第13話  ジン・メタルハート

 そう思う千分の一秒、イラフは周囲を見廻し、少年の姿が見えず、無事にどこかへ逃げ隠れることができたらしいことを確認した。『よし』 さて、どうしたものか、この強敵は。


 そのときだ。白い光のようなものが目前を過(よぎ)って、敵の剣を受け止めた。

「あゝ」

 イラフは思わず声を出す。剣が止まったので、初めて敵の姿を見ることができたからだ。


 黒い緋色の髪をカーリーのように乱して昏い緋色の鎧兜で装甲した長身の女戦士、その身の丈は2mを超えるように見えた。それでいてあのスピード。冷たい汗がイラフの背に流れる。


 その凄まじい朱色をして艶光する大剣を、黄金の光を放つ細身の白い剣で受け止めているのは、細い身体に白く長い髪をまっすぐに垂らした白いマントの下に白いトーガを着た人物だった。幅広の朱剣を止める細剣はとても長く(イラフには2m以上あるように見えた)て、今にも折れそうだった。背後から見ているので性別まではわからない。背の高い華奢な若い男か、少年のようでもある。だがイラフは直感的に女性であると感覚する。


 朱い剣に彫られた茜色を帯びた金の神咒文が燃え上がるように輝くと、じりじりと白い細剣が押されて潰されそうになる。


 イラフは我に帰って急ぎ立ち上がり、緋の兜の女剣士の右手に回りながらチヒラを見やる。チヒラは三叉戟『天真義』を顕し、楯『地真義』を右手に持って、左方へと回っていた。すると、それに気が附いたのか、緋剣士は白剣士を弾き飛ばし、チヒラに向かって振りかぶり、その勢いでイラフに斬りかかる。チヒラは転びながら『天真義』の尖から烈光をほとばしらせ、イラフは下から間合いに入ろうと試みた。


 突き飛ばされた白剣士もまた素早く体勢を立て直し、トーガという動きにくい衣であるにもかかわらず、巧みな所作、理に適った剣さばきで、布を絡ませることもなく、むしろ麗しく舞うかのように突きを繰り出す。剣が黄金に変わる。その美しさと動きの華麗さはギリシャ古典期の彫刻が動くのようであった。金と象牙でできた芸術品のようであった。しかもその表情は「高貴なる無関心」を浮かべ、冷然として感情を表わさない。



 だが緋色の剣士は長身にもかかわらず俊敏で、黒豹のようにしなやかに飛び上がり、三者すべての攻撃をかわした。そして喚(おめ)く、

「我が名は、生ける屠殺神アグール・ゴーリア。命は賭して闘うがための代(しろ)にしかず。聴くがよい、そして怖れ怯えよ、我が信仰、我が神は、聖の聖なる殺戮の大天帝ジン・メタルハート様よ、我こそはメタルハート様の直属の配下。憶えておくがよい。

 儚き貴様らの命のあるうちは」

 そう言い残して近くに二階家の屋根の飛び上がり、けたたましく笑いながら、次により高い屋根へ飛び移り、さらにまた高い方へ、そして屋根から屋根へと走り去って行った。


 ジン・メタルハート。その名を聞いて稲妻に打たれたかのように、イラフとチヒラとは、ただ呆然と見送る。立ち尽くすことしかできなかった。


 その身体には衝撃が走っている。むろん愚かなことだ。イラフはその強敵と闘うためにこの旅の途にあるのだから。


 メタルハートと闘うのだというわかり切った事実を、イラフは強烈に実感していた。剣の柄をにぎり、動揺を抑える。

『しかもジンの配下だと称するあのアグールでさえあんなにも強いのだ』


 苦いものが胃から込み上げる。怯えてなどいない。しかし動揺はしている。なぜだろう。『歴戦の傭兵たる自分に恐れなどあるはずがない。ましてや命惜しさなど! だがこの根底から来る畏(おそ)れは何だ!』


 これではいけない。いや、弱いのは仕方ない。人は皆弱いものなのだ。強いと思う人間は愚かなだけだ。物を知らぬだけだ。


 理性を取り戻し、白い髪をした若き騎士へ歩み寄った。

「ありがとう、助かりました」

 イラフは手を差し出す。チヒラも寄って来た。相手は手を出さなかった。イラフは已むを得ず、静かに引っ込める。


 とにもかくにも初めて相手をまじまじと見ることができた。驚いたことに、冷凛たる彼女もまた、少女と言ってもよい若い女性であった。 


 白皙の肌に切れ長の眼の中に怜悧に燃える金色の双眸、左の鼻翼に宝飾附きの金でできたマントラの透かし彫りされた円環のノーズティカ(インドの鼻ピアス。円環の連なる装飾的なものが多い)を徹し、装飾のたくさん吊るしたチェーンで耳朶の金のピアスと繋いでいる。首には金色に光る入れ墨が精緻に彫られ、そのすべてが神咒であった。


