第23話 言えぬ
「多くの者が命を賭けるのだ。それでも言えぬのか」
「言えぬ」
桃色の双眸を濃くしたチヒラも憤りを抑えかねて、
「しかもその場にいる無関係の者も巻き添えになるかもしれないのだ。彼らも多くの者がシルヴィエ人に仲間や家族を殺されている。それでもやらねばならぬならせめて理由を」
「言えぬ」
怒りを殺すようにまぶたを閉じてイラフは嘆息しつつ、チヒラを制す。
「待て。シルヴィエ人だからと言って、彼が殺したとは限らない。彼は何事も関与していないかもしれない。同じ民族だからと言って同じ罪にはならない。当たり前なことだ。罪科は常に個々人のその都度の所業に帰する」
「ちっ。確かにね、君の言うとおりさ。
しかし、エル氏の態度、まさに王侯貴族だな。大義のためには民の命など、どうでもよいか。ところが民にとっては明日の命こそが大義なんだ。
高貴な使命を帯びて命を犠牲にしても、それは報われず、人としての夢も希望も家族への愛も、歴史の巨大な波瀾に翻弄され、潰える」
そう言い放つチヒラの桃色の瞳がさらに赤みを帯びる。暗黒の過去を思い出したかのように。魂を悲歎と絶望の暗黒の世界に深く沈め。
しかしそんな想いを敢えて無視するかのようにユーカレはノーズティカを鳴らして嘲笑し、
「臆病風に吹かれたか。さあ、じぶんは逝くぞ。生きるも死すも、ただ使命を果たすのみだ」
「すまぬ」
低くかすれた声でエルが謝った。そして、
「だがこれには意味がある。いずれ、多くの人を救うことにも繋がるかもしれないのだ。時節は動き始めた。風雲は急を告げている」
「どういうことか。さっきの記事と関係があるのか」
ミュールを鳴らしてチヒラが詰め寄ると、エルは、
「ある。少なくとも私はそのように確信している。だがこれは序章に過ぎない」
蒼い瞳は強く光った。
イラフは刹那にその気を読んで水色の髪を揺らしてうなずき、
「わかった。
行こう。あなたとピリピレオを信じる」
大聖堂は広場に面して壮麗なるファサードを誇らしげに、そして悲愴なまでに崇高に顕示し、天へまっしぐらにその尖塔を突き立てていた。広場には多くの人々が行き交い、また物売りが立ち、馬車が通り過ぎた。
蒼穹は遠いほど青が濃く、どこまでも深く碧い。
彼らも馬車から降りる。ストランドも馬を繋いでパウルに見張りを任せ、広場へ歩み出る。その後ろのユーカレが行き、エルが続き、その背後をイラフとチヒラが護った。
ストランドが言う。
「今、先遣隊十四名がこの周囲に散っています。後衛隊九名も呼び寄せました。周囲を警戒しつつ、我々を警護しています。傭兵部隊には馬車を遠巻きに守らせました。
龍梁劉禅の陸海の特殊部隊がようやく集結しています」
海軍特殊部隊の隊長はシルス(支陋栖)少尉、陸軍特殊部隊の隊長はジイク(斎粥)少尉であった。目立たないよう、貧しい旅の傭兵将校のような恰好をしている。
「我が国の援軍は遅かったな。出発の頃には少なくとも数名は来ると思っていた。まさか今になるとは。
まあいい、現状に集中しよう。ぼくも今、最大限に気配を読みつつ警戒しているよ。闘いの気の脈拍を」
聖人の像で荘厳された正面出入口から拝廊を経て、身廊を進む。天井が高く、崇高であった。神々しい聖歌が聴こえてくる。多くの人が厳かな面持ちで礼拝に訪れていた。
「ここでは闘えないぞ」
そう言うイラフを抑え、チヒラが、
「急ぐしかない」
袖廊との交差部には聖のうちにも聖の聖なる聖者の像があった。
「ミラレセの守護聖人、その名の由来となった聖者ミラレーゼだ。彼は最初、山中でしかなかったこの場所に庵を編み、清廉な修道生活を送った」
チヒラが説明する。
その像の後ろに立っている者がいた。まるで床から湧いたかのように。なぜならイラフもチヒラも寸前までそこに気配を感じていなかったからだ。現に偵察隊の警戒や調査隊の調査にも引っかかっていない。
「アグール!」
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