第30話 闘い
ついにこの日が来た。
イラフはもはや何も見えず聴こえず、ただメタルハートに向かって、ゆっくりと雪に足を沈めて歩む。興奮が全身を静かに包んでいた。ジンと初めて対峙する。自分よりも強い敵に向かうときの昂ぶりは快感ですらあった。
チヒラが三叉戟『天真義』を念じ出だしつつ、
「待て、ぼくも行く」
イラフは振り返らず、
「我らの使命はレオン殿をお守りすること。君たちは馬車を離れるな。
わたしが行く」
緑の髪なびかせるハラヒも進み出て、
「あなただけではみすみす死に赴くようなものです。わたくしも行きます。
メタルハートはハン・グアリス平原での大虐殺に加担していました。あの女は父母の仇です」
そう言って、眼尻を上げ、双眸を白き炎に怒らせ、イラフとならぶ。
海軍特殊部隊の巨漢、少尉シルス(支陋栖)がチヒラを制した。
「イラフ殿は『非』の戦士です。ハラヒも我らが特殊部隊の精鋭で、しかも元『屍の軍団』であった達人です。
彼女とイラフ殿にお任せして我々は任務を果たすべきです」
ストランドも同意した。
「少尉の言うとおりでしょう。チヒラ殿とユーカレ殿はここをお願います。イラフ殿は俺がサポートします」
そう言って剣を構えて馬を進める。
陸軍特殊部隊の少尉ジイク(斎粥)は身の丈が2m50㎝もあり、筋肉の盛り上がった胸と上腕、さらに肩幅も2m近くあって、全身が四角く見える魁偉の巨漢だったが、
「我らが猛者も向かわせましょう。軍曹オゾン、アガグ、ウソゴ、行くんだ。配下を連れてイラフ殿をお助けしろ。
さあ、いずれも我が隊の名立たる猛者の軍曹です。彼らに配下を添えて行かせました。チヒラ殿、ユーカレ殿、ご両方はレオン猊下をお守りください。あなた方はここにいるべきです」
「仕方ない。承知した」
「ふ」
かくして猛吹雪の中、立ち塞がるメタルハートに向かって、数人の戦士たちが歩を進める。
数十mまで来た。
ジンの両眼は爛々と燃え、すべてが吹雪に塗りつぶされる中でも、明瞭に見える。その威圧感は凄まじいものだった。実際、オーラを風圧のように感じる。吹雪とは明らかに異なるのでわかるのだ。
虎のように低く凄まじい声色で、
「貴様がイラフか」
メタルハートが睥睨し、そう尋ねた。
「なぜわたしを知っているのか」
「このジンを殺そうとする者の名を知っていてもおかしくはあるまい。どのような者か、この眼で見ておきたかったのだ。ふふふ」
「どうやら情報がリークしているらしい」
「つまらぬことよ。
さあ、かかって来い、どこからでも来るがよい」
イラフは眼を瞑った。
心の声を静かに聴く。
隙がない。
それを覚知した。
ジン・メタルハートはその膂力やスピード、巨体だけではない。明らかに武人として達人の領域に達している。深い奥義を極めている。
「これほどの者がなぜ悪なのか」
イラフはそうつぶやかずにいられなかった。
ある程度以上の高みに達しようとすればおのずから精神的な高みが要求される。それが必要となる。
精神的高みとは自己超越であり、自己への執著を捨て去る清廉な精神だ。私心や私利私欲を棄てる精神がなくば技に迷いが出る。命を惜しんではキレが喪われる。
これは自己保存を旨とする生物の原理に違(たが)うようだが、これによって生存率が高まるならば、一様にそうとは言い切れない。
むしろイラフは命を捨てる精神こそ生命であると感じている。生命は日々新しく生まれ変わる存在である、と。
じりじりと間合いを詰める。
メタルハートは余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で、仁王立ちのままだ。剣を構えてもいない。
あと20mというところまでイラフはにじり寄った。
まずは低く攻める。
