第26話  暖炉の炎

「さて、エル氏、いや、レオン・フランシスコ・デ・シルヴィエ殿。貴殿はもはやすべて隠すことはないはずです。少しは説明していただきたい。

 わたしたちは何のためにするのかわからぬことで正しい任務を果たしている無辜の人を殺したり、傷附けたりしたくない」 

 イラフが振り向いてそうきっぱりと言った。


「何だって!」

 誰もが驚きの声を上げた。


 ペパーミント・グリーンの眼光をさらに強め、畳みかけるように、

「それに、あの聖画の意味は、いったい」


 さまざまな事が一同の頭の中で錯綜した。


「レオン! フランシスコ・デ・シルヴィエ! 前の皇帝ジュダスの孫、父親は大枢機卿で次期皇帝候補の一人、フィロソフィ。

 そして自らも枢機卿で大枢機卿になれば次々期皇帝の最有力候補だ。

 代々皇帝を輩出した名家で、シルヴィエを姓に持つ、数少ない家系の一つ。高貴な血筋の中でもさらに高貴なる家柄」


 藤色のまつ毛を翳してチヒラが言うと、ユーカレもノーズティカを揺れ燦めかせ、

「ふうん、そう言えば、そんな話を聞いたことがあるかもしれない。権力抗争で、難を逃れ、首都ヒムロから姿を消したとか、何とか」


 沈黙。


 レオンはしばらく応えなかった。再び深くかぶったフードの下で、じっと黙っていた。その沈黙はどこか空恐ろしいものであった。シルヴィエの皇帝の血を引く者が今、眼の前にいるのだ。


「わかった。君らの理解するとおりだ。

 だから君らの推測するとおり、高貴な身分であっても帝国から命を狙われているのだ。

 だが」


「だが? 〝だが〟何ですか」

 イラフが詰め寄る。 


「私が国を離れた理由は命惜しさではない」


「では、なぜ」

 チヒラもさらに詰め寄る。


「それはまだ話せない。聖画のことも、だ」


「何だって!」

 チヒラが眼を剥くも、ユーカレが制する。


「待て、チヒラ、イラフ。感情を抑えよう。気持ちはわかる。だが世界を動かすような内容かもしれない。よく考えろ。興奮は愚かさしかもたらさない。じぶんら一介の戦士が知ってよい内容ではないかもしれないのだぞ」


 再び沈黙。


 ようやくイラフが言った、

「わかった。ユーカレの言うとおりだ。少なくとも清廉な戦士や無辜の人々を犠牲にすることも已むを得ない任務かもしれないことは何となくわかった。

それ自体はよくあることだ」 

 そう言って何かを思い出し、剣を抱いて自分の毛布にくるまった。


 翌日、国境を越えてオーシアンス王国に入る。荒涼たる丘陵地帯だった。滔々たるローマン河の傍にあるヴィーノという町の傍に休憩する。かつてはこの河を渉って古代の戦士たちが覇権を争ったのだ。憂欝な曇天の下、イラフの胸にその場面が彷彿とする。耀く鉄の兜をかぶり、すね当ても凛々と燃え立ちて宙を飛ぶよう、筋肉質な胸を鎧の下に秘め、髪を靡(なび)かせて大剣で楯を打ち鳴らし、雄叫びを上げて殺し合う闘い。


 街には入らなかった。ミラレセでの騒ぎのせいで、この馬車が指名手配状態になっていることが予測されるからだ。


「すまないが、ニュースが見たい」

 レオンが言った。もはやフードで顔を隠していない(むろん馬車の中でだけだが)。冷然たる容貌からは高貴や崇高と言うよりは幽玄の雰囲気が漂い、蒼ざめてむしろ死人のようでもあった。


