第14話  男

「見たか」

 鋭く囁くようにチヒラは訊いた。

「あゝ、見たとも。間違いない」

「しかし、なぜここに」

「シルヴィエ人だって旅行くらいする」

「だが、あれは相当高貴な身分の者じゃないと附けられない」

「そうなのか」

「知らないのか」

「知らなかったよ。で、どうする。それが肝心だ」


「わかっているよ。しかし、どうすべきでもないだろう。ぼくらには、ぼくらの任務があるのだから」

「放置か。もしかしたら食い止めなくちゃならない何かが起こりつつあるのかもしれないよ。調べるべきだと思うが」


「うん。一理あるね。だが相当リスクがあるよ。外交問題になることもあるかもしれないし、帝国の者らが近くにたくさんいるのかもしれないし、彼自身がかなりの達人であるようだし」

「そうか・・・」


 そうこうするうちに寝台車輌に行って見えなくなってしまった。


「さあ、お茶を飲んだら、ぼくらもコンパートメントに戻ろう。ともかく荷物を置こうよ。ええっと、次の駅は7時間後だったかな」


 戻って荷物を収納しながら、イラフは、

「実際、商業目的の場合は、シルヴィエの人間も相当な数の人間が来ている。考え過ぎかもしれない」

「商業目的かどうかは確かめようがないけどね」

「それはともかくとして、シルヴィエ人がいること自体は珍しいことではないとは言え、君の言うとおり彼が高位の人間だとすれば話は別だよね」

「軍本部にはさっきメールしておいた。ついでに照会もかけたよ。ぼくらに教えてくれるかどうかわからないが。義務は果たしたさ」


 7時間後、黄昏の駅で誰かが降りた気配はなかったが、翌朝の食事に黒尽くめ男は来なかった。


「やはり降りたのかな」

「ルーム・サービスだってある。食事に来ないからと言って、列車内で食事をしていないとは限らない。どっちにしろ、気にしないさ、本部も何も言ってこないし」

「そうだな。まあ、関係ないな」


 そうこうして三日が何事もなく過ぎた。彼らはほとんど語らず、景色を眺め、本を読んだ。


 午前5時、列車はスパルタクス帝国に入った。スパルタクスは強大な軍事国家で、産業は牧畜と農業と漁業と海洋貿易である。


 峻嶮な山岳地帯を抜けるとなだらかな起伏の続く丘陵地帯に入った。早くも空気中の光がシャンパン・カラーを微かに孕み始め、空は紺碧ながらも黄昏の兆しを見せる。


 まるで斜陽の帝国の豪奢な懶惰のようであった。帝国は過去、壮大に繁栄していた。


 当時の栄光は十分に力を余していて、未だに地方の隅々にまで、偉容を誇る不落の城が聳え、都市には立派な建物がならび、人や物資であふれている。


 その端緒は、大航海時代の世界ルートの発見による世界貿易で蓄積された空前絶後の富にあった。


 得た金銀によってさらに大軍艦数千隻の大艦隊を編成し、一時はマル・メディテラーノ(裂大陸大海洋)から東のオフェアノ・パクス(太汎海洋)、西のアッチランティコ(大古代海洋)を廻って、各大陸に貿易拠点となる都市を数百か所も持つほどの、世界に冠たる大帝国の神威を帯びた時期があったのである。


 渓谷を見ながら丘陵地帯を蛇行しつつ進むと、やがて前方に、岩山の絶壁の面を背にして建つ地方都市シュッベンドガルトが見え始める。午前7時だ。


 建物全体が立ち上がり部分から急激に角度を急にして尖る。基礎部から上(城の4分の3以上)が鋭利な細い尖塔状になる。この奇妙な形状の城は組石造の躯体に錆びない白銀色の金属板を張って砲弾に缺することさえない、まさしく鉄壁の城砦であった。


 奇観にイラフは見とれた。

「すごいなあ」

「こんなことで驚くのは早いよ。

 世界にはもっと凄い建築物がたくさんある」

「君はそんなに世界を廻ったのか」

「そう。正確に言えば、世界の大学と図書館とを、だ。

 気の力を練成するためには工夫が必要だし、前の時代を超えて新しい境地を啓くには、さまざまな異世界の奥義を学ぶ必要がある。見聞は重要だ」


「任務ではなく、勉強のため?」

「最初はね。しかし外国に詳しいので、自然と国外の情報収集などの任務が命ぜられるようになったのさ」


「さぞかし博学なんだな。実際、羨ましいよ。

 わたしには学問のために学問をする機会がなかった。勉強は嫌いではなかった。武人になるしかなかったんだ。ほんとうは乱暴なことは好きではない」


「そんなに強いのに。

 誰しも自分の特技を好きになるものだと思っていた」

「むろん、武を磨くことに興味は尽きない。でも、それは学問なんだ」

「なるほどね。

 ところでシュッベンドガルトには古い修道院があってそこの附属図書館が素晴らしいんだが。聖ガレノン修道院の附属図書館だ」

「聖ガレノン!」


「君も知っているのか」

「いや、知らないんだけど。実は・・・やめておこう。後で話す」


「おかしなやつだな」

「で、蔵書がたくさんあるってことか」


「あゝ。百万冊を超える古今東西の書籍だ」

「一生かかっても読み切れないな」

「人間は一生のうちで5千冊程度しか読めないという説があるそうだ」


「そういうのを聞くと挑みたくなる。もう14年も無駄にしているが」

「ふ。まだまだ遅くない。君は知識への意欲に目覚めている。幸運だし、幸せなことだ。向学心のない愚かな人間は哀れだ。残念ながら、ぼくらよりも愚かな人間はたくさんいる」 

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