのだが、南の空気と触れて雲が起こり、その停滞した雲が雪を降らせるのだ。北部よりも湿度があることが雪を増やす原因となっていた。
「ワーグすらも来そうにないな」
ユーカレが白い髪を撫でて冷笑する。
そのとおりだった。自然の脅威以外は存在していない。その唯一の存在が圧倒的に凄まじい。
吹雪というよりは叩き附けてくる怒涛のようだった。白い氷壁が轟音を上げて波状に襲って来るかのようだった。
凄まじいスピードでぶつかってくる壁が一秒と空けずに連打して来るかのようだ。天にまでも届く巨大な空気の立方体の塊に体当たりされ、圧し潰されるかのような感じであった。
何度も止まって、岩陰に避難する。野営の際は、雪を掘って、空気穴を上手く残して馬車を埋めた。騎乗の兵たちも雪を掘ってそこに隠れる。その状態で二日過ごしたこともあった。
火を焚けば(底冷え感はあるが)かなり暖かい。凍った雪は溶ける心配もない。
「あゝ、意外だね。こんなにも暖かいんだ。久し振りに体温を取り戻したような気がする。あと何日くらいだろう。でもこれならがんばれそうだ。初めて知ったよ」
モス・グリーンのまつ毛を大きく咲かせてイラフが言うと、ユーカレが、
「もうじき榛松が見えるだろう。それからは早いものさ。ヨウクが少し体力を回復したら龍速を出してもいいだろう。眠るしかないな」
ヨウクも龍馬も踏ん張って進む。遅々として捗らないが、少しずつ前へ行ってはいた。
「どうやら近くにトロールのグループがいるようです。まだこちらの臭いは感知されていません」
ストランドの報告を聞いて、イラフは、
「時間が大事だ。なるべき係わらないよう迂回しよう。どんな様子なんだ」
「獲物が少なく、飢えと寒さで狂暴化しています。大型で愚鈍、獰猛なタイプらしいです」
「念のため、斥候とともに私も様子を見に行こう。防寒具を」
見ればトロールは生命維持のために半冬眠状態にあり、問題なかった。
やがて雪で凍った榛松が見えると、遠くに針葉樹の林が見え始めた。吹雪は止んだ。
「やっと世界に帰ってきた気がするよ」
チヒラが緋色の髪をかきながら安堵した嘆息とともに言う。
針葉樹の森に入ると氷雨が降り始めた。馬車は静かに進む。皆極寒から解放されてぼんやりしていた。レオンが自分の部屋から出て来て、地図を広げて言う、
「この先に登山道がある。そこから下れば山麓を行く街道にぶつかる。街道を北へ進めば百キロメートルもゆかずにアクアティアの大平原に入る」
チヒラがミュールをつかんでカタカタさせながら考え込んだ。そして、
「どう思う、ユーカレ」
「ふ。まっとうな道だ。つまり誰もが簡単に想定できるルートだ。しかも人眼に附き易い。危険だと判断するのが普通であろう」
イラフも唇を結んでうなずきながら同意し、
「やはり道なき道を行くべきでは。
帝国は当然、我々の動きを察知しているのだ。現にメタルハートに襲われた」
レオンも腕を組み、瞑目する。高貴な顔立ちに翳りが差す。
「ううむ。君らの言うとおりかもしれない。速度は落ちるが」
イラフがチヒラの方を向き、
「龍速はだめだろうね」
「目立つ恐れがある。レオン殿、実際、街道だと人眼はかなりありますか」
「周辺数百㎞四方は辺境だ。居住者や通行者はほとんどいない。密輸入者がいれば、というくらいか。
村は一つもない。冬の雪が多過ぎるため、農業も牧畜もここらでは盛んではないのだ。北の地方の方が寒さは厳しいが、乾燥しているから、むしろ降雪量は少ない」
「ガラス張りの畑で寒暖に関係なく穀物を育てると聞いていたが」
「全土にあるわけではない。ましてや国境附近には造らない。もう一つ理由がある。雪が積もったらガラス張りでも日が差さないからだ」
「なるほど」
山を下るにつれて、季節が冬から晩秋に移り変わって往くようであった。紅葉さえも見られた。「美しいな」
「まったく山の上にいるときはどうなることかと思ったが、気持ちが緩んできたよ」
「そういうときに、またジンが来るんだよ」
「やめてくれよ、チヒラ。今は束の間の休息を楽しみたい」
泉を見つけて野営する。食事も豊かになった。木の実も拾えるし、ウサギやキジや山鳩を捕えることもできたからだ。渓流では手製の竿で魚も釣った。焚火で炙ると旨い。
登山道へ出る前に、先に斥候に行かせ、人のいないことを確認してから偵察隊を行かせ、調査隊に周囲の状況を確認させてから、本隊及びその他の隊が列をなして下った。
山をかなり下り、街道との合流点の近くなったところで道から外れ、森の奥に分け入り、そこで野営する。
街道が数十メートル下に見下ろせた。
「見渡す限り人影はないな」
「このまま下って、街道附近まで行くと、もうほとんど平地だ」
その先には遥か広大なる草原が見えていた。
「見てよ、多少の起伏があるが、樹木も少ない。人目につかないように街道を外れても、匍匐(ほふく)前進でもしない限りは丸見えだよ。むしろ反って目立つ。
街道から外れた道なき道を颯爽と騎乗のままで行こうものなら、我は今ここに在り!と言わんばかりだよ」
「普通に街道で行くしかないってことですね」
「街道ではまた各隊に分かれ、散って慎重に進もう。ただしあまり距離を置かないことにしよう」
「龍速は封印しよう。しばらくは」
十数㎞を進む。
やがてまったく平らな緑の大平原に出た。
「アクアティアだ。ここだ」
レオンが低い声で囁くようにそう言う。
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