 彼の言葉を聞いてチヒラは顔を曇らせた。

「また新聞ですか。・・・まあ、情報収集はしたいけど。

 ストランド、ガリア・コマータの斥候に行かせてくれないか」


 精悍なる若き長髪の隊長が応えた。

「わかりました。しかしあのときは、所属がわからぬように下等な傭兵に身をやつしていたとは言え、ガリア・コマータ自体が指名手配になっていれば、見破られる可能性もゼロではありません。

一応変装させますが」


 だが案ずるより産むが易しの言葉に違わず、新聞はすぐに手に入った。


 大聖堂での事件は第一面になるべき大事件である。予想違わず、ミラレーゼ大聖堂での闘いは記事となって、大きく取り上げられていた。白昼の聖域での暴挙、大騒動、怪我人続出・・・


「これでしばらくは人前に出られないな」

 ユーカレがノーズティカを鳴らし、関心なさそうにつぶやく。


 だが、第一面で最も大きな記事ではなかった。その上を行く事件のせいだ。


 レオンが唸った。

「見たまえ、見出しは『国際情勢大波瀾!』だ」


「いったい、何があったんだ」


「順に説明しよう。

 まずは、オエステ(東大陸)の大華厳龍國が一方的に和平条約を破棄し、シルヴィエに向けて大艦隊を出航させた」


「昨日の電撃的和睦から一転して奇襲か」


「そうだ。

大華厳龍國の中で、シルヴィエ側が唐突な和睦を申し出たのは、国内事情が悪く、停戦せざるを得なかったからだ、という分析が主流になったためらしい」


「そうか、だから、これこそ天の与えたチャンスとばかりに、あえて条約を破棄し、攻めに転じたということか」


「だがそれだけでは終わらない。まるでドミノ倒しだな。

その動きに乗じて、スール(南大陸)のマーロ帝国が大華厳龍國に宣戦布告し、こちらも大艦隊を出航させた。

 マーロは海軍力が弱く、最近は、大華厳龍國との小競り合いで、攻められてばかりであったから、シルヴィエ脅威論を掲げて、ともに対シルヴィエ戦線を張って共闘しようと大華厳龍國に持ちかけ、同盟を結んでいたのだが、大華厳龍國の艦隊の大勢が北へ向かって南が手薄となったため、これを勝機と見做したようだ」


「まさに油断も隙もない、狼の世界だな。ここはほんとうにIEか」


「一晩で世界が変わってしまったようだな、凄い。

力の流れが突如、逆流してしまったかのようだ」


「しかもそれだけではない。

マーロの軍は従来、エステ(西大陸)へ北上して大陸の南海岸にちょっかいを出していたが、少ない海軍をオエステに向けて出してしまったので、ヴォードがそこを突いて艦隊を南下させているらしい」


