第32話 返り血は凍った
ワーグの遠吠えはますます近く、頻繁になって来る。
ストランドが止まれの合図をし、
「戦闘の陣形を取りましょう。
大華厳龍國の特殊部隊と傭兵部隊と我らガリア・コマータとで円陣を作って周囲を護ります。交替で不寝番をします。走っているときに襲われるよりはましかと。空腹で疲れ切っています。体も凍えて硬い。闘う前に休憩や食事が必要です。野営の支度もしましょう。
ともかく、そこの大きな岩の陰で、石で風除けの囲いと、かまどを作って、食事の支度をするのでしばらくお待ちください」
野戦慣れした戦士たちによって、準備は手際よく進んだ。
肉のスープを啜り、碗の熱さで手を暖めながらチヒラが言う、
「山越えにはあと数日はかかるな。吹雪も止みそうにない」
翌日も進行は捗らなかった。
ところどころ絶壁に当たる。迂回もかなわず、羚羊のように、わずかな足場から足場へと飛んでジグザグにじわじわと登るしかなかった。
そのようなときには馬車を(ヨウクに牽かせるだけではなく)数頭の龍馬にも繋いで、引っ張り上げるようにしなくてはならない。ほとんど宙吊りのような状態であった。わずかしか進めない。時間ばかりが過ぎると感じた。
天が厚い雪雲に蔽われて日射をさえぎっている上に、吹雪で空間も閉ざされているので、日が暮れるとたちまち闇になる。岩棚で休憩中に、すぐ傍でワーグの吠え声が聞こえた。
「数百mというところだな。とうとう追い附かれたか。まあ、よく持った方だ」
ユーカレは相変わらず冷ややかな金の双眸であった。
イラフが立ち上がる。
「わたしに龍馬を貸してくれ。騎乗して防御に当たろう」
「パウルの龍馬があるのでそれはできますが、どうして・・・」
「昨日の闘いでは不完全燃焼だった。憂さ晴らしと言うわけではないが、ワーグを叩き斬って、少しは仕事をしたい」
ハラヒも立ち上がった。
「そういうことなら、わたくしにも権利がありそうですね。どなたかガリア・コマータの方に休んではいただけないか」
「いや。もう少し進もう。闘わずには済まないだろうが、もっとよい場所に移動した方がいい。こんな断崖では不利だ」
チヒラがそう言って、ストランドを促す。
往く手の見えない猛吹雪の中で、絶壁を超え、山岳路を登攀する。尖った岩だらけの過酷な急斜面であった。
「足下に気を附けろ、慌てず、確実に進め!」
油をたっぷり浸み込ませた松明をいくつか灯す。荒々しい岩の形相がちらちらと見え隠れした。先頭を行く特殊部隊少尉のジイクとガリア・コマータのストランドは全身隙なく、周囲すべてに均等に注意を払い、殺戮の闘気を漲(みなぎ)らせて進む。
「清々しい気分だ」
龍馬を借りたイラフは顔面に当たる氷の飛礫のような雪の弾丸を受けながら昂揚していた。ハラヒも同様に騎乗で、
「ワーグの咆哮が間近です。もう襲撃して来るでしょう。わたくしには飢え切った奴らの荒い息遣いすら感じられます」
闇の中、松明に照らされてホワイト・アウトした暴風雪の向こうを見通そうと、眼を凝らしても、何も見えない。風が耳をつんざく。
「感じる・・・・」
イラフがそう言った。深夜に近い時刻である。一匹が岩の上から飛び降りて襲って来た。
「来たぞ!」
ジイク少尉の上に覆いかぶさる。将校は剣で払うが、自らも重さで落馬してしまう。ワーグの体の大きさは2m50㎝、少尉と同じくらいだ。
「おのれ!」
牙を剥くワーグの喉笛をつかみ、殴打して殺す。立ち上がった。
次々とワーグが落下し、身を低くしてうなる。ストランドの龍馬が爛々たる眼でにらみ、逆に威嚇する。
「さあ、来い!」
オゾンは大薙刀を振るい、斬り捨てる。イラフは走り寄って、闇の中であるにもかかわらず、二匹を一振りで斬る。その神技にアガグがうなった。
「凄え」
ハラヒは龍馬の上からジャンプして一匹のワーグの背に乗る。乗られたワーグは振り落とそうと暴れるが、巧みにその動きを利用し、その背の上から次々と他のワーグを斬殺した。
乗っているワーグが暴れ疲れて斃れそうになると、刺し殺してまた次のワーグに飛び移り、同じことを繰り返す。
ガリア・コマータたちは息の合った連携で、瞬く間に数十匹を屠った。ウソゴは無駄のない動きで大きな斧を流麗に振るい、ワーグを次々と斬首する。
「あはははっ!」
笑いながら龍馬を操って舞うようにイラフは大剣を振るい、疲れも知らず斬り続けている。ワーグの動きを読み切って、一振りするだけで数匹のワーグを同時に、真っ二つに断つことができるようになっていた。
「さあ、今のうちに!」
ストランドが促すも、特殊部隊の兵士たちの何人かは龍馬から引きずり降ろされ、去れない状況であった。イラフが駈け寄る。あっという間に数人を助けた。
チヒラは馬車の馭者席の脇に立って三叉戟『天真義』を振るい、気を発して近附くワーグを撃退する。
ユーカレは物憂げに立膝してそれを眺めていた。自分が手伝うほどのことはないと言わんばかりの態度だ。ワーグの群れは数百匹近くを斃されてようやく退却する。
「夜が明けるぞ」
チヒラがイラフを呼び戻す。微かに明るさが空気の色を変えていた。
「あゝ、さっぱりした」
水色の髪を振って清々しい顔でイラフが戻って来る。
「返り血を拭いてください」
ハラヒが布をイラフに渡した。同時に馬車の前に着いたのだ。
「すまない。
君も疲れ知らずだな」
そう言われて彼女は少し笑った。
血で濡れた布はすぐに凍った。
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