第24話  レオン

 ユーカレが金の双眸を燃え怒らせ、冷凛剣を抜く。周囲で悲鳴が上がる。


「ぁは、ぁははは、ふわははは」

 黒い朱色に艶光する大剣を抜き、狂乱の哄笑をまき散らしながら緋色の髪を振って叫ぶ。

「殺す!」


 イラフがエルの前に立ってかばいつつ、

「引き返しましょう、退却した方がよい」

「だめだ。私は行く」

「しかし」


 アグールが大剣を振り、狂乱して叫ぶ。

「ふゎは、ふわ、ふわっ、ふゎっははは。殺す、殺す、殺す! ぶっ殺す! ひゃははははあああ」


 聖堂内には驚愕と悲鳴が波のように広がった。あまりのことに事態を理解するまでに数秒を要してから逃げ惑う人々。大混乱となった。

 母親は幼子を抱き上げ、むやみに駈けてぶつかり、老婆が転ぶ。蒼白な若い男が恋人を引っ張って走り出そうとするも足がもつれる。少年が倒れたお爺さんを起こそうとするが、なかなか起こせない。


 チヒラが『天真義』『地真義』を顕し、ユーカレの加勢に入ろうとすると、忽然と現れ、立ちふさがる者が。

「我が名はイジュール。おまえの意(こころ)の力は私には通じない」


 紫色の髪は蛇のように蠢き、瞬きのない眼は赤黒く滾ろう。顔立ちは古代ギリシャの彫刻のように流麗で、古代戦士ふう革鎧にベルトで留めた腰衣、短いマント、背丈はユーカレと同じくらい。槍は穂先が大きく湾曲し、薙刀(なぎなた)にも似る。男か女か定かではない。


「何!」

 チヒラが意を練成して収斂し、三叉戟の尖先から虹色の稲妻を鞭のように振るう。


 イジュールの左腕に楯が現れ、それを弾き返した。嘲笑う。

「意(こころ)の理(ことわり)を知るはおまえらだけと思うな。この世の形あるものはカタチばかりのもの。それゆえ変幻自在、神出鬼没も当然よ。

 一切は揺らぎ滾ろい、争い、抗い、諍い、揺らぎ、滅び逝く。戦いの焔だ。さあ、さあ、この刃と闘え、皆殺しだ、理不尽だ、不可説だ、無差別なる殺戮だ! 『仏に逢うては仏を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ』だ。きゃきゃきゃっ!」


 そこへガリア・コマータの戦士らが次々押し寄せ、パニックはさらに拡大する。二手にわかれ、アグールやイジュールの周囲に円を描くようならぶ。ストランドが、

「待て待て、そうはさせぬぞ、さあ、皆の衆、今こそ命を捨てよ、武勲を立てよ。歴史に名を留めよ」


 そう雄叫びすると、二十三名のガリア・コマータの戦士たちが剣を抜く。あちこちの入口から平民の服の下に鎧を着た大華厳龍國の特殊部隊が侵入するも、同じく宗教者の変装をしていたシルヴィエの特殊部隊戦闘員がヴェールを脱いで忽然と現れ、憤激の形相で妨害する。人々はさらにパニックとなった。


 そこに騒ぎを聞いて出て来た聖堂警護の下級兵らも加わり、戦闘は増して混沌化する。


「さ、今だ。この混乱に乗じるしかない」

 イラフはエルの手を引いて奥へ、後陣へと走る。すると立ち塞がるように、

「待てっ、待てっ、待てっ、待てっ」


 異相の戦士らが次々現れ、行く手を阻む。イラフの剣の下に斬り伏せた。さすがの彼女ももはや手加減する余裕がない。致命傷を負わす。


「ここだ」

 エルが立ち止まる。


 祭壇の前だった。燭台の置かれた祭壇に聖なる象徴が擱かれ、聖ヴァルゴ教の神聖文字の記された帯がそれを飾っていた。その背後には高さ30mの黄金の衝立があり、様々な聖人の事蹟が彫られたり描かれたりし、衝立の縁を天使や神獣が荘厳している。


 聖画はその中央にあった。


 見上げてエルが思わず声を洩らす。

「おお」

「あゝ、何て素晴らしいんだ」

 双眸を耀かせ、イラフも嘆息を禁じ得ない、

 絵に描かれているのは清らかなる若き女性であった。その慈愛と聖性は、この世のものとは思えない燦然たる超越性に輝いている。


「これをよく心に留めて置け、イラフ。この荘厳、この崇高なる静謐を。

 芸術家は究極を求める。それは彗星のようなものだ。火が附けば、もはや自分でも止めることはできない」

 エルがそう囁く。

「言われなくとも一生忘れられない」


 だが背後から、

「そこまでだ。レオン」


 イラフが振り返り、眉を顰めてモス・グリーンのまつ毛を翳す。

「レオン? 何だ、それは! 誰のことだ?」


「レオン・フランシスコ・デ・シルヴィエよ、貴様、覚悟しろ」

 何者かがエルに向かって大剣を振り下ろす。イラフは驚いた。だが反射的に手は剣の柄をにぎっている。そういう動作のさなかに、どうやら「レオンとはエルのことを言っているらしい」などということにも気が附く、ペパーミント・グリーンの双眸を驚きで大きく瞠(みひら)きながら。

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