第31話 ワーグの群れ
馬車に戻るしかない。車内に上がって円陣を組むように坐り、イラフとハラヒが二人の戦士とレオンへ事情を説明する。話を聞いてユーカレもいぶかしげに眉を寄せた。
チヒラが言う、
「てっきりレオン殿の命を狙ってきたのだと思ったよ、ぼくは」
「そう。わたしもそう思っていた。現にアグールがレオン殿を襲ったこともあったし」
イラフもそう言ってうなずく。ユーカレがレオンに尋ねた。
「レオン殿はどう思うのか」
漆黒の髪の若き貴人は思案した。
「ジン・メタルハートがなぜイラフと闘っただけで、しかもとどめも刺さずに去ったのか、という問いであれば、私にもわからない。何らかの一時的な事情ではないだろうか。
いずれにせよ、彼女が私を殺そうとしている、ということには変わりないと思う。なぜならば、(イラフ殿の言うとおり)アグールが私を襲ったのは、ジンの命令以外ではあり得ないからだ。
私は神聖皇帝ジニイ・ムイからも、大枢機卿イヴィルからも命を狙われる可能性を持っている。理由がある」
金の双眸のユーカレがノーズティカの鎖を揺らしながらうなずき、
「ふ。
なぜ皇帝が?
大枢機卿ならわかる。あなたもやがて大枢機卿になって次々期の皇帝の座をイヴィルと争うこととなるからだ。イヴィルは既に大枢機卿だが、まだ若くて次期候補には選ばれない。次々期の互選が勝負となる。
ところが、次々期の互選となれば、あなたも大枢機卿となっていて、家柄の良いあなたがそのときの最も有力な候補として浮上することは疑う余地なく、明らかだ。
イヴィルがあなたを競争相手としてにらんでいる、というのは帝国内ではかなり知られた話と聞く」
縮れた髪を傾けて蒼白いレオンが冷笑を浮かべる。
「そのとおり。国内では公然と知られた事実だ」
「だが皇帝はなぜ」
「それはまだ言えない」
「秘密だらけですね。
そう言えば、命を狙われることが帝都を離れた理由ではない、あなたはそう言っていましたが・・・」
チヒラが腕組みし、薄紫の双眸の色を濃く深め、そう言うと、レオンは、
「そうだ。私はそう言った」
「しかしその理由は言いたくはない、と。我々にとっては謎だらけだ」
イラフが少しむっとした言い方をする。ハラヒが問い、
「いずれは話していただけるのですか」
レオンは鼻梁を高くし、言う、
「アクアティアに行けばわかる。少なくとも私のしようとすることは。そこまで行って隠すことはもはやない。
高貴なる祖先の名誉と魂とに賭けて」
四人は同時につぶやいた。
「アクアティア・・・・」
そこにストランドが入って来た。
「早く行きましょう。獰猛な冬山のワーグが迫って来ています。
視界の悪いこの吹雪では龍速を出すのは危険です。ワーグを振り切れるようなスピードは出せません。
この山岳地の足場に慣れて土地勘のある奴らの方が圧倒的に有利です。追撃する側に利があり過ぎます」
一行は先を急いだ。
イラフはずっとジン・メタルハートとの闘いを脳裏で反芻していた。どうしたら勝てるのか、イースに逢って得たものは、今のところは何も活かせてはいない。何が足りないのか。
だが彼女には薄々わかっていた。大義だ。わたしには大義がない。世界が情報生命であるとすれば、そういう精神の力こそ大きく物事を動かすのではないか。そう悩み、考え続けた。
ジンが悪である、だから闘う。そのような抽象的な一般論ではだめだ。もっと実存的な理由がなければ勝てない。つまり「いったい、なぜ正義が守られなくてはならないか」に応えられなくてはならない。
傾斜はますますきつくなる。雪を冠して切り立つ岩を聳え上げさせる山々。
深い亀裂を避けて遠回りしたり、足場の狭い道を踏んで深い峡谷を下ったり、大磐の間をくぐり抜けたり、断崖の壁にへばりつくようにして細い道や桟道を突風に吹き飛ばされそうになりながら進んだり、絶壁を登攀したりして進む。垂直の壁を登る狭隘なつづら折りの道で叫ぶ、
「おい、気をつけろよ、飛ばされるな。バランスを崩したら真っ逆さまだ」
ガリア・コマータたちが突風にかき消されそうになりながらも声を張り上げ、注意を喚起する。寒さも凄まじい。
「こんな状況で襲われたら堪らないな」
チヒラが外を見ながらつぶやく。
「激しい風、この寒さ。騎乗の者たちはほんとうに大変だ」
イラフも言う。
彼女らは風の当たらない幌の中で防寒具にくるまっていた。内側が鉄製で外側が木製の籠に熱した石が入っていて、暖房になっている。
「また聞こえたな」
ユーカレがワーグの遠吠えを風音の狭間に聞いてそう言った。その言い方は無関心で、何の感情も入っていない。
日が沈んでも進み続けた。
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