 美しく燦めくまっすぐな白い髪はまばゆい。前髪が眉毛を隠し、少し内巻きになっている。後ろ髪もまた腰下までまっすぐに垂れ、内巻きにそろっていた。背が高くて180㎝はあるの相違ない。

「イラフ、そしてチヒラよ。じぶんは白く燦めく冷凛剣のユーカレ(憂寡羚)。海軍だ。奴を追っていた」

「なぜ我々の名を」

「国は外国人を容易に信じない。じぶんも龍不(りょふ)国出身だ。ふ。君らを監視するよう命ぜられていた」

 チヒラはリョジャドの出身のリョジャド人である。イラフが最初に感じた懐かしさや親しみのいわれはそこにあった。


 ペパーミント・グリーンの眼をいぶかしく光らせ、ユーカレを凝視する。

「なるほど、それは十分にありそうなこと。しかしそれをこんなに簡単にバラしてしまうのは不自然に思えますが」

「もともと承知する我が任務はアグールを追うこと。ノルテに渡るなら監視も兼ねるよう命じられたから仕方なくそうしているだけだ。こうして身をさらしてしまえば、監視の役には立たない。だからこれで監視任務はお役目御免だ。狩りに専念させてもらう。

 まったくもって清々した。ちょっとばかり運動にもなったし。ふ。

 監視されていることを心外に思うかもしれないが、気にするに及ばない。じぶんにもまた監視が附いているのだから。恐らくじぶんの監視に対しても監視が附いているはずだ。さらにその監視役に対しても監視が附いているに相違ない。さようにいくえにもなっているものだ」


「そうか。まあ、やりそうなことだ」

 イラフが歎息するも、チヒラは笑いながら、

「ふ。愉快じゃないか。官僚どもがよくやる保身さ。奴らの趣味はなるべく背負わないようにすること、なるべく関わらないようにすること、已むなく組織を護るふりをして自分を護ること。他にない。それが保身ということさ」

「小人をせせら笑っても意味はない。失礼してアグール追跡を続けさせてもらう。ふ。さらば」


 ユーカレがニヒルな笑みを浮かべ(金の双眸は笑っていない)、ノーズティカを打ち鳴らしながら背を向けて去って行った。


「すかした奴だ」

 チヒラが桃色の睛(ひとみ)を曇らせ眉根を顰め、肩をすくめる。

「さあ、わたしたちも行こう。列車が出るよ」

 イラフがそう言った。

「そうだな。今さらだが、人気のない街でよかったよ、普通なら巻き添えになる人間が出るところだった。ま、とにかく急ごうか」

「あの少年は無事にどこかへ逃げられたみたいだな」

 チヒラにそう言われてうなずきながら、

「うん。たぶん、そうだと思う。アグールとやらに襲われた一瞬後には、もう姿が見えなかった」

「じゃ、急ぐか」

「うん」


 しかし二人は乗り遅れた。

「荷物は次の駅に置いてくれるよう頼んだ。後発の急行で行くしかない」

 チヒラがそう言った。

 イラフはペパーミント・グリーンの双眸をモス・グリーンのまつ毛で翳してしばらく考え込んでいたが、

「列車で監視の目を感じたのはユーカレのせいだったんだね」

「ああ、たぶんね」

 しかしチヒラは遠い眼をしたのであった。


 急行は2時間後に来た。日はすっかり高くなっていた。二人は乗り込む。

「茶でも飲もうか。空腹でもある」

 またトラブルに巻き込まれるのを警戒して駅のホームをあえて出なかったのだ。ラウンジのある車輌に向かう。


 そこで奇妙な男を見た。

 黒いマントに全身黒い服でフードを深くかぶっていて、とがった鼻先ととがった顎が見えている他は、縮れた長い黒髪がはみ出しているのみである。その全身からはただならぬオーラが発散されていた。


「何だろう、何か不安を覚える」

 イラフが言う。チヒラも眉をしかめ、

「敵かな」

 黒尽くめの男は視線に気がつき、席を立ち、去ろうと立ち上がった。刹那慌ててマントを押さえたが、二人ははっきり見た。見事な彫金のされた剣の鞘には神聖シルヴィエ帝国の紋章が浮き彫りにされていたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る