第25話  引き際

 エルは抜剣して受け止めていた。その有様を見て、身廊・側廊からこの祭壇前まで逃れて来た人々がここでもまた戦闘にかち合ってしまい、絶望の悲鳴を上げる。


 イラフは見た。刃と刃のぶつかる烈しい音がして、エルのフードがめくれ、瀧のような長くて縮れた黒い髪が流出するさまを。蒼白で大理石の彫像のように端正な顔立ち、鋭利な強い顎に高貴な鼻筋、燃えるような炎の双眸。


 それがエルの隠された真実の姿だった。


「いったい、どういうことだ、レオンとは」


 イラフは混乱する。戸惑いながらも剣を抜き、レオンを襲ったシルヴィエの戦闘員を斬る。斃れるときに敵の覆面が外れる。戦闘服の襟が見えた。彼女の記憶に違いがなければ、シルヴィエの精鋭部隊『聖なる隷(しもべ)・殉教者の群れ』の将校である。知って驚く。「レオンと呼ばれるとは、いったい、どういうことか」という疑問と同時に「なぜ、この男はシルヴィエ人で、かつ高貴な身分でありながら、こんなにも狙われるのか」と改めて強く猜疑が過ぎる。過ぎらずを得ない。


 だが、ひとたび剣を抜けば迷いはない。


 敵が一振りする間に十二振りする速さはまるで相手が止まっている人形のようですらあった。


 しかも無重力の中を泳ぐように体を水平にしたまま、後ろ向きに飛び、その体勢で数人を次々斬る。地に足を着かずに、敵の頭や肩の上を蹴ったり、胸を蹴ったりしながら後転しつつ斬った。変幻自在の自由自在。あらゆる体勢からあらゆる方向に剣を振って、下ろし断ち、上げ裂き、突き、襷がけに切り刻む。


 拝廊や身廊・側廊における大混乱もエスカレートする一方であった。


 逃げる老人や肥った商人や僧侶らが次々転んで重なり、アグールとイジュールの配下の戦闘員らに踏まれる。ガリア・コマータと戦闘員らの振り廻す剣が当たって血を流し斃れる人々。必死に雑役夫は外に助けを求める。


 ようやく完全装甲した聖堂警護の上級聖騎士と、街を守備するミラレセの正規軍が堂内に入って来た。


 アグールと死闘を続けるユーカレが悔しそうな表情をし、

「邪魔が入ったか。無念だ」


「ふわはは、心配するな、すぐに貴様を始末してやるから」

「ふざけるな。負けるものか」


「ユーカレ、放っておいて撤退しろ!」

 チヒラが叫ぶ。彼女は大きく飛び退いて、イジュールの手から離れていた。イジュールもまた聖騎士らの姿を見て、「なるほど。めんどうな奴らが来たな。こちらも退散するか」


 そう言って、忽然と姿を消す。


 イラフの傍にストランドが走り寄って来た。

「さあ、撤退です。ヨウクを出します。さあ、あそこです、あちらへ」

 装甲した聖騎士や黄色い制服の守備軍正規兵たちが怒涛のように迫り、口々に叫ぶ。


「そこだ、追え、追うんだ。捕まえろ、殺しても構わん。急げ、あいつら逃げるぞ」

 ストランドが叫ぶように、

「早く、早くこちらへ、急いでください」


 内陣の小さな裏口に誘導した馬車へ導こうとするも、イラフが大声で、

「だめだ、ユーカレが」

「もうっ! 何やってんだ!」

 そう罵りながらチヒラがユーカレの元へ疾駆し、イラフも「まったくだ!」と憤慨しつつ向かう。

「ぬぉっ」


 三対一で、たちまちアグールが劣勢になる。大聖堂の聖騎士と守備軍正規兵らが来て、

「貴様ら、ここは聖なる場所、無礼者め、神を嘲るか! 不敬の輩め、天誅!」

 そう叫び、剣を抜く。囲まれた。


「ぎゃはははは」

 アグールが緋色の髪を振り乱し、楽しそうに笑い、踊り乱れながら聖騎士を薙ぎ倒す。そのさまは悪魔そのもの。血飛沫を上げること、肉を切り裂くことを楽しんでいるかのようであった。


 イラフとチヒラはユーカレの両腕をつかんで引っ張り、

「今だ! さあ、行くよ!」

「ちくしょう!」

 ユーカレが悔しがった。


 聖騎士と黄色い守備軍正規兵らが立ち塞がる。


「待て。逃がさぬぞ、この大逆罪人どもめ!」


「すまん」

 イラフはたちまち聖騎士を峰打ちで昏倒させる。


「さ、早く、早く」

 ストランドが烈しく叫ぶ。


「わかってる!」  

 イラフ、チヒラ、ユーカレが走る。


「早く!」

 すぐ後ろに聖騎士が迫っている。「待て、待て!」


「ああ、つかまる!」

 ストランドの声は悲鳴に近い。「もう待てない、おまえらは先に行け! 俺だけ残る」


 待っていたガリア・コマータの兵たちだが、命ぜられて龍馬で飛び去った。


「あゝ、もうほんとうにダメだ!」


 ストランドも遂にパウルの隣に飛び乗る。

「パウル、出せ! エル殿だけでも脱出させねば!」


 ヨウクが動き出す。


 イラフ、チヒラはその刹那に、飛び乗った。ユーカレのマントが聖騎士につかまれる。

「こなくそっ!」


 イラフが振り向きざまに聖騎士の籠手を激しく峰打ちした。だが放さない。聖騎士は引きずられた。ヨウクは飛翔する。宙吊りになっても放さなかった。

「これでどうだ!」


 チヒラが意の力を放ち、衝撃を与える。それでも歯を食いしばって放さない。


「危ない」


 火矢が彼女の眼の前をかすめた。地上の聖騎士団が矢を放ったのだ。


「放すものか!」

「放せ!」


 ストランドが剣を抜き聖騎士の腕を斬り落とした。

「ぅわああ」

 聖騎士が転げ落ちる。


「仕方なかったのです。彼も使命、私も使命です。已むを得ないことです」

 ストランドは辛い表情でそう言った。


「わかってる。誰も君を責めはしない。お互い戦士ならば解っていることだ」

 チヒラがそう言って肩に手を置く。


 イラフは聖騎士の方をずっと見ていた。

 ユーカレが呟くように小さく言った。

「すまなかった。じぶんの引き際の判断が適切ではなかった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る