第20話  旅籠プラン  

 チヒラが乱れたクリムゾンとボルドーの髪を整えながら感想を述べた。

「いや、驚いた。おかげでさらに空腹になったね」


 それは斜面のつづら折りの路の曲がり角のところに数件の家が寄り集まった、小さな、とても小さな村であった。イ・ディン・チロという名である。


 どれも明るい土色をしている砂岩製の家々で、曲がり角の内側に建つものは三角形を作るように組み合わさり、外側に建つものは馬蹄形をなしてならんでいた。


 すべて急な斜面に建つがゆえに、どの家も、表から入るときと裏から入るときでは、同じフロアでも階が異なり、著しいところでは、1階の玄関から入って突き当りが5階のベランダであったという家もある。


「旅籠プラン。あれだ」

 肥えた羊を象った吊り看板が下がっていた。炙り肉の匂いがしてくる。脳裏に浮かぶ画像は、黒い鉄のグリルの上で肉汁をぽたぽた垂らしながら、真っ赤な炭に炙られる旨そうな肉の図である。


「たまらないね」

 チヒラがまず馬車を降りた。イラフとユーカレが続き、パウルは馬寄せの傍らに馬車を繋ぎ留める。ストランドも周囲を見廻しながら馬を降り、くつわを鎖で留め金に繋ぐ。エルはパウルに言った。

「私は降りない。手をわずらわせてすまないが、持って来られるものがあったら、君の食事の後で持ってきてくれ」

「了解しました。俺も馬を離れないでここに持ってきて食べようと思っていたんです。すぐに戻って来ましょう」

「すまない」

「いいえ、遠慮は結構ですよ、旦那」


 そんな会話もよそに少女三人は意気揚々店に向かう。ストランドも周囲を警戒しつつ、追従するも、

「今のところ、斥候や後衛隊から危険の報告は受けていません」

 と報告する。ユーカレが、

「順調だな。だがそういうときが一番危険だ」

「そうだと思います。さて、中に入ったら、私はドアの傍で食べます。あなた方は良い席にどうぞ」

「申し訳ない」


 イラフがモス・グリーンのまつ毛を翳してすまなそうに言った。しかしチヒラは藤色のまつ毛を咲かせてあっけらかんと、

「ええ! 心配のし過ぎでは。ぼくらは達人ばかりだ。怖れることはない。メタルハートでも来ない限りはね」

「ふ。

 そいつが来ない保証がどこにあるんだ。警戒の心を怠るなよ」


 冷めた声で白いトーガの裾を引いて身に寄せつつユーカレがそう言い放った。

 少し怒った顔で頬を紅潮させてチヒラが、

「ふふん。わかってるさ。たとえジンが来たって、君がいるから心配ないよ」

「ふ」

 イラフはとげとげしい会話をあえて無視し、扉を開け、

「あゝ、暖かいね」

 と笑みを緩ませる。


 中に入ると湯気のうるおいを皮膚に感じた。窓が曇っている。店の床はでこぼこした方形の石を敷いたもので、中央に大きなグリルが置かれ、中で熾火の赤かとした炭が燃えていた。毛穴が柔らかに開くような気がする。


 太った体に大きなエプロンを附けて、レードルを片手にニコニコしながら店の亭主が厨房からあらわれた。

「いらっしゃいませ。どうぞ、こちらの席が暖炉に近くて、とても暖かいですよ。どうぞどうぞ、お坐りください。窓からの景観も見ものですよ」


 中央にグリルがあるせいで、暖炉は隅に二つあった。


 窓際の席で、断崖に突き出たかのように見下ろすと、遥か下方の谷底、よくよく見ると急斜面を行くつづら折りの路が細々と続いている。


「あの道を通って、ここまでを来たんだな」

「旅商人の方ですか」

 話好きそうな亭主が尋ねてきた。

「そうです」

 紅の唇に笑みを浮かべてチヒラがさらりと応える。


「山越えにはなかなか大変な季節ですな」

「だから商売になる。ライバルが少ないからね。治安はどうですか」

「山賊も凍えていますよ」

「確かに。しかしご亭主、オークなどの物騒な鬼や魔物は出たりしませんか」


 亭主は急に声をひそめ、

「それです。ふしぎと昨今、そういう化け物を見かけたって言う方々が増えましてね。ご用心に越したことはないですよ。

 商いには珍しく、お若いお嬢様方ばかりなので、実は最初見たときには、そういう心配が過ぎったのです。しかし、まあ、よく見れば、屈強な傭兵も雇われているようですから、そうそう心配もあるまいと、あえて口にしなかったのですよ」

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