第21話 古城と黄金のノーズティカ
「やはり奇異に感じましたか、こんな娘らで旅の商売など。
実はそうでもないんです。
ぼくら四人は皆、商家の娘なのです。それぞれの理由で父親が旅に出られなくって、已むを得ず旅に出た次第です。
とは言え、父親らも女の子の旅は心配と申すもので、知恵を絞って、同じような境遇の娘を探し、仲間になって旅すればよいのではないか、と考え附いたのです。あちこち声をかけてみると、意外にも同じような理由で、同じようなことを考えている娘がいることがわかって。
それで、こんなふうに旅をしているわけなんですよ。
さぞかし奇妙に見えるでしょうね」
亭主はちらりと剣を盗み見しながらも、面には出さず。
「いいえ、とんでもない。世の中には、さまざま事情がございます。安易に勝手な推測をしてこうと決め附け、声を荒げて批判をしたりする者は、すべて悪党ですよ。
お察しいたします。
いろいろな苦労が世の中には在るものでございます。楽している人間はいるかもしれませんが、楽ばかりしている人間なんていないものです」
「ところでご亭主、ここいらではなかなか食材も手に入りますまい」
にやりと亭主は笑った。
「いやいや、山間の牧人が率いる群れをご覧ください。羊や牛の肉にはまったく困りませんね。ただしオリーブ油や塩がなかなか」
「もうお察しかと思いますが、ぼくらはそれらをたくさん積んでいます。かなりな上物ですよ」
「ええ、そうかと思いました。単刀直入に伺いますが、おいくらぐらいでしょう」
二人は商談に入った。イラフは桃色の双眸を持つ賢者にしてクリムゾンの髪をした学究肌のチヒラの意外な能力に感心するも、ユーカレは冷笑を止めず、ずうっと外を眺めている。
亭主が去った後、外を見ていたはずのユーカレが小声で言った。
「不用心かもしれないが、今後、商人のふりをしなければならないときには、刀剣類を馬車に置いていくことにしよう」
チヒラは眉を寄せて顔を曇らせたが、
「君の言うとおりだ」
そう言って黙った。
以後、料理が来るまでは、まったく会話ははずまなかった。
だが脂のしたたる旨(うま)肉(にく)が運ばれて来ると、再び雰囲気は和らぐ。暖かい食べ物の湯気は心を緩やかにするものだ。
スープを一口啜り、イラフが、
「ん。うまいよ。旨みたっぷり、ダシが利いてる。味わい深いよ」
「うーん。ほんとうだね。肉もいいけど、チキン・スープは体が暖まる」
「ふ。スパイスのせいだろうな。黒胡椒が見えるじゃないか。チキンはどこかで入手できるようだな」
「ぼくが思うに、たぶん、農家がどこか近場にあるんじゃないか。来る途中では見かけなかったけれどもね」
「ねえ、これ、ジャガイモだ。こんなところでも獲れるんだ」
「だんだん、ここがよいところのように思えてきたよ」
「ふ。喰うために生きているからな」
燦めくノーズティカのユーカレがそう言っても、ジョークにしか聞こえなかった。
馬車に戻る。エルは食事を終えていた。じっとして黙り、相変わらず、幌の内側のテントの中でフードを深くかぶって、真珠のように自らを秘匿している。彼の人生に於いては、使命以外のすべての愉しみや快楽は切り捨てられてしまったかのようであった。ストイックで、ソリッドだ。
チヒラは手際よくオリーブの樽と海の塩を詰めた袋を数袋、硬貨や肉の塩漬けと交換した。それを眺めていたイラフは象徴の森を歩いているような気分になる。
一通り作業が終わると、チヒラは待たせていた仲間に眼で合図を送りながら、
「ざらざらした砂漠のような現実さ。
さあ、行こうか」
退屈そうに待っていたユーカレが気怠そうに微笑する。ノーズティカがかすかに揺れる。
一行は再出発した。
その夜は野宿する。岩の狭間に風を避けて龍馬を繋ぐ。寒風が強かったが、焚火を焚いて、三重にタープで囲い、干し肉を噛み、チーズをかじる。少し談笑してから、毛布や藁を敷いて眠った。眼が覚めると黄昏のような曙光の中、誰もが無口に片附け、白い息を吐きながら支度をする。
出発するとすぐに曇り、粉雪が舞い始めた。
その日以降も曇天か、雪か、凍るほどに冷たい雨か、いずれかの日々が続く。旅は粛々と進み、時折、疾風のように翔けた。高度が上がると、凍った雪の純白のみの世界になる。峻酷寒厳な氷雪と氷壁の岩山を這うよう、よじ登る。
頂を越えて今度は下り始めると、季節を冬から秋へ、秋から春へと遡行していくかのようであった。
谷沿いの路や街道や平原はいかにも旅商人のごとく進む。
途中、大いなる渓谷があり、広やかで、大きな湖があった。珍しく晴れた日で、誰ともすれ違わない。周囲は美しい緑をなし、湖に突き出た緑と岩との小さな岬の先端に、古城の廃墟があった。
古城とは言っても、恐らくは砦だったのであろう。
かたちを完全になしていた頃ですら小さな塔のようなものに過ぎなかったものだから、そのほとんどが崩れた今となっては、わずかな石壁と土台しか残さない、何か滅びの象徴のモニュメントように見えた。
黄昏の湖を背景にシルエットは漆黒であった。輪郭が赤々と揺らいでいる。
「燃えている。湖とともに赤みを帯びたオレンジ色で燃えているかのようだ」
イラフのその呟きを聞いてユーカレが、
「ふ。
まるでいにしえの戦士のようだな。滅びて歴史に名を遺すこともなかった無名の」
「すべての現象は滅びへと向かって行くのだ。崩れて、熱は放出し、均されて差異がなくなり、無となる。生命とは崩壊と散逸と平均化に逆らう力、再生と自己増殖によってそれらに抗う力のことだ」
イラフは微笑んだ。
「そうならば死と虚無そのもののようなあの廃墟にも生命はある。炎のように滾ろっている」
「君は詩人だな」
そのチヒラの言葉を聞いたユーカレはいつものように微かに黄金のノーズティカを揺らして鼻を鳴らすだけであった。
「ふ」
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