第19話 出発
三人は旅の支度を始めた。
そこへ髪の長い、口髭と顎鬚を垂らした痩身の若い男が現れた。風雨に晒された精悍な顔立ちで、いかにも百戦錬磨の傭兵ですと言わんばかりの風貌だった。
「ガリア・コマータの隊長、ストランドです。
隊員とともに、イース殿より命令を受けて参上しました。大臣は警護をしろとのおおせです」
眼を輝かせてイラフは立ち上がり、手を差し出す。
「どうかよろしくお願いします」
ガリア・コマータとは長髪のガリアという意味で、実際の歴史上にもあった呼称だが、こちらではクラウド連邦の建国に大いに貢献した強兵騎馬軍団であった。
出発の朝は寒い雨となる。起きて来たチヒラが不満げな顔をした。ユーカレはトーガの大きな布を器用に留めている。
セフイの斥候や先遣隊などはもう出発していた。
とは言っても、大華厳龍國の特殊部隊も外国人傭兵もまだ来ていない。ガリア・コマータたちだけであった。ユーカレが言う、
「むろん、待つ気などない」
その言葉にチヒラはうなずいた。
「いずれ来るさ」
馬車には四頭のヨウクが繋がれる。予備として二頭が牽かれた。つまり馭者も含めて、いざというときになれば、一人ひとりが一頭に乗れるように用意したのだ。
「ガリア・コマータの兵士一名を斥候、五名を偵察隊、七名を調査隊、十四名を先遣隊として出してあります。皆、神速なる龍馬に乗っています。
今のところ、進路に特段の不安要素はありません。
なお我々本隊が出た後に、後衛隊九名、調達班八名、援護隊五名、事後検査隊三名、しんがり隊二名を出す予定です」
ストランドがそう報告した。
「さあ、出発だ」
イラフが号令する。
セフイ本隊は意気揚々と出発した。
馬車の手綱はガリア・コマータのパウルという男がにぎる。屋根のない、肘掛と座面だけの馭者席に坐り、セイウチのような髭に表情を隠して出さず、冷たい雨に濡れることをまったく意に介さないように見えた。雨外套のフードからは雨の雫が次々落ちている。
ユーカレ、イラフ、チヒラ、エルは天井の高い幌の下、車内の座席に坐った。
イラフはさっそく小窓を開けて雨の景色を眺めてみる。
ストランドが龍馬に乗って、いかにも商人に雇われた傭兵ですという雰囲気を醸(かも)し、添うように警護していた。
チヒラは読書を始め、ユーカレは念入りな剣の手入れをする。
荷台の中は毛布やクッションを置いて思い思いに暖を取れるが、エルに関しては、念のため、積み上げた樽と麻袋で作った壁にテントのようにタープを張って、室内城砦を築き、その中に隠蔽した。
間もなく馬車は山間の街道に入る。荒れて峻酷な道だった。切り立つ岩の壁が聳え、峡谷の断崖はまっすぐに落ちている。森林限界の領域まではまだ少しあるので、木々は濃く深く、怖ろしいまでに育った常緑樹が厳(いかめ)しかった。数百年の古薫を漂わせ、枝を四方に張って凄まじい。
斜面は次第にきつくなり、樹木は減り、小さな岩が突き出る荒れた路となった。大きな岩を迂回したり、何度もつづら折になったりしながら、坂を登る。それでも馬車は柔らかくしなやかに、小さく上下するだけである。
「確かに乗り心地は良いな」
ユーカレは馭者席に近いところ、荷台の一番前に坐って、前方の幕をまくって肘をかけながら行く先を眺めつつそう言った。
そのすぐ後ろに坐るチヒラが言う、
「こういうゆっくりした旅も非常に興味深いが、このままでは何年たっても目的地に着かない。人のあまりいない山奥に入ったら少し急ごうよ。龍馬のごときという速さも確認しておきたい」
地図を見ながらイラフが言う、
「ならば、もうそろそろいいだろう。ここいらに人家はもうない」
「どれ。へー、ほんとだ。次に人がいる場所は?」
チヒラが寄って、イラフと頭をならべる。イラフが地図を指さし、
「ここかな。山の中に旅籠があるんだ。では、ここまで全力で駈けさせてみよう。どのくらいスピードが出るか確認するんだ」
「そして、そこで休憩しよう。お腹もすいたし」
小さな顎を上下させてチヒラがそう言うと、
「異議なし」
イラフが水色の髪を揺らし、笑って応えた。ユーカレが鼻先で苦笑する。
振り向いたパウルが、
「では目的地が決まったところで、速足を試しますか。そら」
と言って、ヨウクの背を手綱で打つように叩くと、唐突に、勢いよく駈け出した。凄い力で馬車が引っ張られると乗員は後ろへ引っ張られる。ヨウクと繋ぐ索が壊れそうだ。
「ぅわっ!」
あっ、と言う間に加速していた。風景が動体視力で捉えられなくなっていく。風圧が耐えられないほど凄まじくなった。恐るべき速度で、たちまち嶮しい二つの山を超える。
山間部の寒さは厳しいが、雨は勢いが和らぎ、霧雨となっていた。凍るような霧雨ではあるが。
「あゝ、何と言うことだ。あゝ、面白い、凄いよ」
ユーカレが珍しく声を立てて笑いながら感嘆する。レオンも参ったという顔で、
「まるで世界最強のジェット・コースターだな・・・」
「ぷふわっ、ぷふぁっ。雨が凄い勢いで吹き込んできたね」
くしゃみのように咳き込みながらチヒラが言うと、嬉々としたイラフが、
「ほんとうだね! あっという間に濡れてしまった」
そう言ってペパーミント・グリーンの双眸を輝かせる。それを見て、チヒラが歎息した。
砂岩色の建物が見え始めたので、馬車はスピードを落とし、ゆっくりと蹄を鳴らして歩む。
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