短い助走で地を蹴って十数㎝の高さを燕のようなスピードで地上と平行して飛び、ジンの足下で再び地面を蹴り、地面と直角に上がって、下から上へ縦裂きに両断しようと試みた。〝韋屰天亢龍〟だ。
ジンが消える。
唖然とする間もなく、敵は背後に回っていて、大剣の腹でイラフを殴打しようとしていた。咄嗟に空宙で身を振り返らせて、剣で受けていなければ、背骨がへし折られていたに相違ない。
イラフはすっ飛ばされた。
受け身を取って転(まろ)び、すぐに立ち上がり、体勢を立て直す。
何が起こったかすらよくわからなかった。凄まじいスピードだ。
オゾン、アガグ、ウソゴが鬨(とき)の声を上げて立ち向かうが、一振りで三人とも薙ぎ倒された。配下までもがその風圧で尻を突いてしまう。風の摩擦で雪さえも一瞬、燃え上がった。
ジンがにらむ。兵士らは震え上がった。
全身からはオーラの炎が眼に見えて立ち昇っている。
イラフは構えながらもふしぎに思った。すぐにメタルハートが襲って来ると思ったのに、まったくイラフの方に向かってくる気配がなく、その場所を動かないからだ。イラフは疑わざるを得ない。闘う気があるのか?
ハラヒがじりじりジンの背後に迫っていた。イラフとは眼を合わせない。もし眼が合えば意思の疎通が起こる。それをジンに読まれてしまうことを危惧するからだ。
「心得ているな・・・・」
イラフはハラヒに感心する。会ったばかりなのに、これほど阿吽の呼吸なのだ。チヒラ以上かもしれない。
前後から同時にジンに襲いかかる。
イラフは45度の角度で頭上を狙い、ハラヒは「父母の仇っ!」と叫んで片刃の『きよかみ』でくるぶしを狙う。まったくの同時だった。呼吸を読み合っていたのだ。二人とも世界が情報生命体であり、我々の認知する世界は解釈であることを体で理解しているとも言える。
しかしメタルハートは同ずることもなく、後ろ手に剣でハラヒを払い、イラフの剣を籠手で受けて弾き返す。
「笑止千万とは、貴様らのことよ。
蚊蜻蛉に等しい。まるで相手にならん。出直して来い」
「何だって!」
イラフが叫んだ。ハラヒも怪訝な顔をする。
「さらばだ」
去ろうとする。
「待て!」
イラフが追いすがろうとする。
「無駄だ」
振り向かずに歩み続けてメタルハートが言う。
「なぜだ。なぜ闘わぬ」
「弱過ぎる。強くなってから来い」
イラフもハラヒもともに完全武装した百人の兵と対峙しても負けることのない強者である。それがこうも簡単に敗れ、それどころかまったく歯が立たないとは。
圧倒的な力の差であった。どうしてこの化け物にイースは勝つことができたのか、イラフには見当もつかなかった。思わずおのれをののしり、
「くそっ!」
対照的に白き眼を凍らせてハラヒは静かに訊いた。
「ジン・メタルハート。おまえの狙いは何だ。
おまえはシルヴィエの側にいると聞く。しかしおまえの配下はシルヴィエのある方の命を狙った。なぜだ。
そしてさらにふしぎなのは、おまえはおまえの指示でおまえの部下が狙ったその方に今、眼もくれず、闘いの決着も附けず、ただ去ろうとする。まったく理屈が合わない。
なぜだ」
「ふ。ふふ。
貴様らに語る必要などない。先も言ったとおりだ。イラフという者がどれほどの者か見ておきたかっただけだ。期待外れであったがな」
無防備に背を向けて吹雪の中を歩き去った。幻影のごとく消える。
「無念っ!」
イラフが雪を叩く。緑の髪のハラヒが彼女の肩に手を置き、
「完敗ですね。でも命が助かったのです。ふしぎですが。殺されてもおかしくなかった」
「その方がましだ」
「そんなことを言うべきではありません。あなたには任務があります」
イラフは応えなかった。
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