「いったい、何事なんだ」


「すべて絶対皇帝の思惑どおりなのであろう。どうやら事態は急を要するらしい。

 急ごう。シルヴィエ領に入り、アクアティアἈκυατίαへ行かなければ」


「アクアティアだって?」


「どこだ、それは」


「行けばわかる。さあ、行こう、あの平原へ」


 その夜は野宿することとした。日の落ちる前に野営のための作業を始めようとするときに粉雪がちらつき始めた。曇天に係わらずも微かに茜を帯びた空気に結晶が煌めく。


「薪を燃やす場所を作ろう。石を環状に置くんだ。その中で集めて来た薪を燃やそう。焚火は山火事にならないようにしなければならない。木を怖がらせるな。

 火事になれば人命ばかりでなく、多くの生命を損失する」


 塩漬けの肉を塩抜きして炙り、頬張る。熱いスープを啜り、チーズの塊をかじる。


「炎に照らされ、暖められると、なぜかホッとするね」

「先祖からの体験がDNAに刻まれているんだろうな」

「さあ、眠ろう」


 翌朝、針葉樹林で樹木の伐採をしている集団を見かけた。

「ふ。恐らくは違法な伐採だろうな」

 ユーカレが金色の瞳を曇らせて、そう言った。  


 チヒラがまつ毛を翳し、顔をゆがめる。

「愚かなことだ。刹那の儲けに眼がくらみ、結局は自分たちを苦しめる。子どもや孫にもツケを残す。神の造りたもうた摂理に瑕疵を与える」


「だったら止めるべきだろう」

 モス・グリーンのまつ毛を開かせて、その中央にペパーミント・グリーンの眸(ひとみ)を燠のように憤りに滾(たぎ)らせるイラフがそう言うと、レオンもうなずき、

「私も賛成だ。

 愚かな人間たちは少しでも減らすべきだ。愚かさとは知識の寡少ではない。畢竟、道徳のなさだ。人は生まれや育ちで差別されるべきではない。その行為で差別されるべきだ。

 悪しき行為は必ず魂に苦しみの轍を残す。それは法の裁きではない。個人の意見や見解でもない。摂理だ。だから言説を弄そうとも動かすことのできない現実の真理だ」


 しかし水色の髪を頑(かたく)なに振り、まなざしを強くして、

「轍が苦しみをもたらすまでにはかなりの時間がかかるようです。悪者はなかなか苦しまない。わたしは待てません。今、彼らを懲らしめたい。今、この不正行為を止めさせたい。不正を行うすべての者が必ず魂を疵附けるとは言うけれども、それを待ってはいられない。

 ストランド、停めてくれ」


 言うや否や、身のこなしも軽く降り立ち、

「じゃ、行って来るよ」

「ぼくも行く」

「いや、少し休んでいてくれ。すぐ帰ってくる。どうせ下っ端をいじめても仕方ないんだ。いつの時代も真の悪は権力のある者だ」


 そう言って粉雪の舞う森へと去った。伐採者たちを見つけると、

「おまえら違法伐採だな」

 最初、彼らは無視していた。


「違法伐採者ども、恥を知れ」

「わしらはこれをやらねば食っていけねえ。わしらはともかく、女房子どもが餓死しちまう。あんたらにゃ、そういうきれいごとが大事かもしれねえが、わしら、貧しい者どもはそういうわけにゃいかねえ」

「生きる道は多い。知恵を求めよ」

「じゃ、何があるんだ」

「おまえらの責任者、監督者を出せ」

「おーい、大将を呼べ」


「ここに居るぜ。何だ、そいつは」

「おまえが責任者だな」

「知らねえな。だが、もしそうなら何だってンだ」

「違法な伐採を止めろ。結局は環境破壊で貧しい庶民が苦しむことになる。子孫をも苦しめる」

「明日のことより今さ」

「今儲けたいだけだろう。愚かだ。もっとましな商売を探せ。てっとり早く儲かることばかりではなく」

「よ、お嬢ちゃん、あまり調子に乗らねえほうがいいぞ。屈強な男や警官も俺の言うことには黙っているんだからよ。へへ。それとも、どうだ、俺と楽しく遊ぶかあ?」

「愚劣の極みだな」

 抜剣する。

「ほう。剣士か? ふひゃは」

「カムイだ」

「へっ、それがどうした!」

 相手がポケットから出したのは短銃だった。しかしイラフは発砲された弾を両断する。

「銃ではわたしを殺せない」


 その刹那イラフの背後で斧を振り下ろす者が、また左右からは山刀で突っ込んでくる者らがいた。だが、三者とも峰打ちで昏倒させる。違法伐採者たちは大いに慌てた。

「ば、ばかな」


 冷厳なまなざしでにらみ、

「死んでもらおう。世の汚濁でしかない。おまえのような魂の腐敗した者は既に死人だ。生命はない。首を斬っても殺人ではない。生命とは生き延びることではない」

「ゆ、赦してくれぇえ」


「おまえは命乞いをした人間を赦したことがあるのか。金儲けのためにさぞかし人を殺したであろう、何の逡巡もなく、憐れみもなく」

「ひ、人殺し!」

「愚かな、愚かさの極み、人を殺すくせに自分のときには大騒ぎか、醜い、愚劣であるばかりではなく、醜悪の極致!」

 剣を振り下ろす。防寒具のボタンが全部斬られて落ちる。失禁した。


「おまえのボスは誰だ」

「ひえ、ひえ、ひええ」

「誰だって訊いてんだ! 言わなきゃミンチにするよ!」

「言う、言うよ、言います!」

「ウソだったら十分以内に戻って来ておまえを殺す。いいね」

「わ、わかった・・・・」


 セフイの馬車に戻った。

「この先に町がある。そこにボスがいるらしい」


 イラフがそういうのを聞いてチヒラが、

「王侯や貴族が絡んでいるかもな」


「だったらそいつらも斬る」


 プルムサの町に来た。


「わたしだけで行く。君らは関わらなくていい。すまないが少し待ってくれ」


 水色の髪なびかせ颯爽とイラフは単身でエルグという富豪の屋敷に殴り込む。広壮な豪邸で、城壁のような塀を張り巡らせ、門には武装した兵たちを立たせていた。

「入れろ」

「何だと? ここをどこだと思ってる、ああ? 貴様、何者だ、お許しがなければ入れられない。切り刻まれたくなくばさっさと去れ」

「ここの主人は悪だ。わたしが叩きのめす。彼に味方するなら同罪だが、それでいいのか?」

「おい、おい、相棒、頭のおかしなやつが来たぜ」

「何だ、おまえ、よく見ろよ、こどもじゃないか。やい、お嬢ちゃん、いくらこどもだからってな、赦されねえんだぜ」

「そうか。わたしは急いでいる。悪に対して容赦したり、手加減したりする理由は持ち合わせていない。通るぞ」

「何だと、てめえ、舐めやがって」

「優しくしてやりゃ、調子に乗りやがって、やい、脅しじゃねーぞ」

「ぶった斬るぜいっ!」

「そうか。是非やってみてくれ。やれるものならな」

 兵士の剣は鞘から抜く前に真っ二つ。兜も割れ、鎧は十文字に裂けた。二人の門兵は失禁して気絶する。制止する者には剣さばきを見せて震え上がらせ、主人の書斎へ扉を蹴破って入る。

「伐採を止めろ」

「何だ、貴様は。誰だ? いったい、何を言っているんだ。正気か!」

「止めなきゃ闘う。おまえの兵を出せ」

「暴徒だ、異常者だ、出合え」

 しかし数百の兵はたちまち倒された。すべて峰打ちであった。

「憲兵を呼べ」


 憲兵が来る。

「貴様らは悪の味方をするのか。それでも官憲か!」

「エルグ殿が何をしたというのか」

「違法伐採だ」

「証拠は」

「わたしは見た!」

「それは証拠ではない」 

 イラフの肩を叩く者があった。

「こんなことになっているんじゃないかと思ってたら、案の定だね。イラフ、彼らの言っていることが一応は義しい。一応はね」


 チヒラだった。さらに藤色のまつ毛を翳しながら言葉を続け、

「もう行こう。この闘いには長い時間がかかる。とても簡単なことなのに、ちっとも簡単にはいかないのだ。人から愚かさがなくならない限りは」

「わかってるよ。でも最後に領主のところへ行かせてくれ」


 領主コルネッタの居間に殴り込む。

「いいか。ここで違法伐採があった。貴殿の監督不行き届きだ。もしくは貴殿も甘い汁を吸っているのか。はっきり言おう、自分だけ巧くやって得すればよいと想う者に生きる資格はない。

 いずれ、また来る。改善がなければ、『非』の尹良鳬が天誅を下しに来る。止められる者が入れば用意して待っていろ」


 ザクセンズ王国に入り、街道を避け、吹雪の山野を疾駆する。ゾブンという小さな村で居酒屋に入り、レオンはデュヴィルDuvelというビールを飲んだ。渓流が窓から見える。雪が舞っていた。


 暖炉の炎が暖かい。

 深い想いに捉われる。





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